見出し画像

出版社は「マスメディア」なのか問題ー島田潤一郎さん『あしたから出版社』を読んで

島田潤一郎さんの『あしたから出版社』を読みました。ほとんど出版社勤務の経験もなければ、編集の経験もなかった島田さんが、ある詩を出版するためにひとりで「夏葉社」という出版社を立ち上げ、現在に至るまでのことが書かれたエッセイです。

島田さんはたくさん示唆に富んだことをおっしゃっているのですけれど、今回はその中のある一節から、出版社のお仕事について考えてみたいと思います。

一般的に、出版社はマスコミに分類されていて、そういう意味では、夏葉社もまた出版社であり、マスコミなのかもしれないけど、ぼくの気持ちとしては、本をつくっているというよりも、手づくりの「もの」をつくっているような感覚なのだった。

島田潤一郎『あしたから出版社』(ちくま文庫)P119

堅苦しく紐解くと(僕は堅苦しく紐解くのが好きなのです)、マスメディアとは、マス(=一般大衆)のためのメディア(=情報の媒介者)です。新聞やテレビがその代表。あるいは雑誌もまたマスメディアとしての機能を強く持っています。今でこそ部数は減りましたが、週刊誌はいまだに新聞と同じ機能を担っていると思います。繰り返しますが、大衆に向けて情報を伝える役割を担うのが、マスメディアです。

では、書籍の場合はどうか。
一般的に、書籍は雑誌ほど部数を刷りません。ほとんどの書籍は初版10,000部未満からスタートし、重版がかかればとりあえず合格点とされています。仮に10,000部刷ったとしても、実際は書店や出版社の在庫になる分もあるので、本当に読者の手に渡るのはそのうちの6割〜8割程度と思います。

中には100万部を超えて多くの人の手にわたることもありますが、多くの書籍は1万人にも届かないのです。大手新聞が1000万部前後(あくまで公称ですが)、テレビが全国民の10%程度見ているとすると、書籍の出版が他のマスメディアと同等に語られるのはちょっと違和感があります。なんなら、いわゆるインフルエンサーと呼ばれる人のSNSの方が発信力があるのです。

では、出版社はマスメディアではないと言われると、決してそういうことでもありません。もう一度、堅苦しく紐解くと、そもそも"publish”とは何かを公(public)に晒すこと。社会的責任の問われる行為です。どんなに部数が少なくても、それが出版社によって発刊されたものならば、不適切な表現のある書籍は批判の対象にされたり、社会問題に発展したりもします。詰まるところ、出版社も他のマスメディア同様に、「公器」としての役割が期待されているのです。

そう意味では、出版社の仕事というのは二面性を持っているように思います。それは「大衆にメッセージを伝える機能」と「ニッチなニーズに応える機能」です。そもそも本を読むという行為自体がメジャーではないかもしれません。それでも、そういう人たちのために本を届ける。ただし、公器としての責任もある。いわばマスであり、ニッチである。それが出版だと思います。

もうひとつ、冒頭の島田さんの言葉に戻ると、島田さんは自らのお仕事を「ものづくり」に近いとおっしゃっています。『あしたから出版社』を読んでいても、島田さんの「本のたたずまい」への強いこだわりが随所にあらわれています。ブックデザイナーという仕事があることからもわかるように、本をつくることは、ただ紙に情報を刷るに留まらない意義があるはずです。

たとえば、テレビのプロデューサーは、番組という表現物をつくる仕事ですが、それは無形のものです。新聞は有形ですが、新聞紙そのものの出来栄えにこだわる新聞記者は存在しないと思います(存在していたらごめんなさい)。本来的には情報を伝える役割である「本」にものづくりとしての側面があるというのも興味深い点です。

以前、このnoteで、僕は出版社の仕事は「ことづくり」だということを述べました。一見、島田さんの言葉と相克するように聞こえますが、僕はそう思っていません。島田さんもあくまで「もの」を作る局面では、和田誠さんのようなブックデザイナーを全面的に信頼し、ものづくりを託しています。出版における「ものづくり」とは、「こと」を伝える本の価値を最大化させるための営みだと思います。

テレビ(正確にはテレビ局の制作する番組)が以前ほど視聴されなくなったことに代表されるように、現代は「大衆が失われた時代」と言われるようになりました。趣味や関心が細分化されていくなかで、あらゆる出版社がどういうスタンスで本をつくっていくのか、その姿勢を問われるようになっていますし、これからその流れはますます強まるでしょう。以前書いたように、大量に配本した本が自然に売れる時代は終わりつつあるのですから。

無論、一部のメガヒットコミックのように、社会のムーブメントになるような出版も生き続けるでしょう。でも、それはごくごくごくわずかなケースです。それ以外は、ニッチな世界で深く読まれるようなものになっていくと、僕は考えます。そんな出版の未来に思いを馳せながら『あしたから出版社』を読むと、いわゆる「ひとり出版社」の旗手である島田さんの取り組みは非常に勉強になることばかりでした。

ものづくりとして、本を大切に作っていき、そして大切に作った本を、大切に届けていく。そんな心持ちが『あしたから出版社』からは滲み出ていました。自分たちの届けたい本を読んでくれる読者、それも不特定多数ではなくて、できれば顔が見えるようなひとりひとりの読者に手渡していく。それが、これからの出版に必要なスタンスだと思いました。

その反面、著者や関係者が心を込めて作った本は、ひとりでも多くに読んでほしいという欲もあります。それはそうですよ。でも、もうそこには飛び道具や魔法のような奇跡の一手はないんだろうなって思います。ただひたすらに、ある意味で「どぶ板選挙」のように泥臭く。マスであって、マスじゃない。そのはざまとジレンマをもっと抱えて、本を作って届けるという営みは続いていくのだろうと思います。(D)

この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?