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老子曰く「良い人生を送りたくば『水』になれ!」

こんにちは、らるです。

意識高い系や
たまたま今の世の中で
『成功者』とされている人たちを
ぶった切る老子の教えに
最近ハマっています。

今日は、そんな老子の教えの中から
『水』をお手本にせよ!

という話をしていきます。

最高のまことの善とは、
たとえば水のはたらきのようなものである。
水は万物の生長を立派に助けて、
しかも競い争うことがなく、
多くの人がさげすむ低い場所にとどまっている。
そこで、「道」のはたらきにも近いのだ。

P35

最高の善=水みたいなもの
と、老子は説明しています。

特徴は、以下の3つです。

・色んなものの生長を助ける
・競い争わない
・人のさげすむ低い場所にとどまる

そして、これらを
『道』の働きに近い、といっています。

この老子の言う『道』というのは
ちょっと他とは違う特徴的な使われ方
していて、雑に言い切ってしまえば

『道』=万物の根源、すべてを司る自然法則

とも言えるようなものです。

老子の教えの中で軸をなすもので
この『道』を体得せよという話が
繰り返し出てきます。

話を戻します。

最高の善=水みたいなもの

・色んなものの生長を助ける
・競い争わない
・人のさげすむ低い場所にとどまる

争わず、自然に下に流れよ

という教えなわけです。

なぜ、それがいいのでしょうか?

競い争って、
前へ進む、上に立つ…


現代もそうですが、
老子の時代からすでに
多くの人がそれを求めていました。

確かに、そういう姿勢は
文化を進歩させてきました。

しかし、その先に
求めるものはあったのでしょうか?

その争いの先にあった進歩は
人を幸せにしたのでしょうか?


競争に負けた人は、
その時点で不幸です。

ただ「勝った人」も
幸せなのは「勝っている間だけ」です。

必ず「負ける時」が来ます。

競争に生きている限り
かならず不幸になる時がくる
のです。


『水』のようになって
争わず、人の下になって自然に
周囲と調和して生きていく
と…

あくせくと進歩を求めて争うことが、
いかに愚かな無意味なことかが
わかってくるのである。

P256

ということです。


今、一生懸命、何かに勝とう!
人の上に立とう…としている方は
「本当にそれが自分に幸福をもたらすのか」
考えてみる必要がある
かもしれません。

まとめ

老子曰く…
最高の善=水みたいなもの

・色んなものの生長を助ける
・競い争わない
・人のさげすむ低い場所にとどまる

争わず、自然に下に流れよ

先を争って、
マウントの取り合いをする限り
継続する幸福は訪れない

最後まで読んでいただき
ありがとうございました!

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