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生きづらさに気付いた日

1.大事な友人の結婚式に参列


先日、大事な友人の結婚式に招待をいただき、参加した。
友人は、とても気を使う性格の持ち主で、笑いも兼ね備えた人気者である。当日、その子は良い意味で、『周りに気を遣わずに』親や兄弟への愛を放っていた。

私はすぐ、『これを他者が聞いたら、どう思うか』を気にしてしまう。大衆の場では特に。気にする内容は、『これは、ちゃんと大人びでいるか…』ということ。

なので、私にとって、その友人の姿は、羨ましいくらい周囲を気にせず、家族への愛を伝えていた。

2.自分の感情である、と思っていたこと。


そんな友人の結婚式に参列して、なんかモヤモヤが一層高まった。
私のこのモヤモヤはなんだろう…そう思い、思考を巡らせた。
そして、

『あれ?私が今、やりたい…こうしたい…そう思ってたことは、本当の気持ちじゃないかも?』

私はどうしても、幼少期から自分の気持ちよりも、まずこの状況で必要なことを考える癖がついていた。
親子関係なのか、学校でのトラウマなのか、社会でのイジメなのか、それはわからない。
でも、ついついそれを考えてしまう。

だから、いつも苦しかった。

でも、「なんか、苦しい」と、理解したのは、
大学生になってから。
そして、「苦しい理由」が分かったのは、30過ぎてから。

そして、最近でさえも、自分の感情だと思っていたことは、
本当は『今の状況で必要なこと』を選んでいたんじゃないか…そう思う。

3.では、どうやって感情を確かめようか

必要なこと、
ベストな選択肢、
…そんな風に考え、言動を決めてきた私なので、本当の思いがなんなのかを知りたい。

色々考えても、結局は、

やってみる、
こころが踊るか。
右往左往しても、
結局行き着くところ。

こんな、簡単なこと。
それでも、周囲をよく見て、
必要性を考えて、ベストな選択をしてきた私にとっては、とてもむずかしいことだった。

そして、イジメやパワハラ、虐待を受けてきた方々も、抑圧された感情を吐露する難しさは、動揺なのだと思う。

こころのアンテナを
高くする生き方はとても単純で、とても難しいこと。

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