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家庭内パンデミックとか白髪とか

6月のはじめ、3歳の娘きぷくが保育所で流行りの疫病になった。
例の某ウイルスではなく、RSウイルス。
本来の流行時期は秋〜春のはずやけど、ネットで検索したら今年は西日本中心にいま流行しているのだと出てきた。

夫が保育所お迎え当番の日、帰ってきた娘がコンコンと咳をしているのを気にしていると
「保育所でRS流行っとるみたいよ、担任の先生が言ってた」
と夫からの情報。

そういえば普段の風邪と違って、ちょっと変な咳。
怪しいな…これは怪しいな…と思っていたら、まんまと翌日に発熱した。

RSウイルス、大人がかかっても普通の風邪と遜色ないと言われているのだけど、子どもとりわけ乳児に関しては重症化する場合がある、らしい。
「RSは入院して呼吸器つける子もいるよ」
昔、職場の先輩から聞いた話が脳裏をかすめ、背筋がヒヤリとする。

なにせ我が家には6ヶ月のあかさん次男、ちゃんこがいるのだ。

6ヶ月というと、生まれ落ちたときに母親から受け継いだ身体のなかの戦闘部隊、母ちゃん由来の免疫が撤退していく時期でもある。

これから先は彼自身の戦闘部隊を強くしていくしかなく、それは何度となく感染という戦いをすることで得られるものだ。

ただ、ちゃんこはまだお熱未体験。初っ端からそんな重症化の可能性があるやつはスパルタが過ぎるってもの。軽めの普通の風邪から順番にいってほしい。
風邪に軽めの普通というジャンルがあるかどうかは置いといて。

発熱したその日、きぷくも保育所をお休みし、日中ちゃんこと3人で過ごす。
しかし噂に違わず、咳が、酷い。 

きぷくは、弟がかわいくて仕方ない。
「おかあちゃんとなかよしは、きぷくちゃんなのにぃい〜い〜い!!」と嫉妬のブリザードが吹き荒れる冬はいつしか終わり、彼女の中にも春が訪れたらしい。
今日もゴロンとうつ伏せに転がったちゃんこの側に寄り添って、話しかけたりよしよしと頭を撫でたりしている。
普段なら目を細めてしまう光景、だけど、この状況ではそうも言っていられない。
ウイルスのやつらが虎視眈々と、おもちのようなふわふわでふくふくの可愛いキュートでヒップなちゃんこの体内を狙ってる。

ウイルスたちの陰謀を食い止めようと、きぷくにお気に入りのキティちゃんマスクをすすめる。
昨今の某ウイルス騒ぎにより、マスクの効果はすでに折り込み済みであり「つけるー!!」と元気に応じてくれる。
いいぞ、えらいぞ、よくぞ聞いてくれた。

じゃあ洗い物でもしますかね、としばらく目の前の食器を無心でゴシゴシと泡で覆い、二人はどうしてるかなと振り返る、と、きぷくのマスクはすでにアゴにある。
…幼児あるある。知ってた。

そうか、あれやな。折り込み済みとはいえもういっぺんちゃんと説明したほうがええわな、と思い直す。
「きぷちゃんの身体の中にな、今風邪さんのバイ菌がおるんや。だからきぷちゃんもコンコン出とるやん?コンコンするとどうしてもバイ菌さんが飛んでまうんやんか。
そしたらちゃんこにも感染ってしまうかもしれへんねん。感染ってお熱出たりコンコン出たらしんどいやん?それに酷くなったら病院にお泊りせなあかんくなるかもしれへんのよ。そうなったらおかあちゃんもちゃんこと病院お泊りせなあかんかもしれへん。
これからちゃんこの離乳食するから、ちょっと離れて遊んどってくれるかな?」
ありったけの言葉を込めて説明すると、くりくりの目をこちらに向けて、殊勝な顔で頷くきぷく。
いいぞ、えらいぞ、よくぞ聞いてくれた。

テーブルの上にお粥としらすとかぶとかぼちゃをそれぞれ小さな器に入れて並べる。
ちゃんこにエプロンをつけて、手を拭いて、腿の上にちんとんさせたらいただきまーす。
きぷくはお人形たちを並べて、なにやらブツブツお話を展開させている。よしよし、今のうち。
小さなスプーンで小さな口にちょこちょことご飯を運ぶ。
ぱっくん上手になったねえ、ごっくんも出来るようになってきてる。

「ちゃーんこー、ゴホゴホ、なーにたーべゴホてーるのー」
ちゃんこの顔を見るのに下を向いていて、気がつかんかったよ…
きぷちゃん…きぷちゃん……
…幼児あるある。知ってたぁああああああ!!!!!

3歳の体内に潜り込めた時点で、ヤツは勝利を確信していただろう。なにせ彼ら彼女らは『無邪気』がかたちになって、動き回っているようなものだ。
マスクなんてつけられないし、人との距離なんて保てない。楽しいこと、気になることが目の前にあればじっとなんてしていられない。
かわいい。そのかわいさに漬け込まれた。
保育所でもきぷくの所属する年少クラスは、たくさんの子がお休みしていたようだ。

そして鮮やかな家庭内パンデミック。

きぷくは40℃近い熱を出し、途中からは「しんどい…」と言いながらよく寝ていた。
食欲も落ちてもともと小柄な身体がもうひと回り小さくなり、背中を抱きしめながらキュンとした。

ちゃんこは程なくして発熱し、クループのような咳(気管と咽頭の炎症で起こる犬が吠えるような咳)が出るようになった。
夜になると咳が酷くなり、いつものようには眠れない。ようやく腕枕で横になるものの、シ…ビ…レ………タ…と手をそぉっと抜くとギャンと大号泣。また抱っこで寝てもらうところからやり直し、というループを幾く晩経たかしら。
いつもより早いペースで背中を上下させる彼の柔らかい髪の毛に頬をくっつけ、一緒になって泣きたかった。

4歳を過ぎた頃から身体が強くなり、風邪をひいても熱を出さなくなっていた5歳の長男まころもまた、このウイルスには敵わなかったようだ。
ちゃんこから遅れること数日、朝から39℃の急激な発熱、激しい咳込み、喉元に絡むねばっこい痰。
「くるしいぃい〜しんどい〜うごけなぃいいい〜」
阿鼻叫喚のお手本ってこんなんなんではと思う様相で、腿の上でぐったりする彼を撫で、胸がキリキリとした。

彼らの肺のあたりから聞こえるゼロゼロという音がヤツらがほくそ笑んでいる声に聞こえて、3人を小児科に連れて行きながら意識が遠のきそうだった。

そんな日々を経て全員がなんとか通常営業になったかな、と思える朝、鏡の中に映り込む自分の頭にヒョロリと立ち上がる短い白髪を見つけた。

テレビでは、RSウイルスが全国的に流行しているというニュースが流れていた。

確実に日々は流れていたんだな、と妙な感慨にふける。

子たちはこの戦いを経て、またひとつ身体が強くなったことだろう。
3人ともよく頑張ったなあ、3人とも無事に乗り越えられれてよかったなあ、と元気に動き回る姿を噛みしめる。

だけどこの戦いで強くなったのは、子たちだけじゃない。
泣かれながら薬を次男の口に流し込み、娘に食べられるものをとあらゆるものを少しずつ食卓に出し、長男に鼻をかむように促し、3人を看病しながら夫不在の夜を越えたわたしだって、強くなったと思いたい。

ヒョロリと立ち上がった白髪をもう一度見て、これはわたしだよねと、そっと抱きしめたい気持ちになった。


ここまで読んでくれたあなたは神なのかな。