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老子曰く、極端に走るな、バランスをとれ

こんにちは、らるです。

今日は老子から
「バランス」の話をしていきます。

結局のところ
「0か100かではダメ」という話です。

すべてものごとはさまざまで、
先をきって進むものがあれば、
後について従ってゆくものがあり、
ゆったりおだやかなものがあれば、
激しく急なものがあり、
強いものがあれば、
弱いものがあり、
成長するものがあれば、
こわれるものがある。
それゆえ、聖人は一方に偏るようなことがなく、
極端なこと、ぜいたくなことをしないようにし、
傲慢にならないようにして、
ひたすら自然のままに従ってゆくのだ。

P101

早かったり遅かったり
激しかったりおだやかだったり
成長したり壊れたり

当たり前のことですが
常に「とちらも」ある
のです。

一人の人の中においてでも
できること、できないこと
できるとき、できないとき
育つとき、後退するとき…
「どちらも」あるのです。

こうして、言われてみると
当たり前のことなのですが
それでも私たちは
「極端」を好み
「極端」だと思い込んで
しまいます。

実際には、本当に極端なものなど
無いにもかかわらず…
です。

 不倫する人は
 人格を全否定してもいい人だし

 炭水化物は要らないし

 ワクチンを打ったら感染しない

…と、思いたいのです。
分かりやすいし、スッキリします。

でも、本当は

 不倫をする人にも
 人格的に優れた面はあるし

 炭水化物を本当に0にしたら
 健康を害するし

 ワクチンを打っても
 感染はすることはあるし
 免疫もいつか消えるのです

両面見るのは、疲れます。
中途半端なものはすっきりしません。
面白くないです。

でも、自然とはそういうものなのです。

「~だけすればOK」
「全面的に~だ」
「~以外にない」

こういう極端な言葉は99%ウソです。

よくよく裏を
考えてみた方が良い言葉
です。

大抵の場合、前提条件が隠れています。

「炭水化物はとらなくていい」
という時には
(普通に食事をしていると
 自然に摂取することになるから)
という前提があったり

「全世界株のインデックス投資だけでいい」
という時には
(世界の株が、過去と同じように
 成長を続けるとしたら)
という前提があったりするわけです。

でも、長々と前提条件を書くと
人は惹きつけられなくなります

本当のことというのは
極端ではなく、表裏、善悪…といった
なんらかのバランスを
保って存在している
のです。

まとめ

自然に生きるとは
極端に走らないということ

極端なものは
分かりやすく魅力的なため
気を抜くと流されてしまいがち
である









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