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映画『ロスト・キング 500年越しの運命』感想

予告編
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虚実×真実


 昨年公開の映画『ドリームプラン』(感想文リンク)。実は原題だと『キング・リチャード(King Richard)』というタイトル。かの有名なウィリアムズ姉妹を、独自の教育方針で世界一のテニスプレイヤーにまで育て上げた父親・リチャードの実話を基にした作品で、その暴君ぶりを揶揄するかのように「リチャード王」と、シェイクスピア作品を引き合いにした呼ばれ方をされることもあったんだとか。そんな理由から付けられたタイトル……

 というのが、「なんで原題と邦題が違うんだろう?」と思いネットで調べた際に見つけた情報。そして本作は、そんなイメージを大衆に抱かれているリチャード王その人の墓を探し出すという物語。創作の中の彼ではなく、実際の彼自身。そして本作もまた、実話を基にした物語。


 

 本作は、全体的に落ち着いた雰囲気の仕上がりながらも、視線の誘導などがとても上手く、面白い。割かし淡々と進んでいきますが、単調に感じられることはないと思います。例えば別々の場所を同時に描くような際に、“聴衆の拍手” や “大砲の音” など、何かしらのギミック的な音がそれぞれのシーンに重なるように流れてくるため、不思議なことにその別々の場所同士が奇妙にリンクして見えてきます。

 だからこそ、その前後でのセリフの意味なども浮き彫りになってくるんです。二つの場所を同時に描きながらもテンポが良く、言葉やシーンに、より深く意味を孕ませ、おまけに鬱陶しく感じさせない笑、素敵な映像トリックです。
 また、「不思議なことに~~奇妙にリンクして見えてくる」という感覚が、主人公・フィリッパ(サリー・ホーキンス)が抱く感覚——これまで人々が見向きもしなかった場所や物に、理由もなく「何かがあるんじゃないか」という気がしてしまう——を表現しているようにも見えてきて面白い。

 

 あと個人的に好きなのが、「靴が洒落ている」というセリフから、カメラが足元へ縦にパンし、イギリスの国旗がデザインされた靴だけではなく、その足元にある地面の重要な部分をも同時に映し込むシーン。前出のシーンで、「愛国心」というワードと共にユニオンジャック柄を映しておくことで、この遊び心あるシーンへの流れが非常に自然な感じになっていたんじゃないかな?



 

 映画の序盤。勤め先で実力に見合った正当な評価が与えられていないかのように描かれていた主人公。決してシェイクスピア批判ではありませんが、かの作品の存在によって、或いは(トゲのある言い方かもしれませんが)フェイク情報によって、これまた正当な評価を得られなかったリチャード王。きっかけは、そんなところからのシンパシーなのでしょうか。

 もはや流行り言葉みたいになりつつありますが、「それってあなたの感想ですよね」を地で行くような物語である本作。たしかに学問や科学こそ〈根拠〉足り得るもの。でも、動機や原動力は感情なのだと教えられたような気がします。元来、気になると訂正したくなる質の彼女の姿が序盤にちゃんと描かれていたことも相俟って、そう思わされました。劇中でシェイクスピア作品の演劇シーンがありましたが、そこでリチャード王を演じていた舞台俳優(彼女のイマジナリーフレンドとして現れていたリチャード王(ハリー・ロイド)とは別人)と遭遇したシーンも印象的。「心を動かされた」という彼女の心情がよくわかります。

 

 虚実も積み重なれば、真実に取って代わり得る。昔で言えば、噂話に尾ひれが付いて広まっていく程度のものかもしれませんが、現代のSNSはそれがエスカレートしているように感じられます。フェイクが蔓延り、それに惑わされる。根も葉もない話でも、発信力のある者が吹聴するだけで、まるで真実かのごとく大衆に受け取られてしまう。本作のクライマックスでもまた、同様のことが起きていて、どこか虚しい気持ちになりかける……。

 しかし、そこで映し出される字幕テロップが、リチャード王に対する評価と同じようになりかけてしまった本作のラストを、一気に軌道修正してくれるんです。とても素敵な着地。“本作が実話を基に制作されている” という事実もまた説得力を増す一要因にもなりますが、それ以上に、その字幕テロップを本編の最期の最後に持ってくることで、虚実で他者を貶めるようなことは二度と繰り返すべきでは無いというメッセージがより一層強調されていたんじゃないかな。


 

 近年でいえばコロナ禍、その他震災といった有事の際など、人は心が疲弊しているほどに、飛び交うフェイクに簡単に惑わされてしまう気がします。だから、フェイクに釣られてしまうこと、それ自体は決して悪ではないのかもしれません。でもだからこそ、決め付けではない受け止め方ができることも重要になってくるんじゃないかな。彼女の独り言(リチャード王へ語り掛けている姿)を目にしたことを話す息子に対し、「次第に受け入れだしている」と返す夫のジョン(スティーブ・クーガン)の姿なども描かれていましたが、理解はできなくても、寄り添おうとする姿勢を示すだけでも正しい“運命”へと繋がるきっかけになり得る。これもまた、本作の大切なテーマの一つかもしれません。それが、クライマックスでの「あなたが知ってくれているだけで十分」というリチャード王のセリフにも繋がってくるように思えます。

 そうやって主人公たった一人だけが知っていた、信じ続けていたことで光明が差し込んだ “リチャード王への評価”。それを象徴するかのように物語のラストは、一部の人々だけが「知ってくれているだけで十分」と言わんばかりの彼女の姿で締め括られていました。そして実際、本作の存在により、リチャード王へのそれと同様、彼女への評価も正しく広まることを願うばかりです。本作を観た観客だけでも “知ってくれているだけ十分” なはずだから。


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