転機はそこかしこに

10代の頃は2年ほど引きこもりをしていた。
当時はインターネットが出る直前の時代で、パソコン通信という地味なコミュニケーション・チャネルがあって、今でいうチャット・ルームのようなものが無数にあった。引きこもりだったボクはテレホーダイという深夜帯のみ電話回線が接続し放題となるサービスを使って、夜な夜なアクセスしていた。
プロレスマニアとか霊媒師とかネカマとか多彩なユーザーがいたなか、同じ北海道に住む女の子と出合えたのは奇跡的だった。次第に淡い恋心…いや正直に言と下心が芽生え始め、猛烈に口説いてなんとか実際に会ってデートをする約束を取り付けた。
まだ“オフ会”というコトバもなかったような時代と記憶している。

童貞で女性を知らなかったボクはドキドキの日々を過ごし、万全のコンディションで初デート当日を迎える予定だった。
が、あろうことか前夜の夕食で口にした牡蠣にあたってしまう失態をおかしたのだった。
いつものように深夜、チャットで彼女と話していたら、急に原因不明の腹痛と吐き気に見舞われ、布団に潜り込む。すると今度は猛烈な寒気に襲われ、完全な死に体となってしまった。
「嗚呼、俺は死んでしまうんやろか…。でもデートが……」
死ぬほど体調は悪い、けれど彼女に会いたい。デートに行けない、けれど行きたい。
ものすごい葛藤が渦巻いた。

果たして、その数時間後、ボクは約束のJR札幌駅のホームに立っていた。
これはもう“思考”とか“信念”の勝利だった。まぁ、さほど強い貝毒ではなかったということなのだろうが、ボクは打ち克ってついさっきまでの体の不調のことなどすっかり忘れて、初デートに夢心地になっていたのだった。
初デートの緊張もさることながら、北海道の寒村で生まれ育ったボクにとって、札幌という街に出てくるのも初めてで、その夢のような大都会ぶりに魅せられて終始ビルを見上げて歩いているような有様だった。
全てが刺激的でドキドキ、ワクワクの連続で、そこには食アタリなんてものがつけいる余地がなかった。

そんなわけで、その一日に具体的に何をしたのかはほとんど記憶がない。
ただ、狸小路のカラオケに行って、窓から今はもうないサン・デパートのYESそうご電器の大きなネオンが見えたのが印象に残っている。
その後、彼女とはちょっとだけ付き合うことができた。
ボクは少し自信がついて、引きこもりの殻を破った。
“シャバ”に出ると、もっと刺激的なことをたくさん知り、そちらに没頭していくともに関係は自然霧消していった。
もしも、あの時、牡蠣の毒がもっと強かったなら、初めての彼女ができるのも、都会の刺激に触れるのも、もっとずっと後の事だったかもしれない。
いま振り返ると、人生を変える節目の一日のひとつだった。

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