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桜が咲くと思い出の中の記憶が舞い散る

今年は例年に比べて一層草花が綺麗に見える。
人が厳かだから
外を歩く事に丁寧になっているから
世の中に動じず季節の流れを確かに刻んでいるから。

人に何かを伝える時
内容の真意を掘り下げるのか
相手にどう感じてほしいのか
無意識に反応を見て選び進めると
迂回しながらそっと軸を誤魔化し
元々確かな結論はなかった事になる。

職種としてのスキルということではなく
人としての
関わりが、パフォーマンス。
何か行動し、言葉を発し、意思を示すことは
無数の選択肢から判断基準を通過した 表現。

その組み合わせはきっと
影響を記録として残したものから成り
情報の乏しさ、豊かさだけではない
思考の整理が行われて使うことができる。

日本に四季があるのではなく
日本の文化が四季を尊重した
それぞれの心や事の有り様を 変わりゆく刹那な流れとして汲み取り
文字という言葉や芸術などあらゆる手法で表現した。
それを感じてまた人は塗り重ねていく。

ただカタチになれば良しとして出来上がったモノの中身は
箱を開けるまでの楽しみで
すぐ次を待つだけ。
そんなカラ箱がたくさん転がる道を歩きながら
命が吹き出すように開いた花のわずかな彩を目にすれば
その瞬間は何よりも貴重で大切な豊かさに思う。

再現性はなくとも不変。
確かな事象。



何年も前の晴れた春、一人で異国を歩きながら

街の中にある丘を上がっていくと自分の真上に太陽がある事に気付いた

その太陽の周りには虹の円ができていた

前から来た大学生に
「この国は空気が綺麗だから、晴れている日にああやって虹が見えるの?」

そう尋ねると

「気にした事なかったから知らない。」

と言って降って行った。


旅先で見た事ない景色に感動した自分と
それに無反応な誰かとの擦れ違いは
人生の紙にピンを留めるような気付きであり
時が経ってまた何かと結ぼうと心に刻んだ記憶がある。

生きているという表現をやめない限り
無数の可能性はその時しか生まれない結論として
誰かの始まりを生む。

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