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もう二度と戻らない自由意思についてー 一九八四年(ジョージ・オーウェル)

突然だが、あなたは今正常な世界に住んでいると思っているだろうか。
もちろん、このコロナウイルスの蔓延により、そんな風には到底思えないという気持ちになっている人もいるだろう。
不安が多く、自分で決断できていたことが出来なくなった人も少なくないと思う。

しかし今は、基本的には自由意思のもとに世界は成り立っている。
自分が何を信じるかも、何を思うかも、何をするかも、基本的には自由があるはずだ。
でも本当にそうなのだろうか?
ジョージ・オーウェルの『一九八四年』は、自分自身の自由意思とは何かを深く問いかける小説だ。

ビッグ・ブラザーという絶対的存在。それが人々の意思であり、私の意思。
何を考え、何を愛し、何を憎むか、どう生きて、どう死んでいくかも決められた運命の中で生きる。戦争を期に、突然そんな世の中になった。
この世の中には三つの層が存在する。

ビッグ・ブラザーの下には党の内局、その下に党外局、そして一般市民であり労働者階級のプロールだ。

腹立たしさと苛立ちを抱えて自由意思を振りかざし出す、党外局に勤める主人公。
彼はブラザー同盟と呼ばれる反政府地下組織に興味を持ち、そこから主人公の運命は急展開するーー

"ニュースピーク"という新たな言語を作り出し、人々の表現をどんどん不自由にさせてゆく流れ。
自由意思を縛り付けることで生まれる人々のフラストレーションを発散させる"二分間憎悪"という仕組み。毎日悪の権化の姿をテレビに映し出し罵倒させる政府。

思考でさえも罪とし罰する"思考警察"達。

過去の出来事もすべて都合が悪くなれば捏造する検閲。

人の意思を無くしてゆき、意思を持つことの意味を消し去ってゆくシステムには驚かされた。

【2+2=4だが、同時に2+2=5でもある。】

そんな"二重思考"と呼ばれるグレーすぎる仕組みをも作った政府。
これはまさにマインドコントロールだ。

いつの時代も、『信念を持ち続けろ』『自分の正しいとおもう道をゆけ』などという言葉はあるが、果たしてどこまでそれらは自由意思なのだろうか。
そして、その信念はどの程度強固なものなのだろうか。

先日観たロイヤル・アフェアというデンマークの映画で、主人公の男は王妃を愛してしまった罪を背負い、拷問され王妃との情事を暴露し、最期は王妃の姿を思い出しながら首を切られ死刑となった。
ここに自由意思はあるだろうか?

答えはyesだ。

なぜなら、最期に愛しい王妃の姿を思い出しながら死んでゆくことができたからだ。
オーウェルの一九八四年の世界では、思い出すことも考えることも愛することも許されない。ビッグ・ブラザーへの愛と忠誠以外には何も認められないのだ。
だからこそ、徹底的に信念を捻り潰す拷問をする。最期は愛する女を差し出すことも厭わなくなるほどに。
信念は打ち砕かれ、もう二度と女に「あなたを愛している」とは言えなくなる。
何故ならその女を自分の身代わりにしてくれと叫ぶ自分が脳裏に焼き付いて離れないからだ。
ビッグ・ブラザーへの憎しみと、愛情を同時に持ち、主人公は生き続ける。
こうして、完璧な二重思考が完成する。
もう逃れることのできないマインドコントロールであり、あなたは生まれ変わったのだと。

きっと私たちが今抱いている信念だって、権力ある者の立場からすると、へし折ることなど容易いだろう。
それでも私たちは望み、信念を疑わない生き物なのだ。

しかし、村上春樹が著書である『アンダーグラウンド』にて語っていたように、【ああでありながら、同時にこうでもありうるという総合的、重層的なーーそして裏切りを含んだーー物語を受け入れることに、もはや疲れ果てている】
そんな状況に、今の日本も、いや世界もなりつつあるのではないだろうか。
まさに二重思考を強いられる世の中になってきている気がするのだ。
それは自分自身の心の置き場所を亡くし、自我を投げ出す可能性を孕む。

正常な世界と異常な世界の境界線はほぼ存在しない。
根っこは同じ恐怖から来るのだ。
何かを信じ、望み、生きていくことで打ち砕かれる恐怖。
クリストファー・ノーラン監督の『ダークナイト』でヒース・レジャー扮するジョーカーが語っていたように、この世界では正義と悪は表裏一体であり、お互いが見当違いの正義感を振りかざしているように見える世界なのだ。

正しい唯一のものを追い求めて人は苦悩する。
しかしそれは同時に人を人たらしめることであり、自由意思の素晴らしさでもある。
これもまさに二重思考であるが…
あらゆる自由意思が世界を創造し成り立っているこの社会システムの中で、自分はどう生き抜いていくかを考えるきっかけをくれる小説だった。
村上春樹の『アンダーグラウンド』とたまたま同時に読むこととなったが、
オウムという小さな全体主義的組織の中ではもしかして、一九八四年の世界観と同じことが起きていたのではないかと、思わずにはいられなかった。

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