美術館の順路の序盤が暗すぎる件。
国立西洋美術館のロンドン・ナショナル・ギャラリー展に行ってきました。
この企画展は入場時間が分けられている「日時指定入場券」で入場するシステム。
当日の朝に思い立ったので、午前中はすべて売り切れていましたが、「14:30〜15:00」の入場券があったのですぐに購入しました。
閉館時間は17:30なので3時間あれば十分です。
まずはおにぎりを食べる。
上野に着いたのは12時半頃。
朝に降っていた雨はすっかりあがって、太陽が照り始めていました。
平日だしコロナ禍の影響で人があまりいないだろうと踏んで、おにぎりを持って行ったのですが、予想は的中。
まばら……まではいきませんが、かなりのソーシャルディスタンスを保って外でお昼を食べられるくらいにはすいていました。
人がいないし天気もいいし、でも朝に雨が降っていたので涼しいし、持って行ったおにぎりを食べた後は、ついでに日記も書きました。
おにぎりを食べ終わった頃には少し暑くなってきていたので、13時頃、西洋美術館に入館しました。
美術館に行った理由
そもそも美術館に行こうと思い立ったのは、松浦弥太郎さんの『今日もていねいに。暮らしのなかの工夫と発見ノート』を読んで触発されたから。
本の中の「本物のメモ」という章では以下の内容が書かれていました。
「メディアの発達で本物に触れなくても情報は手に入るようになりましたが、それはあくまでも概略」
「『実際に実物を見る』という意識を持ち続けるのは、たいそう大事なことです」
「本物に触れず、外からの学びをインスタントなものだけに頼っていたら、そもそも自分の持っていた感覚が少しずちダメになっていく気すらします」
……確かに実際に絵の実物を見たり、お芝居やライブに行って観るのって、元気出るよな。圧倒的に……と納得。
まだ早朝でしたから、すぐに東京の美術展を調べたのです。
つまり、「元気になる」ために美術館に行きました。
常設展へ!
国立西洋美術館に入り、さっそく常設展の中へ。
企画展のチケットがあれば常設展も見られるんです。
最初は彫刻のエリア。
有名なロダンの『考える人』が置いてあり、思わず「ロダン 考える人 本物」で検索しました。
あまり美術に詳しくないので、日本に『考える人』があるのかさえ分かりませんでしたから……
調べてみると、国立西洋美術館も本物のロダンを所有している、とのこと。
しかしその彫刻は前庭に置いてあるそうです。
「ということは、これはレプリカか」
と納得し、次のエリアへ。
(違ってたらごめんなさい)
順路の序盤
私は生真面目な性格なので、美術館は最初からきちんと見てしまいます。
絵画なんですからもっと気楽に楽しめばいいのに、と頭では思っているのですが、なんせチケットは1700円もしましたから。
目に焼き付けて帰りたいですよね。
ですから常設展も序盤から真剣です。
まずは14〜16世紀の絵画。
気合を入れて足を踏み入れ、順番に、1枚1枚丁寧に見ていきました。
国立西洋美術館のすごさだと思うんですが、14〜16世紀の絵画だけでも結構な数があるんですね。
そして、十五分くらい経った頃、まだその時代の絵画を見終わらないうちに、私は気分が悪くなっていました。
理由のない不安感が増し、どんどんしんどくなってくるのです。
この症状……なんだっけ。
ああ……鬱の症状だ……
序盤が暗い!
「美術館行くぞーっ! 元気になるぞー! イェーイ!」って意気込んで美術館に来たのに、序盤で鬱。
まだメインのロンドン・ナショナル・ギャラリー展にも行ってないのに。
というのも、14〜16世紀の絵画って、人物画と宗教画ばかりなんです。
そして人物画は、基本、暗い。
雰囲気も暗いですが、そもそも背景が暗い。
黒っぽい、茶色とか、なんかそんな色。
で、その中に人物の顔がくっきり浮かび上がっているんです。
ホラーです。
そんな風に受け取ってしまってごめんなさい。
すべて私の無知からくるんだと思います(このへんが鬱)
でもなんでこんなに背景暗いんでしょうか?
流行り?
そういうのがオシャレだった……?
疑問は浮かぶのですが、鬱なのでネットで調べる気力もありません。
宗教画、苦手かも
宗教画も見ていると不安になってきます。
人物画に比べると色調的な暗さはないのですが、なんせ題材が残酷。
よく竜が描かれているのですが、必ず槍で突き刺されているんです。
まだしも竜が大きかったら、「人間vs竜」で人間が勝ったんやね、頑張ったね、と思うのですが、
竜のサイズは中型犬〜大型犬くらいです。
槍で刺されて足蹴にされて、「ギャーッ」て鳴いている感じで人間を振り返っています。
かわいそうです。
描かれた当時は「動物愛護」なんて概念自体が存在しなかったんだと思いますけど、21世紀の私が見ると、辛いです。
題材として人気なのか有名なのか、竜を殺す系の絵は2枚ありました。
それから、「受胎告知」系もなんだか不安になります。
天からの光がピカーッて、マリアのお腹を射しているんです。
不安です。
人って、そんな風に生まれてくるん?
マリアはそれでいいん?
誰の子かよくわからない子を身籠もっていいん?
私も子どもは欲しいのですが、精子提供者を探すのは大変なことです。
選択肢として「天からの光」があれば選択すると思います。
でも、この時代のマリア、それでいいん?
問いかけてみても、当然ながらマリアは答えてくれません。
ちなみにマリアの顔ですが、表情を見るとなんだか暗いんです。
人生を諦めた顔っていうか。
「どーせ結婚できないし」
そう言ってる気さえします。
私の無知と、アンテナが壊れているせいもあるかもしれませんが、でも不安になります。
他にも宗教画の題材としては、
キリスト降臨、最後の晩餐、キリストが十字架にかけられてるところ、降ろされたところ、聖母マリアのなんか。
聖母マリア多いですね。
あと、『マグラダのマリア』みたいな、ナントカのナントカ、AのB、みたいなタイトル多いです。
ジブリか。
なぜ順路の序盤に古い絵を持ってくるのか。
繰り返すようですが、順路の序盤は14ー16世紀の絵画。
最初に暗い絵と宗教画ばっかり。
不安になります。
落ち込みます。
鬱になります。
不安→落ち込み→鬱。
鬱になって休職したのに、少し元気になって美術館行ったらまた鬱になるって、何のルーティンよ。
いっそ石器時代の壁画、とかなら落ち込まないと思いますが、そうなると美術館ではなく博物館の範疇……?
もちろん絵画を見る上で、歴史を遡って順番に見ていくのは大事なことだと思います。
でも……最初に不安感の打撃をくらうんです。
だからまずは、順路の序盤にモネとかルノワールとか、光の絵というか、明るいのをもってきて、それでハッピーな気分になって、それから歴史を振り返りませんか?
もしくは……「順路」という概念をなくすか。
これは良さそうですね。
そもそも美術館って部屋から部屋への移動が自由度高く設計されていますし。
順路がなければ、好きなエリアから見ることができる……これだ!
「そんなに言うなら最初は飛ばしてから見ればいい」「14〜16世紀の絵は見るな」と思うかもしれませんが、生真面目ゆえ、それはできません。
それに、「昔は暗かったけど、18世紀くらいから変わり始めて、19〜20世紀、第二次世界大戦の前までくらいは、明るい! 好きな感じの絵!」というのがわかるので、あはり14〜16世紀の絵も見ておきたいですし。
……あ。
つまり……そういうこと?
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