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子どもの体験をうばわない。

先回りして教えたり、助けたりすることで、相手の上達だけでなく、楽しみも奪ってしまう。

反対の立場になってみて、息子との接し方について考えさせられた。



小1長男はポケモンが大好き。

数日前、そんな息子にニンテンドースイッチでポケモン(盾)をプレイすることをかなり強くすすめられた。

自分でやったら?と提案したら「一緒に遊びたかったのに。ママにやってほしいのに」と悲しそうな顔をされたので、わたしがプレイして息子が見るのを一緒にやると言うのだろうか、と思いながらもやることにした。

ポケモンはゲーム経験が少なく操作がめちゃくちゃ下手くそなわたしでもなんとかできるゲームなのだ。

(ポケモンで操作が下手で困るのは草むらで野生のポケモンを避けられないことくらい。あんまりやらないけどマリオカートをするとだいたい逆走して順位争いじゃなくてゴールすることに苦心するレベル)


せっかくやるなら楽しもう。

そう気持ちを切り替えた。


しかし。しかしである。  


ストーリーにそってジムリーダーと戦っていくのだけど、すでにクリアしている息子が先回りしてストーリーや相手が出してくるポケモンをぜんぶ解説してくれる。

ねぇまって、それ分からないのが楽しいんじゃないの!?教えてくれなくていいよ!


バトルでどの攻撃をだそうかなぁと考えていると、横から相手はほのおタイプだから、みずの技がこうかばつぐんだからこれにするんだよ!みたいなことを教えてくれる。

いま、考えてたのに。。


戦略をミスってバトルに負けたり野生のポケモンをよけそこなうと、ぼくがかわりにやってあげるよ、とコントローラーをとられる。

え、、まってそれじゃわたしうまくなれないじゃん。


と、息子はまったく悪意なく、めちゃくちゃ応援してくれていて、親切心とぼくは知ってるよドヤ!って感じで、それはそれはほほえましかったのだけど、好きにやらせてくれー!と思った。笑


ただ言われたとおりに動かすだけ。

考える余地も、失敗する余地もないというのはこんなにつまらないのか。



これが反対の立場で、ポケモンじゃなくて、宿題だったら?

なにかはじめてつくる工作や、運動だったら?

わたしの心の声は、いつもの息子の気持ちかもしれない。


うまくできるように、先回りして教えすぎてはいないだろうか。

なかなかうまくいかないのを待てずに、手を出しすぎてはいないだろうか。

そうやって、相手自身の体験をうばってはいないだろうか。



仕事でも、家事でも、子育てでも。

技術や経験に差があるときはとくに、こういうことが起きやすいかもしれないなぁ。

と、ゲームが下手くそなおかげで気が付きました、というお話でした。

ちなみに操作性が関係ないリングフィットアドベンチャーは大好きです。


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