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4.他者の干渉と創作の自由

本章では、以下の内容について明らかにする。

他者の干渉は、創作において避けがたい現実である。評価、期待、批判など、これらはすべて創作過程に影響を及ぼし、創作者の自由を制約する。

創作は本来自由であるべきだが、現実には他者の目を意識せざるを得ない。

結論として、他者の干渉は創作の純粋性を脅かし、自己表現を制限する。

本章の役割は他者の干渉が創作、すなわち自己表現に及ぼす影響についての諸事を明らかにすることである。


他者の干渉が創作過程にどのような影響を及ぼすのか?

他者の干渉は創作活動に対して社会的期待を起こし、その重力によって創作のベクトルを社会貢献へと誘引する。

毛頭、社会貢献のために始まった創作であればそこに下卑た現象は存在しないのだが、こと自己を発信したい、今回のテーマである自己表現において他者の干渉は最も憂慮すべき害である。

しかし、発信という行為自体が他者にベクトルの向いた物事である以上、創作において他者が干渉しないという事が極度に困難であることは想像に難くない。

人の干渉に因らずに創作が発生することは、自然以外では在り得ない。つまるところ、人間性や純粋な自己を発信することを目的とする自己表現という行為は人間からは発生しない物事である。この矛盾のために、本論はより強化される。

他者の評価や期待が創作者の自由をどの程度制約するのか?

外部からの評価や期待はすなわち社会的期待であり、それらが創作者の自由に及ぼす影響についてはすでに述べた通りである。

社会的期待は創作の自由を結果的に侵害する。
社会的期待は創作者の考えに作用し、結果として創造物、アウトプットの形式や方法、言葉の選択範囲を制限する。

社会的期待による創作の自由の侵害の形は様々で、例えばYouTubeポリシーなどのような、フィールドに用いられたルールでもって創造物の形を制限する場合もあれば、それならばと自身の創造をまた新たな別のフィールドで示そうと思えば民意からなる時の社会的期待が創造物の形を制限する場合もある。

創作が本来自由であるべきだという考えについて、具体的にどのような自由を指しているのか?

創作の自由とは、各個人が創作したいと思うあらゆる創作物を創作する自由、という意味。

これはほとんどの場合守られず、守ることが非常に難しいものであり、なぜ守ることが難しいのかについて人々の生活には創作だけがある訳ではないからだ。
これもまた社会的期待や法律などによって守られないことが往々にしてある。

法律はこれを多くの場合制限しないが、ある特定のとある範囲などで制限することがある。これは人々の身体的安全や特定の創作がもたらす人々に対する感覚的な不快感を制限するためである。

他者の干渉が創作の純粋性を脅かすという観点から、具体的にどのような干渉が問題となるのか?

他者の干渉、社会的期待の包括する全ての干渉は自己表現において全て有毒である。全て問題であると考える。「社会的期待」が非常にグラデーション感の強い表現であることを前提に、しかしそこに加われたあらゆる干渉は全てが害である。

他者からのあらゆる干渉は、創作者に対して感動、嫌悪、好意などを通して自己表現を変質させる。新たな自己を形成し、創作者自信を変質さえさせることもある。

他者の干渉を避けるために、創作者が取るべき対策はどのようなものか?

そんなものは存在しない。

他者の干渉と創作の自由

他者の干渉は創作の自由を縛り、創作の自由は他者の干渉から絶対に逃れられない。そもそも創作の自由は存在しない。

人は生まれた瞬間から社会性のために発生しているので、以後創作者に成ろうとも自己を社会、社会性から逸脱させることは絶対に叶わない。

他者の干渉しない自己など存在せず、その精神は「必ず社会の中にある。あらゆる行動は大小問わず社会貢献へとベクトルが向く。

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