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老子曰く、赤ん坊に学べ!

こんにちは、らるです。

老子は、
「理想の生き方をする人は
 赤ん坊のあり様に似ている」

と言っています。

これは、どういうことなのか
説明していきます。

内なる「徳」を深く豊かにたくわえた人は、ちょうど赤ん坊のありさまにも似ている。赤ん坊には蜂やさそりや蝮のたぐいもかみつかず、猛獣もつかみかからず、猛禽もうちかからない。骨格は弱く筋肉も柔らかいが、握りこぶしは固い。男女の交合などわかりものしないのに陽物が勃起するのは、その精力が最高だからである。一日じゅう泣き叫んでいるのに声がかれないのは、その調和が最高だからである。

P170

世間的な、余計な知恵に毒されていない
純粋な赤ん坊のあり方

老子の理想とする『道』のありかたに
近いのである
…ということを言っています。

たしかに、赤ん坊は
世の中のことなんて知りませんね。

知っているのは
自分のことだけ
でしょう。

自分の快、不快には敏感で
それを表すことをためらいません。

とても自然なあり方です。

己の外のことより
己の内のことを知れ

という老子の教えにピッタリな
あり方だと言えます。

「赤ん坊が良い」といった西洋の哲学者

実は、赤ん坊の姿が理想だ
と言った西洋の哲学者がいます。

ニーチェです。

ニーチェは人間の精神は
3段階に進んで行く
と言います。

最初は、ラクダ
ひたすら、苦役を耐える段階

二段階目は、ライオン
汝なすべし、と我欲すの戦い
義務と、欲求の戦いの段階

そして、最後の三段階目が
赤ん坊です。

純粋な、創造の遊戯に
身をゆだねる段階
です。

神の死んだニヒリズム(虚無)の世界で
力強く創造して生きよ!

というのがニーチェの思想ですが

そのニーチェにとっての
理想的な姿は「赤ん坊」だったのです。

老子も、ニーチェも
「赤ん坊」のように純粋になれ
と言っているわけです。

私たちは皆、もともとは
赤ん坊だったはず
なのに
なぜ、その頃の理想的な姿から
離れてしまうのか…

それは、余計なことを知るからです。

周囲の要請で沢山の
~するな
~したほうがいい
を知るからです。

すなわち
自分自身の本来の姿とは関係の無い

様々な知識・常識を得るからです。

当然、集団生活を送る上では
人に合わせていくために
これらを得ていくことは必要です。

しかし、完全に染まりきっては
自分本来の理想のあり方からは
離れて行く
ことになるのです。

まとめ

老子にとっても
ニーチェにとっても
理想の姿は「赤ん坊」

理想の姿に戻るには
外の世界から得た
余計な知識に惑わされることなく
自らの内側の世界にある
自分が本来持っている欲求に
素直に向き合うことが必要である。

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