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パラレルワールド

【現代篇】

  12月中旬、夜が長い季節
   
 午後4時半を過ぎると、
   空がどんどん降りてくる。  
   
 今日こそは暗くなる前に、犬の散歩に行こうと決めていたのに、
わざわざ4時を過ぎてから、 
「これだけ済ませて!」と
 全く急ぎではない、細々した雑用をグズグズしている内に、
 また今日も、
 重力とギリギリの戦いをしているかの様に踏ん張っていた、
 オレンジ色の冬の空は、完全に真っ暗な夜色に姿を変えた。
 

 愛犬の散歩は、十分もかからないのに、ここ数日、
懲りもせず夕刻に同じ事を繰り返している。
 
 陽の光にそっぽをむかれ、夜に負けたような謎の敗北感を感じ、
側で可愛い寝息をたてて、呑気に眠る愛犬を見て、
自分のだらし無さに呆れ、情けない罪悪感が生まれる。
 
 努力以前の小さ過ぎる日々の失敗は、積み重なると、
想像以上にダメージが大きく、自分の事が嫌になる。
 
 
 そう言えば、あと数日でクリスマスか。
 
 去年はテレビで、犬のクリスマスケーキの紹介を
見ていた父が、何故か突然、
「買ってやれよ」と言って来た。
 基本的に、その手の物を嫌がる傾向の父からの言葉に、
かなり驚いた記憶が蘇る。
 
 驚いたもう一つの理由が、愛犬は食が細く、
自分のお気に入りのおやつ以外の食べ物には興味がない。
それでも溺愛と自己満の塊と化した愚かな飼い主である私は、
 次こそは!、これなら!、と、
 どこまでも盲目に突っ走り、まさに、手を替え品を替え、
色んなおやつを買って来ては、惨敗記録を更新し続けていた。

 
それでも、流石に愛犬が10歳を過ぎてからは、
筋金入りの愚か者の私でも、
 買ってみよう!精神は消滅していた。
 
 10年以上、目の前で繰り広げられた、美味しいはずだ、
これなら喜ぶだろう、と勝手な思い込みだけで買ってきた、
犬用のおやつを必死に食べさせようと、口に持っていく私と、
断固として口を開けない犬との闘い。
 そんな光景を日々、見せられていた父は、両者の事を、
心底呆れて見ていたはずだ。
  
でも、

「食べないんだから勿体ない!、もう買ってくるな」
と言いながら、溺愛度合いでは、私に引けを取らない父には、
愛犬に対して一つだけの不満と、
10年間、変わらぬ願望があった。
不満と願望は同一だ。
 
 食に興味がない事の弊害からか、
愛犬は、あまり感情表現が豊かではない。
 
 もちろん、全く感情がない訳ではなく、
お気に入りのオモチャで遊び、一種類だけ、
長年変わらず、大好きなおやつもある。
 
 

 今だに不思議なのが、家に来た3日間は、母犬や、
兄弟から引き離された不安が、少しでも軽減され、
家や家族に慣れて貰おうと、トイレを失敗しても、
叱らないと決めていた。
 その後は、気長に根気強く、
 トイレトレーニングをしようと思っていた。
 
 それが、たまたま一度、シート上で成功した事を、
盛大に褒めると、そこからは、殆ど失敗する事なく、
トイレを覚え、トレーニングは、ゼロ日で終了した。
 
 初日から、全く手のかからない子だった。
 

 しかし、犬と言えば、
 いつも元気に尻尾を振って縋り付き、
一点の曇りもない瞳で飼い主を見つめ、
お腹を見せ、全力でおねだりして貰ったおやつを、
嬉々揚々と食べる、
 
 それは、犬との暮らしの中では、日常、
 当たり前に体験できる至福の時だ。 
 
  先代犬のように、、 
 
その当たり前の体験を、愛犬の性格からか、
殆ど出来ずにいる事への不満。と、

「なぜ欲しがらない?」と、ぼやき
「病気なんじゃないか?」と心配しながら
食べ物と飼い主を交互に見て、はしゃぎ、
何度も欲っし、全身で喜びを表現する姿を見たいという、
不満と同一の願望を常々、口にしていた。が、
 
 それでもケーキを「買ってやれよ」
 発言には、

 まだ諦めてなかったの?と、かなり驚いた。
 そして、私は、またしても性懲りもなく、
頼まれてもいない犬用おせちを一緒に注文し、
結果、惨敗記録を更新した。 
 
 
あれから一年、生活は全てが変わった。
 
 

【追憶 東京】

先代犬の話

 先代犬は、とても活発で感情表現の豊かな、食いしん坊。
犬あるあるの見本の様な、愛くるしい子だった。
 
 毎日、朝夕、父と散歩に行き、
日中は専業主婦の母との側で、自由気ままに過ごし、
両親揃っての外出時は、一緒に車で出掛け、
一人で留守する事は殆ど無かった。
 
 もちろん、家族の食卓には、我先に陣取り、
今日は何が貰えるんだろうと、目をキラキラさせていた。
いつでも何処でも、家族が食べる物は、全て欲しがった。 
 

父は、それを「ダメだ、ダメだ、」と、
一応、毎回言ってはいるが、それはただの口先だけ。
 
 家の中でも、いつも父の後を付いて回り、
毎晩一緒のベットで眠る。
入浴中はドアの外で待つ愛犬に、
真冬でも浴室のドアを開けっぱなしにして応える父は、
汚れのない真っ直ぐな目で自分だけを見つめ、
一心不乱に縋り付かれる喜びを、
抑える気など、さらさらなかった。
だから何でも与えてしまう。
 
 犬を飼ってる家あるある、そのもの、日常だった。
 

 
 だが、私には、この子の犬人生の中の、
 一年間に負い目がある。
 
 それは、この子との出会いが、
私が東京で一人暮らしをしている時に、
友人から誕生日の、サプライズプレゼントとして
だった事が大きく関係している。

 犬は子供の頃から実家で飼っていて、
大好きだったが、当時、
一人暮らしのペット禁止のアパート住まいだった私は、
動物を飼うなんて発想を、全く持ち合わせてなかった。

 

 クリスマスが終わり、
もう正月が目の前に迫っている年の瀬、
年末年始は、田舎に帰省する事を決めていた。 
 生後60日前後の子犬は、ワクチンの関係もあり、
ペットショップに預ける事も出来ない。
 
 何より、一人暮らしの自分より、
この大都会東京には、もっと良い飼い主がいくらでもいる。
その方が、この子にとっても、間違いなく幸せだ。
 
 だから、いくらプレゼントでも、
絶対無理だと友人に言い、この子が嫌いな訳じゃない、
この子の為なんだと、怒り口調で宣言した。
 
 

 自分は、この子にとって、
良い事をしているんだと言う気持ちで、
購入したペットショップを聞き、貰った次の日、
一人で子犬を連れて、その店に行った。
 
 新宿駅近くの、人通りが絶えず、排気ガスと、
騒音塗れの道路沿いに、その店はあった。

 そして、店の、命の扱いに愕然とした。
 
 そこには、12月も下旬の、雪がチラつく寒空の下、
一日中、外に置かれた透明のケースの中に、
生後60日前後の子犬が数頭入れられていた。
 

 ケースの中の子犬達は、重なり合う様に、
一塊りになっている。
子犬の仕草は、全て可愛いが、その塊は、
不安と恐怖と、何より、寒さを凌ぐ術が、
それしかなく、
塊で震えているようにしか見えなかった。
 
 一応、「勝手に触らないで下さい」
と書かれたの張り紙はあるが、そんな張り紙など、
お構いなしの、通りすがりの冷やかしが、
まだ臓器が固定されてない子犬の腹を、
片手で握るように持ち上げている。 
 
 

こいつも同じ目にあえばいいのに、、
 心の声は届かない。
 
 この店に返したら、良い飼い主に出会う前に、
この子の命が危ないかも?
 
 何この店?
 
 目の前の光景を、頭の中で、
上手く整理出来ぬまま、連れて来た子犬を抱き、
茫然と見ている私に、気づいた店主が、

「あ、返品? 
 3日以内なら、大丈夫だから、お金返すよ、
その辺に、置いといて」と言った。

 私は「あ、返品じゃないです。」と、
だけ言って急ぎ足で駅に向かい、
そのまま電車で一人暮らしの家に連れて帰った。

 もしこの日、この子を返していたら、
 一生後悔していただろう。
 
 

女の中でも小さめの、私の両手の平に
全身がすっぽり収まる、小さな身体。

 子犬独特の口の匂い、ピンク色の肉球、
黒爪になる前の、まだ白い爪の中には
血管が透けて見える。

 頭も身体も、全てが柔らかく、
愛玩犬として改良され、
まだ母親の免疫が残っている時期に
売りに出された命は、人間の扱い次第で、
幸せが決まる。

 

 昨日は、1日だけ預かっている感覚だったが、
今日は全く違う。
 
 お正月は、一緒に田舎に帰ろう。
 
 こうして、かなり感情的な流れで飼う事を決めたが、
一人暮らしでの飼育は初めてで、
飼育にかかる金銭的、物質的な計画は立てておらず、
 今思えば、一番大事な覚悟が出来ていなかった。
 決意はあっても、覚悟が足りなかった。
 
 もちろん虐待などしたわけではない。

 が、大事な幼犬時代の一年間を、
一人暮らしの飼育の為、仕方ないとは言え、
仕事での外出中は、かなり長い時間、
一人で過ごさせてしまった事は、
ネグレクトと同じだと思っている。

 だから、家中、父の後を追い、
母の姿が見えないと探し回る行動が、両親は、
愛おしいと思っていたが、私は、幼犬時代の、
一人で留守番していた時間に感じた、寂しさや、
不安がトラウマなのではないかと思っていた。
 
 それは、私の事は、殆ど後追いしなかったからだ。
 
 

もちろん、帰宅時は、玄関まで走り出て、
縋り付いてくれるが、毎日仕事に出かけ、
家に居る時間の大半は自分の部屋で過ごす私と、
一日中一緒に居て、寝食を共にしている
両親に対しての態度が違うのは当然だと、
言えなくはないが、、

 後追いを手放しに、可愛い行動だと
喜ぶ両親とは裏腹に、その姿を見ると、やはり、
申し訳なかったと、思う気持ちが大きい。
 
 一人暮らしの一年間は、
 私にとってもトラウマだったのだろう。
 
 

誰が見ても愛らしいはずの行動が、
私の、心の奥に刺さったままの、
抜けないトゲを刺激する。
 記憶と後悔で出来ている、
そのトゲはチクッとだったり、
がっくり落ち込む程だったり、その時々で、
痛みの大きさは違ったが、最後までそのトゲは、
抜ける事も消える事もなかった。

 未来は変えられるが過去は変えられない。

 言葉で気持ちを伝える事が出来ない動物を、
自分の都合で悲しい思いをさせてしまった事は、
今でもとても後悔している。

 
 もちろん、楽しい思い出も、
気付かされた事も沢山ある。 
 
 毎日、帰宅時には、全身で喜びを表現し、
いつも元気いっぱい、ご飯を盛り盛り食べる。 
何より、何処に居てもお互いの姿が見える、
狭い1Kの部屋の中で、私の動きに合わせ、
まとわり付き、くっついて眠る。
 

 そこから感じる温もりや、匂いは、
本来は、逆なのだろうが、
私にとっては安心感でしかなかった。
 一緒に近所を散歩したお陰で、
家のすぐ近くに、幾つかの公園や神社があり、
金木犀の木がある事も知った。
6、7年住んでいて、全く知らなかったし、
興味も無かった。
 
 家の小さな窓から見える都会の夜空は、
新宿副都心のビルの点滅が見え、
昼間は感じない埃っぽさを、
どんな晴天の日でも感じる。
 

 いつも、霧がかかっているようで、
 澄んだ夜色ではなく、空が低く感じる。
 
 夜空を見上げれば、当たり前にあるはずの、
星と月は、探してでも見たい人にだけ見える
 限定品の様な存在だった。

 当時の私は、東京生活にすっかり馴染み、
星探しや、月の兎には全く興味はなかったが、
埃っぽく、いつも霧の中にいる様な、燻んだ夜空に、
一番都会を感じていたのかもしれない。
 
 

そんな都会のど真ん中で、犬との散歩中、
自分と犬の周りだけ、
周囲の雑踏から切り離され、無音で、
時間の流れや、重力も感じない、
不思議な感覚になる瞬間を、何度も経験した。

 まるで、現実とは別の空間に、
自分と犬だけがいるような、
足元の犬を見ていると、周りの風景が、
フィルターがかかったように、ボヤけて見える、
すれ違う人の気配は感じるが、
白く、ぼんやりしていて、性別も分からない。
 
 

そこに存在している、自分と犬だけが、
現実世界から切り取られ、
何処かから来たような、そして、
何処かに行くような、不思議な感覚。
 
 だが、何が始まり終わる訳ではなく、
顔を上げると、いつもの雑音が聞こえ、
景色もハッキリ見える。
もちろん、人も車も、しっかり認識出来る。
 
 何も起こらず、何も変わらない。
 

不思議な感覚を体感した事を、
記憶の中だけに残し、日常に戻っていく。
 
 一本の木からでも、ちゃんと四季を感じられる。
 金木犀の香りが
秋のものだと言う事さえ知らなかった。
今でも、何処からか、金木犀の香りがすると、
あの小さな身体で、一生懸命、生きていた愛犬と、
散歩していた日の事を思い出す。
 愛犬だけではなく、自分も、全てに必死だった。
 
 そして、あの不思議な感覚は何だったのか、
 

 この子と出会って、一年後、
一緒に実家に帰り、私の留守中も、
両親が沢山の深い愛情を注ぎ、
いつも側にいてくれた事で、
犬人生が、幸せだったと、
感じてくれていればいいなと、今でも思う。

 
 今は、もう寂しくないよね?
 
 逢いたいな。
 
  
   

【その日の事】
 
 実家に連れて帰り、14歳を過ぎても、
まだまだ元気だと思っていたが、
徐々に食が細り、
あまり活発に動こうとしなくなった。
亡くなる一週間前から、毎日、
父が動物病院へ点滴を打ちに連れて行っていた。
 私は、新しい仕事を始めたばかりで、
出張も多く、その日の前日も、東京から深夜に帰宅した。
 もう玄関に走り出て来る事は無理だが、
しっかり帰りを待っていてくれた。
 
 

かなり衰弱していたが、深夜でも、
しんどい身体で立ち上がり、
高齢の小型犬にとっては、かなりきついはずの、
車庫へと続く段差を飛び降り、
自力で排泄していた。
 私達は下の世話を一切することなく、
トイレの失敗は、一度もなかった。
 
 思い立ったら、待ったなし!の、父は、
その姿を見て、すぐに知り合いに、
段差のない小さな階段を作って貰った。

 

その日の前日に完成した、愛犬用の小さな階段。

大事な家族との時間が、
まだまだ続く事を信じ、願い、
少しでも、楽に上がり下りが出来るようにと、
この先の未来に向けて、父が作った階段を、

 愛犬が使う事は、出来なかった。
  
 
  

2月24日。その日、晴れ
 
 その日も、午前中の点滴から帰り、
少し落ち着いていたが、お昼前、
大好きな父の留守中に容体が急変し、
母からの連絡で急いで帰宅した父に気付くと、
殆ど動く事が出来ない身体で、起き上がり、
玄関に向かってヨロヨロ歩き出し、

 母に「抱いてやってー」と、言われた父が、
慌てて抱き上げた瞬間、父の胸で息絶えたそうだ。
 

 父が昼間、出かけようとすると、縋り付き、
連れて行かなかった時は、腹を立て、
名前を呼びながら帰って来ても、
知らんぷりをするくせに、たまに仕事の付き合いで、
出かけた夜は、真冬でも父の帰りを、何時間でも、
ずっと玄関から動かず、待っていた。
 

 その日は昼間だったのに、玄関に行こうとしたらしい。
   
   帰りを待ってたんだな、、
 

 午後は、いつものドライブコース、
散歩コースを、家族で回った。
 私が車を運転し、母は後部座席に乗り、
助手席の父の膝の上には、
いつも通り、愛犬がいる。
 
 運転席から見えるのは、何も変わらない、
 平凡な日常があるだけだった。
 
 車で少し遠出すると、車の振動で、
いつの間にか気持ち良さそうに眠る。
 その屈託のない寝顔を見ながら、
 ただ、その日の天気が良いだけで、
今日はなんだか幸せだと、感じられる。
 
 

去年も、一昨年も、その前から続く、
 そして、これからも続くと思っていた、
当たり前の光景だった。
 
 家に着いても、愛犬が目を開けない意外は、、

 
  
  なぜ、普通が永遠に続かないんだろう、
  多くなんて望んでない、
  ただ、
  平凡な日常が、ずっと続いて欲しかった。
 
 

  2月25日。次の日、晴れ
 
 次の日、裏山に土葬した。
 母は、おにぎりを作り、沢山のおもちゃや、洋服、
散歩用のリードを、小さな木箱に入れた。
 私は身につけていた、水晶のブレスを二本、
前足に巻き付けた。

 母の号泣を初めて見た。

 別れの前夜、本当は一緒にいたかったが、
その夜は、長年、生活の殆どを共に過ごして来た父と、
愛犬との最後の時間だ。
 

 昨日から、愛犬への思いは何も語らず、
普段通りに過ごす父の姿を見て、
その夜は父のものだと思った。
 
 どんな会話をしたのか、何を思っているのか、
分からない。
 
いつか必ず出来る、再会の約束をしたのか、、

 
 父は、朝から、終始無言だった。
 

 一晩経っても、全く死後硬直していない
身体からは、温もりを感じる。
 抱き上げたら、眠っている所を、急に起こされ、
寝ぼけた子犬が、されるがままに身を任せるように、
私の肩に、ゴロンと頭を乗せて来た。
 
 
 まだ生きてる! まだここに居たいんだ!
 死んでなんかいない! と、叫びたかった。
  
 

  2月26日。霙が雪に
 
 去年の12月から、今年に入っても、
一日も雪が降らなかったのに、
 別れの翌日、霙が雪に変わった。
 
 なんで、今日に限って、雪なんて、、

 こんなにも、恨めしく、
憎い雪を見たのは、人生で初めてだった。

 自宅の部屋から窓越しに見える恨めしい雪は、
気まぐれな強風に振り回され、
なす術なしの落ち葉のように、
降る方向をフラフラ変えながら、
空を舞っていた。
 
 
 私は、今もこの日の雪を許していない。

 
 
 この辺りは、全国的に見て温かい地域だ。

 元々、雪に恨みがある訳でも、
大嫌いな訳でもなく、
そもそも、馴染みがない。

 ひと冬の中で、数日だけ雨が一瞬、
雪に変わる事はあるが、子供達の冬の遊びに、
雪だるま作りや、雪合戦は、全く組み込まれていない。

 10年以上前、父が胃癌の手術をし、
母と交代で、一週間程、病院に泊まり込み、
付き添いをした事がある。

 個室の空きがなく、術後、3日間は二人部屋だった。隣のベッドの方は、殆ど意識がないらしく、高齢の奥さんが、一日中、一人で付き添いをされていた。
 ベッド周辺を、全て囲むように設置されたカーテンを、常に閉め切っていて、昼夜問わず、カーテン越しに、唸り声が聞こえていた。

 母は分からないが、私は、付き添いの奥さんの顔を見た事も、挨拶をした記憶もない。

 この年は、1月〜2月にかけての入院中、何日か雪が降った。
 21時の消灯と同時に暖房も消され、古い病院の、建て付けの悪い窓からは、一晩中、糸のような細い隙間風が入る。鉄の窓枠の周りは、氷のように冷たくなり、室内にも拘らず深夜には薄ら霜が張った。
 
 患者の父には電気毛布があるが、付き添いの私達は、暖房を消された後、使い捨てカイロを身体中に貼り、丸椅子に座ったままの体制で寝ていた。

 
 あまりの寒さに、カイロの注意書きを無視して、長時間直接肌に貼っていた為、今でも、お腹に低温火傷の跡が残っている。

 
 そんな付き添い生活の4日め、看護士さんから
 
「隣の方の容態が良くないので、お部屋、変わりませんか?」と、
言われ、用意された病室に直ぐ変わった。

 

 私達が、急いで荷物をまとめ、バタバタしている間も、隣のベッドのカーテンは閉め切られたままだった。

 二人部屋から個室に移り、窓の外を見ると、雪が降っている。
 

 3日間、顔も見ず、挨拶も交わさず、相手にどう思われているか全く分からないが、隣のベッドの、付き添いの奥さんは、今夜、あの部屋で、暗く冷たい長い夜を、一人で過ごすのだろうか?と、ふと思った。

 なんで、今日に限って、雪なんか降るんだろう?
 

 変わった病室が、元の二人部屋から遠かった為、その後、付き添いの奥さんと会う事はなかったが、翌日、看護士さんから、隣のベッドの方が亡くなった事を聞いた。

 
 誰のせいでもない、誰も悪くない、どうする事も出来ない。でも、どうしてもそこに理不尽さを覚え、怒りの感情が湧き、そして虚しくなる。

 愛犬との別れの翌日の雪には、どこにもぶつけられない怒りの感情が大きい。が、
あの日、病室の窓越しに見た雪に、少しだけ似ている気がした。
 

 
 土葬した土の上に、葬いを手伝ってくれた近所の人が、ツツジの苗を植えてくれた。
 50センチ程だった苗は、10年後には、小さいながらも、1、5M程の立派な木になり、毎年ピンク色の可愛い花を咲かせる。
 
 数年経ったら、お骨を取り出したかったが、その事はもう少し、先に考える事にしよう。 
 

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