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遅いとか早いじゃなく、そういう時。

期末テストの成績発表。絶対絶命と思っていた科目が無事に通過。夏の補習もない。9月半ばまで学校に行く必要はなくなった。すごくうれしい。
前期最後の今日、学校で「就職説明会」があり、鍼灸マッサージ関係のいろんな企業の担当者のみなさんとの自由面談が開催された。とはいえ、無事に卒業した時、すでに66歳になっている私を雇いたい会社なんかあるわけもなく(笑)、マスクで年は誤魔化して面談を受けるのは申し訳ない感じ。

とは言えぶらぶらしているのも暇なので、誰も人が寄っていないブースに行って、鍼灸業界のお話を聞いてみることにした。

一番隅っこのブースは十人規模の整体鍼灸院、来ていたのは経営者、つまり院長先生だと言う。
整体をメインにしているようなので、ここはたぶん「現代鍼灸」の治療院だろうなと思い、「こちらの施術は現代鍼灸ですか?」と聞くと「現代鍼灸?……というか、西側です」との答え。

「西側というのは、つまり西洋医学側ってことですか?」
「そうです。うちは訪問介護の部門もあり、医療従事者との共同作業があるので、西洋医学的な説明を重視しています。そうでないと、医療従事者の方たちと会話が成り立ちませんからね」

「そうなんですね。では伝統鍼灸、つまり東洋医学的な鍼灸はやらないということですか?」
「やらないと言うことではないですが、東洋医学の論理で患者さんに説明してもなかなか理解してもらえないです。わかりやすい説明をする必要があります。なので西洋医学的なエビデンスを大事にしています」
このことは学校に入学して実感する。東洋医学概論という授業のコマ数はとても少なくて、解剖学の授業は圧倒的に多い。そもそも「臓腑」というものが東洋と西洋では違う考え方をするのに、その両方を同時に詰め込まれている状態がずっと続く。

自分は、すでに周りから浮いている気がしている。先生方は誰も「気」の存在など信じていないし、見えないエネルギーなんてオカルトだと思っているみたいなんだ。

「結局、東洋医学の論理を語っても、それは目に見えないし神秘的で偏ったものに思えてしまいますから」と、鍼灸院の院長さんも言うのだった。

「では、先生はなぜ鍼灸師になったのですか?」
「……最初のきっかけは、どうして鍼で人が治るのか不思議だったからですね」
「私もそうです」
「でも、訳のわからないものを患者さんに説明するのは大変難しいし、東洋医学の理論では医師や看護師とも対話が成り立たないのですよ」
なんかこの言いかたが納得できない私は、さらに先生に質問してみた。
「先生は、ご自身に鍼を打つことはありますか?」
「自分に?」
「そうです、体調が悪い時とか自分で鍼を打つことは?」
「私はね、自分に鍼を打つ鍼灸師は三流だと思っています」
「三流? それはなぜですか?」
「もし具合が悪かったら私はスタッフに鍼を打ってもらいますが、見ての通り健康なので自分に打つということはありません。それに、自分に鍼を打っても意味がないでしょう?」
「どうしてですか?」
「患者さんを治療するのが鍼灸師の目的です。自分に鍼を打って効いたの効かないのと言っている鍼灸師は、自己満足に浸っているだけで、そういう鍼灸師は三流だと思っています」

 自分に鍼を打つ必要もないほど健康な人……うらやましい。治療者は健康であってほしい。病弱な治療者ってどうよ、って思うけれど、でも弱さがない人は患者さんに共感できるんだろうか(共感は必要ないのかな?)。自分で実感しないで「経絡」を理解できるんだろうか。なんかもやもやするけど、こちらは圧倒的に経験値が少ない学生なので、もやもやしたままお礼を言って席を立った。

 60歳を過ぎて東洋医学に興味を持ったのは、自分の身体が弱ってきたからだった。私は元気だった。ものすごく元気だった。この院長先生のように鍼なんか打つ必要もないくらい元気。病院なんかかかったこともない。無理をしてもすぐ立ち直った。それくらい元気だったんだ。

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