01 カタカナの肩書きに憧れて。
わたし、何になりたいのかな?
アレは忘れもしない1999年、高校2年生の冬。数字がとにかくキライという理由だけでとりあえず文系を選択したものの、進路をどうやって決めていいのかわからず、毎日学校の帰り道にでっかい本屋さんをひたすら徘徊していました。普段は雑誌やマンガ、小説のコーナーくらいしか足を踏み入れなかったけれど、大きな本屋の筋という筋をつぶさに見てみると知らない言葉が無限に広がっていて、あまりの世界の大きさに気が遠くなったのを憶えています。
なんでもいい、人と違うことがしたい。
世間的に進学校と呼ばれる高校に籍を置いていたので、まわりは進学一辺倒。大学名や偏差値こそが評価軸な毎日が退屈で、あまのじゃくなわたしはぼんやりこんなことを思っていました。当時はまだなかったけれど、13歳のハローワーク的な本をパラパラめくっては、なりたい自分を想像する日々。そこで、17歳思春期真っ只中のわたしは気付いてしまうのです。
カタカナの職業って、カッコよくない?
今でこそディレクター、エディター、コーディネーター、どんな職だってカタカナで表されますが、当時はなんか特殊な才能の持ち主なかんじがしたんですよね。そんな不順な動機で、最初に手にしたのが「イラストレーション」という雑誌。そこには桑沢やら美大やら美術系の予備校の広告がひしめきあい、まさにはじめて見る新しい世界にトキメキが抑えられない!こんな進路があったのか!誰も教えてくれなかった!一目惚れしやすい性格のわたしは、一気に持っていかれました。
でもなぜか家に連れて帰ったのは、その隣に置かれていた「広告批評」というマニアックな雑誌でした。理由はカンタン、1000円なのにおまけでCD-ROMがついていたから。当時、家にパソコンが普及しはじめ、うちにもその波は遅れて到着。少しずつ使い方をマスターしていた時期だったので、それを試したい気持ちが勝ったのです。
世界のコマーシャル 1999
この出会いが、今思えばわたしの人生の転機でした。普段から見ているテレビのCMや雑誌の広告は誰かが作ってるんだという当たり前のことに気づき、コピーライターという職業があることをはじめて知りました。
あれから5回の引越を経験した今でも、この号は本棚に大切に保管しています。もうCD-ROMはさすがに再生できないんだろうけど。
↓ ゆるゆる続きます。
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