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14 答えは、腹の中にある。

 ガチャリ。

玄関のほうから、父の帰ってきた音がしました。膝で寝ていた猫が自らリビングのドアを開け、父を迎えに出ます。

ときは、カラオケ全盛期。テレビから流れる流行りの歌をぼーっと口ずさんでいたわたしは、すこし姿勢を正し、何食わぬ顔で「おかえり、ごはんあるよ。」と返します。

父はビールの缶を開けながら、おもむろに会話を切り出しました。「手紙読んだよ。行きたいという気持ちはわかった。でも、これって決めたんなら、もう他の普通科の大学は受けないと約束すること。そこにすこしでも迷いや未練があるなら、今回のことはなかったことにしたほうがいい。」

20年ほど前のことなので、うろ覚えではあるけれど、たしかこんなことを言われたような気がします。受かった勢いにまかせて「行きたい!」と言ってるんだとしたら、なんとなくで払える金額じゃないよ、そんな生半可な気持ちで行くところじゃないよと、父なりに示唆していたんだと思います。

「うん、わかった。もう他は受けない。」

わたしは、そう答えました。サッとその言葉が口に出たとき「あぁ、迷っていたのは頭のほうで、腹のなかではもうとっくの昔に答えが出ていたんだな。」と妙に腹落ちしたのです。

そして、わたしは晴れて美大へ進学し、広告制作の道へ一歩近づくことになりました。憧れのデザイン科、周りは手練れの集合体。さて、どんな日々が訪れるやら、それはまた別の機会に。

話はすこしそれますが…

母はわたしが高校一年生の冬に突然脳出血で倒れたまま意識が戻らず入院中だったため、当時は父と弟とわたしの3人暮らしでした。

朝いつもどおり学校に送り出してくれたはずの母が、次に会ったときにはたくさんのチューブにつながれ生死を彷徨っている。それまでの16年間、幸か不幸か一度も近しい人の死や病に向き合ったことがなかったわたしにとってその衝撃は計り知れず、まるで終わらない悪い夢のなかに放り出されたようでした。

人は突然、なんの前触れもなくリセットされる。

神様なんてものは存在しない、自分の運命は自分では決められない。そんな現実を嫌というほど突きつけられたわたしは、いつ強制的に人生を終わらされても、ここまで思い通りに生きたから満足だー!!と言って死ねる人生を歩もうと心に決めました。このときすかさず美大に行く決断をできたのは、この実体験が根底にあったなーと今になって思います。

それに父の聴き方も今思えば素晴らしいな、と。なにかを自分で決めて宣言するということは、もう誰のせいにもできないということ。もちろん社会のせいにも時代のせいにもできない。なぜならそれを含めて読み違えた自分のせいだから。人生って思ったより長くて失敗もたくさんする、でもその失敗した自分といかにして向き合えるかどうかが大事だったりするから、父にはあのとき自分がどうしたいのかはっきり口に出して言わせてくれたこと、ちゃんと腹落ちさせてくれたことに感謝しています。そして、わたしの決断を受け入れてくれたことにも。

近々、父にあのとき娘にこんなこと言われて、ほんとのところはどう思ったのか聞いてみようかな。そして、それが今のわたしの子育ての指針になっていることも、恥ずかしいけれど伝えておきたいな。

てわけで、やっと高校編終わりました。長い。長いよ。自分でも読む気なくすよ。すみません。

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