予備校における”勧誘”の考え方

どうも、私文大学生で予備校バイターのりらりらです。さっきなんとなくyahooを開いたら、こんな見出しが踊っていました。

「大手学習塾に同業19社が抗議 悪質勧誘 合格者水増し 告発される」

「わーお。やってんなあ。」色々まだ定かではないのだろうが、状況証拠は十分、と言った感じである。まずは記事を読んでいただきたいのだが、どうやら「こう言ったリンクは踏まない読者が大多数」らしいのでかいつまんで説明すると「自塾の生徒から成績優秀な友達等の個人情報を聞き出してそこから(しつこく)勧誘、知らないうちに内部生にして合格者の数字に含めてました」みたいな内容である。これだけ言うと「あー、やばそうっすね」ってだけで終わると思うが、この言い方ならどうだろうか。「合格者数に体験生も含めてました」「え、それ普通じゃないんだ」ってなるのでは?実は基本的にどこの予備校でも「ちゃんと通っている生徒」の合格実績しか載せちゃいけないことになっている。だから今回問題になっているのである。

さて、今回の一件で「合格実績というのはこんなことまでして欲しいレベルの宣伝材料」だと言うことが窺えるだろう。予備校にとって自校の生徒がどこに何人受かってるかという数字は毎年大々的に発表されるほどの”超”重要な情報なのだ。では、実際考え方として「生徒を自校に入学させる」という行為はスタッフ間でどのように共有されているのだろうか。ここからのお話は私が働いている予備校の人間なら「あ、それうちじゃん」となる話なので、もし勘づいた方がいても黙っててください

何を隠そう私は自校舎で生徒を入学させる業務のリーダーとして勤務している。そんなリーダーが就任後最初に叩き込まれるのは「入学させる≠営業」という考え方である。どういうことか。簡単に言えば「生徒自身が自らここで頑張ろうという意思を持った上で勝手に入ってくる」という状況を作れということだ。だから我々スタッフは「おいウチで頑張ろうぜ」というような「THE・営業」的発言はしないことを鉄則とする。とにかく生徒自身の状況や自発的発言に親身になって対応し、前向きになれるようコーチングしていくのである。これ以上喋ると消されそうなのでウチの考え方のお話はここまでにしておくが、要は大義名分が浸透することは企業にとって、予備校にとって大事なのだ。

大義名分が浸透してれば、冒頭で述べた記事のような事態にはなりにくい。社会的、道義的な役割がはっきりしていない企業はダメになるのである。また、大義名分というのは上手く作ればそれ自体が自社のマーケティングの根幹になる。マーケティングはよく「売れる仕組みを作ること」と表現される。先程の例で言えば「生徒自身が自らここで頑張ろうという意思を持った上で勝手に入ってくる」という状況はそれつまりマーケティングである。これができている予備校は強い。実際中身も信頼できることが殆どだろう。予備校という顧客が限定されているクローズな業界においても、勧誘という行為に大義名分とリンクしたマーケティングが組み込まれていないと今後厳しいのではないか。

予備校という業界は今後少子化の影響をもろに受けるだろうが、上記のような根幹がしっかりしている予備校はある程度生き残るのではないか。なんなら特に予備校に限った話ではなく、他の業界でも大義名分がしっかりしているかどうかは非常に重要で、これまでうまくいっていた企業でも大義名分が時代遅れになれば消滅するに違いない。私は今就活をしているが、意外と企業理念を確認することは重要だと思っている。

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