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老子流 人材活用法

こんにちは、らるです。

仕事をしていると
「私、無理してるなぁ…」と
思ってしまう事って、ないでしょうか?

私は結構あります(笑)

今日は、老子の言う
「聖人」なら、
どんな風に人を使うのか
という話です。

荒削りの木を、分割してバラバラにすれば、
それぞれが小さな器となる。
果てしない潜在力を持つ人間の本性を
そのまま活用せず、都合に合わせて切り取れば、
何かの役を果たす「人材」にはなる。

そういう人でも、聖人が用いれば、
官吏の長を勤めさせることくらいはできよう。
しかし、そもそも立派な制度のもとであれば、
荒削りの木を割くことがない。

つまり、ありのままの人間を活用して、
役割に押し込めることなどない。


安冨歩.老子の教えあるがままに生きる(Kindleの位置No.480-485).株式会社ディスカヴァー・トゥエンティワン.Kindle版.

荒削りの木=人間本来の姿 ですね。

画像1

これの一部を切り取って
「人材」として使っている
のが
現在ある仕事の多くだと思います。

画像2

料理を乗せるために、木を皿の形に切り取る…かのように

その人間そのもの…ではなくて
一部だけを切り取って
役割に押し込めている…
という形ですね。

もちろん、その方が
会社としては都合がいいはずです。

いびつな形の木をそのまま使っては
ジャマになってしまいます
からね。

木のままでは、お皿として使えません。

それでも、私たちは本来
荒削りの木なわけです。

一部だけを切り取って使われると
切られ方によっては
辛さを感じてしまうわけですね。

理想的には
荒削りな木を、荒削りな木のまま使う
という状態であると、良いわけです。

これに近いのは
自分で自分に合う仕事を作っている起業家
自分で好きなことを発信しているインフルエンサー

あたりの人たちではないかと思います。

そういう意味では、現在の世の中は
「荒削りの木のまま」で
生きていくルートも開拓されつつあるのかな

という気がしています。

とはいえ、カンタンな道ではありません。

とりあえずできることは
・自分がどんな形の木なのかを知ること
・自分の形が合う場所を探し続けること

これだけなんじゃないかと思います。




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