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食べ物の好き嫌いはいいの?悪いの? 日本と外国、サービスの違い

通訳ガイドのぶんちょうです。外国人観光客を案内していて日本人とここが違うと思うことの一番が食べ物の好き嫌いについてです。アレルギーは別として、日本人は基本的に出されたものは食べるというのを礼儀と思っている人が多いのではないかと思います。

私の子どもの頃は今よりもずっと「食べ物を残すことはいけない」という考えが強くありました。小学校の給食の時間、キャベツがどうしても食べられない男の子がいました。

私たちの担任は比較的年配で、規律に厳しい先生でした。その子に対しても残さず食べるように強要していました。みんなの給食が片付けられた後も、その子は、自分の机の上の、キャベツのサラダの乗ったお皿をじっと見つめて昼休みを過ごしていました。

午後の授業が始まり先生が教室に戻ると、先生は、そのままのお皿を見て、お皿を給食室に持って行くよう、静かにその子に言いました。

今だったら体罰と捉えられる可能性のあることですが、当時は厳しい先生というだけでした。子どもが食事を残すと言うことは摂取する栄養が偏ることなので、当時はそれが正しいことだったのかもしれません。

私にも多少の好き嫌いはありましたが、いちばん空腹を感じている「いただきます」直後に嫌いな物を一気食べをして、なんとかやり過ごしていました。周りの子たちもそんな風なことをしていたと思います。

そんな時代に育ったせいでしょうか。食事を残すこと対して今でも多少の罪悪感みたいなものが伴います。若い頃、遠い親戚の家に行ったとき、好きではないものを出されてしまいました。残すのは失礼だと思い、一気に食べたところ、好きなのだと勘違いされ、さらに盛られてしまい困ったことがありました。

通訳ガイドをしていると当然、外国人と食事を共にすることになります。慣れない食事で、どうしても食べられないものは多くなります。団体のツアーの場合は、アレルギー対応は事前にきっちりするので問題ないのですが、好き嫌いは基本的には対応しないことになっています。

好き嫌いの要望を受け入れてしまったら、団体の場合はレストランも、てんてこ舞いになるでしょう。日本人なら基本的に出された物のなかに苦手なものがあれば、残せばいいと考えると思いますが、外国人は必ずしもそうではない場合が多いのです。

つまり、嫌いなものが器のなかに一緒に入っていてほしくないというケースです。見たくもないということです。食事は楽しく、つまり好きな物だけを取るべきものという考えが根底にあるのかもしれません。

外国人客から、ある食材を小さな器から、外してほしいと言われ、お店に依頼しました。すると、これを取り出すとと全体の形のバランスが崩れるからと断られました。そこをなんとか、とお願いしてやっと外してもらったことがあります。

運良く嫌いな物をお店のほうで避けてくれたとして、その後には、その減った分の代わりになるものを要求されることがあります。初めて、そんな要求をされた時は、正直な話、わがままだと感じました。同時にレストランに申し訳ない気持ちになりました。

でも、これも昔のことですが、若い頃に行ったアメリカでは普通の食堂でもベーコンの焼き方を細かく指示し、何かの代わりに何かをくださいと注文するのは当たり前のことでした。これを多くの人がしていたので、さぞかし作る人は大変だろうなと思いました。

また、お店側の決めたメニューは絶対だと日本では思っていて、それに一部変更を依頼するなんて考えたこともなかったので驚いた記憶があります。

日本のサービスは、その道のプロであるお店側が一番いいと思うものを形にして提供する。そして、それはプロによって完成されている最高のものだという前提があるから、客は、それを黙って味わうのがいちばんの喜びだという双方の同意に基づく考え方なのかもしれません。

しかし、ある文化では、客側の好みがあり、それにいかに近づけるかがサービスのようだと言うのがツアーを重ねるなかでわかってきました。

日本のサービスの質の高さは世界から絶賛されている話はよく聞くと思います。でも。日本の「おもてなし」が異文化のなかでは、ちょっと浮いちゃうということが時々あるのも事実なのです。



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