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楽園BGM5 プラスティック・ラブ/竹内まりやと、今さら聞けないシティポップ史(東京・日本)

今さら聞けないシティポップのイロハ、5分で解説します

せっかくなら今回は全アジアで行きましょう。さて日本の音楽として現在世界的にゆるいブームとなっているのはCity Pop(シティ・ポップ)でしょう。確かにシティ・ポップという名前は聴いたことあるけど、それは具体的には何なの? とお思いの方も多いでしょう。でも、海外を渡り歩く日本人である読者にとって、シティ・ポップについてぐらいは曖昧ではなくちゃんと知っておきましょう。まず、シティポップの定義を話せば、70年代〜80年代に作られた、それまでの歌謡曲と一線を画す洋楽志向の曲たちを指します。

シティ・ポップにカテゴライズされる曲は1000曲や1万曲を超えると思いますが、人気があるところでは、「プラスティック・ラブ/竹内まりや」「真夜中のドア/真夜中のドア〜stay with me/松原みき」「DOWN TOWN/シュガー・ベイブ(EPO ver. もOK)」「都会/大貫妙子」「SPARKLE/山下達郎」「ピンク・シャドウ/ブレッド&バター」、ああ、書ききれん。まあ、この辺りがよくまとまっていて詳しいです。参考まで。

さて、人によって定義はまちまちですが、70年代・80年代当時からシティ・ポップという呼称があったわけではありません。当時は、従来の歌謡曲にカテゴライズされない曲としてニューミュージックと呼ばれていました。歌謡曲はニューミュージックを経由して、J-POPへと継承されていきます。そんな端境期に生まれたニューミュージックですが、特に90〜00年代あたりのDJカルチャーが盛んだった時期から、レアグルーヴと言って他の人が知らないかっこいい音楽を探す行為が盛り上がりました。洋楽だけでなく過去の素晴らしい邦楽を再編集するムードが高まり、上記のような美しい、都会的なソフトロックにほんのちょっとR&B要素も入れました、みたいな音楽を総称してシティ・ポップと呼ばれるようになります。ですので、ニューミュージックの一部がシティ・ポップと呼ばれますが、全てのニューミュージックがシティ・ポップではありません(例えば、サザンオールスターズや吉田拓郎などはニューミュージックではありましたが、シティ・ポップに分類されることはまずありません)。この辺り、後からやってきた人が勝手に編集した存在しない音楽ジャンルと言えなくもありません。90年代の音楽、渋谷系も似たようなところがありますが。でも、後からやってきた僕らがこれらの楽曲を聴くと、確かにこれはジャンルと言えます。音楽って不思議ですね。
さて、90年代以降の音楽であっても、オリジナル・ラブ、キリンジ、ピチカートファイブ、(90年代)、NONA REEVES、流線形(00年代)、Awesome City Club、Never young beach(10年代)など、シティ・ポップの影響を感じられるアーティストは常に登場し続けますが、これらのアーティストは、シティ・ポップに影響を受けた次世代ということで別カテゴリな気がします。
さて、シティポップに登場する名前を見てると、同じ名前が重複していると気づくと思います。山下達郎、松本隆、坂本龍一、細野晴臣、松任谷正隆、荒井(松任谷)由実、矢野顕子など。これらの人脈を辿っていくと、はっぴいえんどという70年代のフォークバンドから連なる人脈ということに気づくと思います。松本隆・細野晴臣・大瀧詠一・鈴木茂という奇跡のメンバーで結成されたバンドは、3枚のアルバムが発表され早々に解散します。はっぴいえんどの曲がシティポップかというと少し違うかもしれません。しかし、細野晴臣がその後に結成したティン・パン・アレイというバンドとYMOというバンドのメンバーやそのサポートメンバーを合わせると、シティポップの作り手の5割ぐらいをカバーできてしまいますし、松本隆こそ日本の泥臭い歌謡曲を詩の面からカラッとしたポップスに変えた張本人と言えますし、大瀧詠一は本人のその後の活動もさることながら、山下達郎を見出した人としてもシティ・ポップの超超キーパーソンです。このように、この時代の良質なポップスを職人的に作る人の数は限られており、その人脈の中からこれらの美しい楽曲が生まれました。
さて、ここまでは日本の話。現在の世界的なシティポップの流行を考える上ではVoperwave(ヴェイパーウェイヴ)について考えなければいけません。これは2010年代頃に世界的に流行した概念で、この頃、YoutubeやSpotify等で様々な過去の音源が合法違法に関わらず聴けるようになったことを背景として、昔を知らなかった人たちがすっかり現代では聴かれなくなった古い音源を掘り出してリミックスし、新しい音楽として発表される動きが登場しました。これらはベッドルームでこの音源が、昔の音源ということもあってLo-Fi(ロウファイ)であって、要するにモノラルっぽさというか、音と音の間が明確でないような曲がまるで蒸気を浴びるような体験だったことから、Vapor(蒸気)Waveと呼ばれました。
このVapor WaveのDJたちがオンラインで竹内まりやのプラスティック・ラブを気に入って自分たちの作品に取り入れまくったことから、この曲は世界的に注目を集めるようになり、やがて日本のCity Popというジャンルが注目された経緯があったのです。
そして、このWeb上に多数存在したVapor Wave から、極めつけのようなリミキサーDJが登場します。彼女の名前は、Night Tempo。日本人ではなく韓国人でした。よかったら原曲と比べてみてください。

これは泰葉のフライデイ・チャイナタウン。明らかに原曲にあった昭和臭さが一部脱臭され、華やかさが増した印象です。

アートワークを見るとわかると思いますが、Night Tempoの功績はシティポップに日本のアニメーションを加えたことが大きいと思います。これにより、シティポップは本当に世界中で親しまれる日本産コンテンツとして広まるようになりました。

70〜80年代に生産され、90〜00年代に発見され、10〜20年代に世界に広まった、数奇な運命を辿ったシティ・ポップ。まだまだ書きたいことはあるのですが、いいものは時代を超えるというありきたりな言葉を持って締めたいと思います。


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