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映画『PERFECT DAYS』感想

予告編
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Feeling Good


 身構えていなかったところに、不意に自分の好きなものが飛び込んでくると、それだけでちょっと嬉しくなってしまうものですが、本作ときたら、もうね……挿入曲のチョイスだけで好きになりそう笑。個人的にめちゃくちゃ好きな曲が幾つも流れてきて、だからこそ、むしろ知らなかった曲が流れてきた時に「なぜ自分はこの曲を知らないんだ!」と悔しくなってしまい堪りませんでした笑。
 普段は特に気にしていないのに、他の曲が好きで、それらがどんな曲で、どんな意味の歌詞で、というのを知っていたおかげで、より一層本作を愛おしく思えたからこそ、「もしこの曲も知っていたら、なお良かったのかもしれない」なんて考えてしまったんです。しかし、そんな偶然の巡り合わせも、本作が描かんとする “完璧な日々” を見出し得るものの一つなのかもしれません。

 (いきなり余談で申し訳ありませんが笑)たとえばキャスティングからも思わされることが多分にありました。ただペットと戯れているだけの人、電話越しにシフトの穴埋めをお願いする社員、他多数。
 ロクに顔も見せず、映っている時間もほんの数秒の登場人物らを演じていらっしゃるのが、研ナオコさん、片桐はいりさん、松金よね子さん等々。普段は目を向けていないようなところに、偶然の巡り合わせというか意外な気付きがあると思わされる出演陣の存在もまた、とても意味ありげなキャスティングで面白いと思います。

 


 さて本題。本作は、都内で公衆トイレの清掃員として働く主人公・平山(役所広司)の日常を描く物語。起床から出勤までの準備や支度、勤務後や休日の過ごし方等々、ルーティン化していたり規則正しい流れのように見えたりする彼の日常は、一見すると同じような日々を過ごしているように見えるものの、実は同じ一日なんて一度も在りはしない。反復して描かれるからこそ、より如実に感じられます。
 たとえば毎日同じ場所での昼食、でも座る場所は昨日とほんの少しだけ違う。ほんの少し座る場所が違えば、風にたゆたう木々のゆらめき、それによって見えてくる木漏れ日など、様々なものが違う見え方になる。一度として同じことが無い、たった一度切りしか出会えない日々の光景を、ただ新鮮に、純粋に感じながら生きる……。彼の日常からは、そんなことを思わされます。

 劇中、彼が口にする「今度は今度、今は今」というセリフ。大人が子供に対して用いるような、ちょっと卑怯な屁理屈なんかにも使われる印象の言葉ですが笑、この言葉もまた、以上のような話にも繋がり得るんじゃないかと思えてきます。いつか訪れる “今度” は、その “今度” が “今” になってみないと、どんな “今度” になっているかはわからない。それこそ木漏れ日のように、一度切りしかなく、且つ予測もできないもの。だから「今は今」と、“今” を享受できるんじゃないか……。

 とまぁ、挙げれば切りがありませんが、予告編映像のコメントにもあったように、本作から感じられるのは、そんな幾つもの禅の精神

 今は本当に良い時代です。僕のように無学な人間でも、軽く調べただけで多くの言葉を知れる。「無功徳」「円相」「知足」、その他有名どころで言えば「一期一会」「日々是好日」などなど……。正しく形容できているかはわかりませんし、本作には説明的なセリフや表現こそありませんが、それでもありありと、ヴィム・ベンダース監督が本作に込めた禅の精神というものを窺い知れます。これ以上は実際にご覧になって頂くことが一番だと思いますので、ここからはまた別の感想を述べていこうかと思います。

 


 平山の素性は、終始よくわかりません。何かあったのかもしれないと思わせつつも、明言されることなく話は進んでいきます。しかしながら、たしかに気にはなるものの、それで十分だったのかもしれません。人は誰しも他人には見せない影を持つもの。知り得ないことだらけでも日々は充足し得ると教えてくれるようです。

 とはいえ、(こればっかりは僕自身の先入観の責任でしかないのですが笑、)同じく役所広司主演の映画『すばらしき世界』(感想文リンク)とも似た日常から、始まってからしばらくの間は「一体、平山の過去に何が?!」という視点を持ってしまったのが本音でもあります。だから、たとえばニコ(中野有紗)と並んで自転車を漕ぐシーンで、なぜか平山だけが重そうにペダルを漕いでいる様子などからも、彼が質素な生活に努めていること、なにか重たい過去を背負って生きていることなんかを自然と想像してしまう。
 これまた『すばらしき世界』と同じく、何かの象徴のように度々映り込むスカイツリーの存在も相俟って、そんなことを考えてしまいました。ある種「現代の」、はたまた「時代の」象徴とも呼べるスカイツリー。その足元近く、時代の影に隠れるように生きているとも思われかねない平山の日々の中には、危うささえ感じられてしまうんです。

 序盤、迷子になってしまった少年の母親が平山に向けた視線や態度は、あまりにも冷たいものでした。しかし、残念ながら現実とはそういうもの。映画『リチャード・ジュエル』(感想文リンク)を観た際に感じたものと同様。ホワイト・トラッシュ(プアホワイトとも)などと蔑まれ、真面目に働く本人の想いなど見向きもされず、偏見だけで人物像を決め付けられてしまう。
 それ故に感じてしまった平山の危うさ。ただ日々を満足に生きているだけなのに、いつも見掛ける女性に軽い会釈をすること、中年男性である彼が(仕事のためなのに)女性用トイレの前で待機すること等々。もし仮に疑われでもしたら、彼は逃げようがないんじゃないか。迷子になった少年の母親との一連のシーンから、そんなことを考えてしまいました。


 でも、そんな不安は次第になくなっていく。彼が寝床に着く際の描写など、不安感というか不穏な気配に感じられないこともないシーンもあるにはありましたが、平山のゆとりある表情や仕草が、すべてをまろやかにしてくれるようです。これまた予告編のコメントにもあったように、多くを無言の演技で支配していた役所広司さんの存在がとても大きい。本作の大きな魅力のうちの一つです。同じことしか言えなくて情けないですが、これもまた実際にご覧になって頂くのが一番だと思います。本作もまた、言葉にするのは野暮だと思える作品です。

 

 本当にとても素敵な映画でした。「いい気分」とだけ述べてしまうと、非常に軽いもののようにも思えてしまいますが、本作を観終えて、心から「いい気分だ」と思えただけで、世界の色が、光り方が違って見えてくるような気がします。


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