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千葉雅也『エレクトリック』感想

『エレクトリック』を読み終えて、しばらくぼーっと内容について考えていたらふと、『デッドライン』の一節が頭に浮かんだ。

モースが交換ではなく贈与と呼んで考察したのは、人々が「人類」としてまとめ上げられる手前で、何かを特殊なやり方で贈り、贈られたらしかるべく返礼しなければならないという、場所によって異なる特殊な事実だったのではないか。モースは、事実の特殊性を尊重していたのではないか。

千葉雅也『デッドライン』新潮文庫 p.36(原文は太字部分傍点)

これは、人々がインターネットによって一つにまとめ上げられる手前の物語。そこにあった何かを、未来に逃がそうとしている。そんなふうに思った。

1.   変身

物語においては、始まってから終わるまでの間に何らかの変化が起こるのが常だ。大体は主人公が変化する。少年から青年へと成長し責任を引き受けるようになる、とか、少女の髪が落とされる、とか。

しかし『エレクトリック』では一番顕著な変化を遂げているのはモノで、アンプだ。
主人公が、その父親が、いずれ訪れるであろう変化の手前で止まっているうちに、一足先にアンプが別の次元をくぐり抜けて、未来に到達している。そこから”部屋全体を何かねっとりとした溶液に浸からせ”て、空間を変質させる。
そのことに、インターネットで束ねられる前にあった可能性が、ある特殊なやり方で未来に逃されているイメージを持った。

そこにあった可能性とは何だろう。それはこれと明言されず、小説内にひたすら具体的に並べられているエピソードの全てだ。インターネットがはりめぐらされる前に、人々がどんなふうに暮らしていたか。その詳細。

家族に隠れて、家でVHSのAVを観る。店で、何によって味つけられているか分からないものを食べる。写りの悪い自分の写真。それをインターネットで見知らぬ相手に送る。チャットに入っても、”何話したらいいかわからない”で沈黙してしまう。

そのすべてが今では体験できないことで、そこにあった不確実なものにあいまいに手を伸ばす感覚は、インターネットによって一掃された。
95年は過渡期で、インターネット前の暮らしと以後の暮らしが混在していて、ミルクを入れたばかりのコーヒーみたいになっている。

その時代を知っている人間にとっては、読んでいていくつものディティールが面映ゆく感じられる。どこか居心地悪いくらいに。そういえば、こうだったな、と思い出される数々。

2023年に、読者それぞれの頭の中でリアルな感覚を伴って再生(あるいは夢想)される1995年。それが未来に届けられたもので、”部屋全体を何かねっとりとした溶液に浸からせ”るように、読んでいる私たちの内部を変質させ、私たちが変身するのかもしれない。

2.   母親

『エレクトリック』では、主人公を取り巻く95年という大きな世界が描かれている一方、小さな世界、「家族」も活写されている。印象的だったのは、10代の男の子の目を通じて見る「母親」の存在の異質さだ。
主人公が友達のようにつるんでいる父親と、その他彼が属している世界で交わされている言葉と比べて、母親が発する言葉は際立って異質だ。

”そんなことはどうでもいいの!”、どうでもいいと言いながら、声を荒げるダブルバインド。”なんでママの味方をしてくれないの”。どう答えても責められる、袋小路の質問。「エレクトリック」に代表されるような、カタカナ言葉の爽快感に対し、呪文のような響きの「あおやぎ」「梅の木」。

常に含みのあるコミュニケーションを求めてくる母親に対して、主人公は戸惑う。母を、どう扱っていいのか分からず混乱する。そして自分から母に何かをはたらきかけることができない。

父と母、兄と妹という、年のいった男女と若い男女のペアで構成されているこの家族は完結した小宇宙で、その中で父親は「英雄」と称されているが、実は最上位にいるのは母親だ。
英雄よりもその存在は大きい。英雄である父は、”ママに謝っといてよ、な?”と、息子に対してそのことを隠さない。

母親をめぐる描写で面白いなと思ったのは、妹がタバコを吸っているのではないかと母に問い詰められて白状した、と書かれている部分。

妹は、美しい母の前でごまかし続けることに耐えられなかったに違いない。

千葉雅也『エレクトリック』新潮 2023年2月号 p.31

主人公はそのように解釈するのだが、この事象自体は「妹が認めたのは、そうすることで母にダメージを与えたかったから」とも読めるものだ。それをそのように解釈しない、ということは「母の力(美しさ)に屈服しているのは実際には妹ではなく主人公」だということだろう。

主人公は自分が母親に屈服していることに対して今いち自覚がなく、だから母親との間にある緊張感は、目に見える対立まで発展していないが、実は火種が燻っているし、争いが表面化している母=妹間の対立よりも複雑だ。

主人公は変化の手前に立って、”かすかな揺れがどこかから伝わってくる”のを感じてる。それは、一つには95年という時代がもたらす地響きで、そしてもう一つは母との関係性を震源とする家庭内の地盤の揺れだ。

『エレクトリック』に書かれている「家族」は他にも様々な読み解きが可能で、そのように読めるということは、この家族はそのプロフィールからまるで著者自身が属していた家族のように見えるけれども、そうではなく図式化・洗練された「家族なるもの」が書かれているということなのだろう。

3.   エレクトリック

『エレクトリック』というタイトルが告知されたとき、単純にその響きから素敵だな!とワクワクした。日本語で、カタカナ発音でそう言ったときの響きが好きだ。軽快な足取りで一段ずつ階段を昇っていくような、エ・レ・ク・ト・リ。そして「ッ」でふっと高く飛翔してそのまま途切れそうになる…と、「ク」で戻ってきて、でもそのときには前とは別ものになっている。そんな感じ。
7文字で、小説の7つの章立てに呼応している。そんな妄想をする。


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