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少しずつ少しずつ

ACという厄介なものに

ACというより自分そのものに

とうとう向き合わないといけない時がきた

向き合うというか仲良くなることが目標だ

それは決して自分の意志ではなく、大きな流れからだった

ずっと抱えていた生きづらさ

人との距離感のわからなさ

そして完全なる自己否定

自分を否定しているのだから

他人に寛容なわけがない

私は目標を達成するのに

人一倍の努力とストイックさがないと無理だと自分に課していた

そしてそれは周りにもだ

努力できない人間はダメな人間だ

結果を残せない人間はダメな人間だ

自分が小さい頃から言われ続けてきた言葉を

他人に向ける

なので仕事や趣味の場でも必ずトラブルが起きる

そしてなんであんな態度しかできなかったんだろうかと

寝込むぐらい落ちこみ泣く

薬を飲み

布団から這い出してまた努力をする

これを何十年と繰り返してきた

そしてコロナも手伝って誰もいなくなった

当たり前だ

そんな人間と誰が繋がっていたいと思うだろうか

他人の失敗も

自分の失敗も許せなかった

父親と呼ばれる人が倒れ

私の人生は大きく方向を変えた

不安定になった私は

ぎすぎすしていた人間関係を努力で維持できなくなり

コロナも重なり

学生の時からやっていた趣味を(私の中では生き甲斐だった)

手放すことになった

唯一子供の時に褒められて嬉しくて続けていた趣味は

何十年も間に純粋な「好き」から

執着へ形を変え

もっとうまくならなければ馬鹿にされる

もっとそつなくこなさなければ見捨てられる

私のあの部分が足りないからだ

私が努力できないからだ

あいつが足を引っ張るからだと

ノイローゼのようになりつつも

自分が生きてきた証がなくなるのが

怖くて怖くて

ずっと誤魔化し、しがみついていた

それが限界を超えた

大嫌いな父親と呼ばれる人をどうしていけばいいのか悩み

こんがらがった人間関係を維持することにも疲れ

自分自身への嫌悪感もすごかった

グループが揉め、辞めるだの辞めないだのぐちゃぐちゃになり

それを収束させることもできず

もう一度頑張りたいと言った人に

また一緒に頑張ろうと手を差し伸べることもできなかった

ただもう何もかも無理だと手を離してしまった

だから自業自得なのだ

なのに

父親と呼ばれるひとを

これからどうしたらいいのかわからず

イライラし

家族に八つ当たりし

自暴自棄になり手が付けられなくなった

何もなくなった自分が落ちぶれた気がして

洗濯物を干しながらベランダでワーワー泣き

父親と呼ばれる人のゴミ屋敷アパートを片付けながら

ワーワー泣き

みっともない日々を過ごした

朝が来るのが怖くて

義務感で家事をやり

仕事に行き

帰宅後

彼の今後のための山ほどある書類を書き

ケアマネさんと何度も話をし

いろんな人に会った

役所の手続きやケアマネさんと話すたびに

あなたの父親はあのひとですからね

と念を押されているようで

電話のあと、毎回吐いた

今振り返ってもあの時に出会った人たちは

皆さんとても良くしてくれた

親が認知症になるということが理解できていなかった私に

一つ一つ教えてくれた

それが仕事だったとしても

私にはとても有難かった

今でも感謝しかない

そしてそれから

私はカウンセリングを受けるようになった

もうそろそろ

自分で自分を受け止めないとと思い始めたのだ

初めのカウンセリングは4回ほどでコロナになり行けなくなり

最近はまた違う場所でカウンセリングを受けている

そこのカウンセリングに通いはじめてから

自分を少しずつ受け入れるしかないということを

実感したような気がする

でもこちとら長年ACのプロフェッショナルなわけで

急激に自己肯定感があがるわけがない

牛歩なみに

時には水前寺清子なみに

戻ったり

進んだり

を繰り返している







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