見出し画像

映画『哀れなるものたち』感想

予告編
 ↓

R-18+指定


おとぎ話


 R-18指定作品ということもありますが、何より『女王陛下のお気に入り』(感想文リンク)や『聖なる鹿殺し』のヨルゴス・ランティモス監督の作品ということですから、一体どんな映画なのかとワクワク(ソワソワ?笑)しながら観に行きましたが、想像以上にとんでもない映画でした。しかしそれ以上に、とても面白かったです。


 天才外科医のゴドウィン(ウィレム・デフォー)によって奇跡的に蘇生したベラ・バクスター(エマ・ストーン)は、外見こそ大人の女性ではあるものの、脳は生まれて間もない胎児のそれ。そんな穢れのない無垢な視点を持つ彼女が、世界を見て回って行く物語。偏見や常識、倫理観、道徳観などなど、物の見方に何一つバイアスがかかっていない、且つ好奇心旺盛な彼女の自由奔放ぶりがとても面白い。

 いやもちろん、常識や道徳観なども大事なものではありますが、如何に僕自身がそういったものに縛られているか、忖度しているか、物の見方にバイアスがかかっていたかに気付かされるよう。それを説教臭く描くのではなく、あくまでもコメディとして見せてくれる瞬間があるのも本作の見どころの一つ。しかし何よりも、本作の世界観にこそ一番の魅力があったように感じました。


 正直、挙げ出したら切りは無いのですが、たとえば独特で魅力的な衣装、乗り物や街並みの異世界感など。ほんの一瞬、英国だとかを連想してしまいそうなビジュアルは各所に見受けられるものの、でもやっぱりこんな世界は見たことが無い。そんな不思議なおとぎ話感のある雰囲気こそ、本作の魅力を底上げしていたと思います。

 そして、そんな〈おとぎ話みたいな世界〉だからこそ、本作で描かれる諸々の見え方さえ大きく変わってくる。


 たとえば、劇中で何度も描かれる性的描写。そもそもそういったシーン自体が刺激的なものではあるのですが、いわゆる〈おとぎ話みたいな世界〉の中で描かれることで、普段以上に “タブーに触れちゃっている感” が出ていたように思えてくる。従来のおとぎ話では一切触れられない、アンタッチャブルな要素も嘘偽りなく描かれていきます。

 また、そういった「タブー感」という点で言うと、(言い方が難しいのですが)見た目の割におつむが幼稚なベラの存在も大きい。「おつむが足りない」という不憫さや無知さ故の凸凹感、イレギュラー感がユーモアへと変貌していく。〈おとぎ話みたいな世界〉だからこそ際立つタブー感やアンタッチャブル感が存分に活かされていたんじゃないかな。


 けれど、〈おとぎ話〉の一番の活用は、寓話性にあると思います。本作は実写だからこその現実感はあるものの、やはり時代も違えば衣装やら建物やらといった文化感も異なっている世界が舞台。それらどうしたって拭えない異世界感を仮託することで、この物語で起こる出来事を、ただ単純に額面通りに受け取るのではなく、どこか寓意を探りながら眺めてしまう。それこそ、おとぎ話みたいな世界観あってこその楽しみ方であり、味わい方。

こういった寓話性はおとぎ話との相性がとても好いもの。僕は本作で描かれていた出来事や言葉の中から、今僕らが生きている現実社会に存在する様々なことについての関心を呼び起こされたような気すらしています。



 とても自由奔放に見えるベラですが、彼女が常識や偏見に囚われず、自身の好奇心の赴くままになればなるほど、世の中の不自由さが際立っていく印象でした。ベラとして生まれ変わる前の彼女の環境もそう。ベラとして新たに生を受けてからは外界との関わりを制限された日常を送り、外の世界へ飛び出してからも多くの常識や偏見といったものに取り囲まれている。不自由に苛まれ、ある意味、人生をリセットしても尚、また自由が奪われていく。

ベラだったからこそ、振り出しに戻ってしまいそうな流れを打破し、クライマックスへと向かえた訳ですが、実のところ本作では、様々な形で女性の不自由さが窺い知れていたと思います。彼女の言葉を借りるなら、まるで “囚人” のよう。


 一方で、先述した性的描写についても、そういったことを連想できてしまう。「社会性が~」といった理由で、ベラ自身の性的な好奇心諸々をひっくるめて人格否定されるような瞬間なども印象的でしたが、それ以上に性的搾取の構造があちこちのシーンに散りばめられていたことの方が気になってきます。

 ある種、タブーのように扱ってしまい、何も知らないままだった好奇心を利用して近寄ってくるダンカン(マーク・ラファロ)や、なんだかんだで良い奴だったけど、実ははじめのうちはベラの無知さを「利用しようとしていた」と白状したマックス(ラミー・ユセフ)、そして生まれ変わる前のベラの環境……。性的な興味それそのものを否定するわけではありませんが、結局、男側が搾取・支配する側として存在しているようにも見えてくる。

 また、しっかりと性行為のシーンを描く本作は、“映画鑑賞” として作品に触れるだけではなく、性的な目線で作品を消費させ得る可能性も十分にある。過激な性的描写については、延いては観客にそれを自覚させるためだったのかとすら訝ってしまいます。



 色々と不自由さや冷たい社会を窺わせる瞬間こそありましたが、それでも本作を面白いと思えたのは、やはり主人公ベラの魅力あってこそ。無知ではあったものの、何より彼女には〈愛〉や〈希望〉があったように思います。

 たしかにゴドウィンは過保護も度が過ぎるくらいでしたが、ちゃんと彼女を愛していたんじゃないかな。常識だ、偏見だ、倫理観だ、道徳観だ、といった事柄こそ欠けていたのに、でも〈愛〉や〈希望〉だけは持っていたというのが面白い。経緯はどうあれ、愛情があれば伝わっていくのだと言ってくれているよう。こういった感想もまた、寓話性が活きる “おとぎ話っぽさ” あってこその魅力かもしれません。

 人体を解剖して研究するゴドウィンが生み出したベラ……。もしかして、解剖——即ち「人間の中身を探ること」——というのは、人の内面を探ろうとする物語であることを象徴する要素だったのかな?


#映画 #映画感想 #映画レビュー #映画感想文 #コンテンツ会議 #哀れなるものたち


この記事が参加している募集

コンテンツ会議

映画感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?