見出し画像

適応障害との共生日記⑧ 映画『ゲド戦記』を見て僕は「生きたい」とぼんやり思う

はじめに

こんにちは。
僕は本日7月9日付で、勤めている会社を退職しました。
これからは病気の治療と、転職活動をしていかなければなりません。
それと、もろもろの手続き・・・。よくわかっていないので、ひとつひとつ勉強していく必要があるなぁ。

そんな僕は今日、悠長にスタジオジブリ制作の映画『ゲド戦記』を見てきました。
現在ジブリは4作品再上映が行われていますが、最近の映画興行ランキングを見ても、『ゲド戦記』は他の3作品と比べて人気がなく、
実際映画館でも、13時の上映で観客は僕一人のようでした。

でも、昔から好きなんです。宮崎吾郎監督の作品。
というか、スタジオジブリの作品が。
大学の卒業論文も、宮崎駿監督について書いたくらいですし。

その中でも昔から僕が『ゲド戦記』を好きな理由は、ジブリらしからぬ雰囲気が漂っているからです。

生きることに迷っていて意味を見出せず、不安ばかりが付きまとう主人公アレンが、命を何よりも大切にしているヒロイン・テルーと、命の大切さを誰よりも熟知している大賢人・ハイタカにより生かされ、成長する。

そんな『ゲド戦記』を見て、改めて僕がこの適応障害になったこととか、休職する前働いていたとき、自分の命をいかに大切に思っていなかったのかを改めて理解ができたので、書きます。

登場人物のセリフをベースに、僕の感想を述べます。
引用はすべてセリフとなっていますが、語尾などはあまり覚えていないので、感覚で書きます。

それでは長くなると思いますが、気長によろしくお願いします!

大賢人ハイタカ

魔法使いで、世の中から「大賢人」と呼ばれているハイタカ。
物語では、凶作や自然災害など、世界の均衡が崩れていることを察知し、その災いを探る旅に出ています。
彼は魔法使いですが、世界の均衡が崩さないよう、みだりに使ってはいけないと言っています。

そんな彼のセリフ。

不死は生を失うこと。死を拒絶することは、生を拒絶することなんだ。

敵の魔法使い・クモは、永遠の命を手に入れるために禁断とされている「生死両界を分かつ扉」を開く。不死にすがるクモに、ハイタカが言ったセリフです。

【感想】
人は、「いつ」死ぬのかは全くわからない。
もしかしたら大きな事故にあうかもしれないし、災害に巻き込まれてしまうかもしれない。それが、1時間後か、1週間後なのか、明日なのか、来年なのか、はたまた起こらないのかなど、まったくわからない。

でも、「いつか」死ぬことはわかる。
事故や災害にあうかもしれないし、病気になって命を落とすかもしれない。
寿命を迎えるかもしれない。
原因はいろいろありますよね。


「いつ」なのかはわかりませんが、「いつか」死ぬことは誰しもわかり得る事実だと思います。

つまり、生きることは、「いつか死ぬこと」。
いつか死ぬから、今「生きている」ことになる。
しかし、その事実(いつか死ぬこと)に反するということは、「今を生きる」ことにも反しているということになってしまうと解釈しました。

そんな難しく考えなくても・・・。
もっと気楽に生きよう・・・。
たかだかジブリアニメでしょ・・・。

そんな声はあるかもしれません。
でも、僕は「生と死」に関して考えることは結構好きなんです。笑
別に学術的でも何でもないし、その道専門の人からしたら薄っぺらいかもしれませんが。笑

自分がいつか死ぬことを知ってるということは、我々が天から授かった素晴らしい贈り物なのだ。
わしらが持っているものは、いずれ失わなければならないものばかりだ。苦しみの種であり、宝物であり、天からの慈悲でもあるわしらの命も贈り物なのだ。

【感想】
だからこそ、このセリフ。
いつか死ぬとわかっているから、その限られた時間の中で生きることができるし、「大切なものを大切にできる」のだと思いました。

人間、は人間ですら支配する力がある。だからこそ、わしらはどうしたら均衡が保たれるかよく学ばなければならない。

【感想】
映画の中では、奴隷を売るシーンや、麻薬のようなもので苦しみから逃れ、幻聴を見ているシーンもあります。
このようなことも「支配」と言えるでしょうが、僕はこのセリフを自分一人のことに置き換えました。

社会人となり、様々なことに耐えながら(詳細は過去記事にあります)自分自身をコントロールしようとし、いつの間にか仕事・プライベートに何の楽しみもない活力のない自分になっていました。それだけではなく、めまいや吐き気、訳もなく流れる涙など、身体も制御不能に。

僕は、適応障害の原因に自分が支配されていました。

だから、どうしたら元の自分に戻れるのかを知る必要がある。
自分自身が何かに支配されることなく、自分自身として生きていくために、僕は休職することが正解だったと思っています。
もちろん、今日の退職も。

テルー

自分の命を大切にしない人間には容易に心を開かず、両親に虐待された末に捨てられた辛い過去を持つヒロイン。

死ぬことがわかっているから命は大切なんだ。

【感想】
先ほどのハイタカのセリフと同様。
いつか死ぬことがわかっているから、限りある命を大切にできる。
仮にいつまでもそばにあり、無くならない保証がされているものがあるとしたら、、別に大切にしないなぁと思いました。あるのが当たり前になっちゃうので。

怖がっているのは死ぬことじゃない。生きるのを怖がっているの。死んでもいいとか、永遠に死にたくないとか、そんなのどっちでも同じだ。ひとつしかない命を生きるのが怖いだけ。

【感想】
これは作中のなかで最も心に残った言葉です。
適応障害と診断される病院に行く前、僕は仕事に行く前、仕事中、仕事が終わっても気持ちが晴れることはなく、「このままいなくなりたい」と思ったりもしていました。営業車の運転中でも。相手に迷惑をかけてしまうことがものすごく嫌だったのでできませんが。
それだけ、生きるのが怖かったんだと思います。

アレン

純粋で生真面目すぎる性格のために、世の中の暗黒に対してまで深く心を悩ませ、本来は心の「光」だった彼の分身が「影」となって去ってしまう。やがて心の均衡を失い、衝動的に父王を殺害した挙句、国を捨てて失踪する。(Wikipediaより引用)

人はいつか死んでしまうのに、命を大切にすることなんてできるのかな。 終わりが来ることが分かっていて、それでも生きていかなければならないのかな…。

【感想】
終わりが来ると最初から分かっているものを、大切にすることができるのかという葛藤。むしろ、「大切にする必要があるのか」と自問自答しているように聞こえました。
自分が辛い状況で追い込まれれば追い込まれるほど、葛藤するような気がする。能天気に気楽に生きることができない自分が時に嫌だったりもしました。

ダメなのはぼくの方さ。いつも不安で自信がないんだ。なのに時々、自分では抑えられない位、狂暴になってしまう。自分の中にもう一人自分がいるみたいなんだ。

【感想】
自分の中に、もう一人の自分がいる感覚が、僕にはとても理解できます。
「狂暴」とは言っていますが、「感情的」という言葉に置き換えられると思います。
会社の環境に耐えて耐えて耐え抜いて、表面では平気を装い、「これが当たり前。普通なんだ。」と自分に言い聞かせていましたが、内心ではこれに耐えられなくなり、段々と症状が出はじめたのかな、と今では思っています。

おまえは僕と同じだ。光から目をそむけて闇だけを見ている。ほかの人が他者であることを忘れ、自分が生かされていることを忘れているんだ。死を拒んで生を手放そうとしているんだ。

【感想】
これは、いつまでも不死にすがりつく敵の魔女クモにアレンが言い放った言葉。
「死」を失くすこと(目を背けること)で、「生きる」ことを忘れようとしているクモに、アレンは同じ境遇を感じる。

おわりに

この映画は、海外・国内含め酷評の嵐。
僕も小さいころ見たときは訳が分からずチンプンカンプンでした。

ただ、大人になり、社会人になり、諸々あって生きることに迷いがあった自分にとって、「生きること」と「死の概念」について深くよく考えることのできた一作だったと思います。

もちろん、これは僕の解釈ですし、人それぞれ思うところはある。
この内容が説教臭いと感じる人もいるのかもしれない。
そもそも、「生きる」って思えない精神状態の方もいるから、解釈は人それぞれ。

ただ、それでいいと思います。
どこまでいっても、「生と死」の答えって、わからないし、価値違いがあることは当たり前なので、全部正解だと思う。

だから、このnoteも一つの考えに過ぎないので、これからもどうか温かく見てください。

僕は『ゲド戦記』で生きることに迷っている主人公アレンが成長していく様を観て、ぼんやりと「生きたいなぁ」と思いました。ジブリって、なんかそういう力が僕にはあると思う。

皆さんの中にも、こういう作品があるのかな。

転職活動頑張らなきゃ。

おわり。


この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?