ちょっとした思索 ~ 道徳と倫理と教育

道徳と倫理と教育。

その人の影響力がその重みだとすれば、現代はひとりひとりの重みがとても大きい。ネットでいくらでも他人と交流ができてしまう。

けれども、人間、容量、キャパシティというものがある。負の感情や違和感、容易には理解できない他人の考え。そういったものは少量であれば咀嚼し、自分のものとし、生きる糧に転化することもできる。

だけど、容量を超えたものは、単に苦しみとなりのしかかるか、さもなければ毒となり周囲に撒き散らすか。そうした帰結が待っている。

あるいみ、それは、自分の器をどこまで広げられるか、どれほど上手に飲み込むことができるか。あるいは、どのようにしてそれを昇華し、共存の道筋をつけることができるのか。それが道徳や倫理のもつ力なのだと私は思う。

だから、関わる人が多い人ほど、多くの修練がこの領域に必要なのだと思うのだけれど、"忙しい"現代人には、むしろいっそう追いやられているように思える。

影響力の輪が小さいのなら、現場で、生きた知恵を学んでいくだけでも、人は良かったに違いない。それが、近代までの社会と人間の距離感では十分に機能していた。

今は違う。現代人は、人の醜さを濃縮したものを見せられすぎてる。あと何回、眠りに落ちれば、この悪夢を忘れることができるだろう。

全国民ネット完全禁止ウィークでも一度やってみたら、一人ひとりが1日に使える、倫理的能力とエネルギーとその限界が分かりそうなものだけど。ま、さすがに非現実的よね。

人の美点も、同じように濃縮されてるはずなのに、見過ごしがちなのは、きっと人の業だね。

猫が笑うのも、私は分かる気が、する。

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