見出し画像

世界の美しい瞬間 34

34 かっこよい

生まれてこの方、どこへ行こうが常にマイナー人民として過ごして来たわたしだが、昨今も順調にマイナー側の住民である。

メジャーを嫌っているわけではなく、どういうわけだか世間様的にマイナーに振り分けられるので仕方がない。

何をしようがしまいが変わらないので、ぜんぜんどっちだっていいし、それは他の人や組織に対しても同じスタンスで考えている。

ただ、メジャー側の気持ちは1回も味わったことがないため、空想で思いやることはできても、気持ちを理解してあげることができない。
なので、この記事はメジャー方面には響かないかも、ごめん。

さて、ものごころついてからかなりの長年マイナーでいると、変わってるねと万回は聞いた。

だが、マイナーも貫いてみるもんだと言うことが最近浮き上がって来た。

多くの人々がいないとこ、しないこと、考えてもみないことを、いて、して、考えていると、変わってるね、変わってるねと周りは言う。

変わってると声をかける側のものさしが何なのか知る由もないが、だからと言ってわたしであることは変わりようがないし、どう在りたいかも変えようがない。

そして、別にメジャーを敵視しているわけでもない。むしろ、そっち側ってどうなのと、マイナー住民としては極力コミュニケーションして来た方だと思う。

そうこうしているうち、世間様の言う「変わってるね」は、急激にそれらの総称としてこう評されるようになった。

「かっこいいね!」

実は数年前からこれを言われ始めていたのだけど、そう言われるようになって来たと気が付いたのは最近である。思い返せば。

かっこいいのかどうかは自分では分からないし、単に自分の在りたいようになるべく在るだけなのだが、

明らかに、「変わってる」よりも「かっこいい」と言われる方がいい感じなのだ。

別に幸せでありさえすれば、「変わっていない、かっこいい」もあるのだろうし、そちらに転じることについても正誤はない。

メジャーだろうがマイナーだろうがいい、自分の在りたいようになるべくバランスを取って貫くことが、かっこよさを生み出すことができる、ひとつの手段なのかも知れない。

もちろん、かっこいいを目指し、それが在りたい様なのであれば、だ。

ちなみに、わたしは「かっこよくてかわいい」もしくは「かわいくてかっこいい」が在りたい様なので、あと半分ってとこだろうか。

ばあさんになる頃にまでは達成予定だ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?