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キャリコン的映画レビュー『哀れなるものたち』

ヨルゴス・ランティモス監督『哀れなるものたち』のレビューです

ストーリーとしては、風変わりな医師が自殺した若い女性ベラの脳に別の脳を移植する。初めは女性は幼児並みの知能であったが次第に成長し自我に目覚める、、、

ざっくりいうとマッドサイエンティストものですね、舞台は産業革命期のイギリスです。エマ・ストーンが相当大胆な演技をしていることも話題になっています。もともと異様な世界を耽美的に描くヨルゴス・ランティモス監督なので、本作もやはり普通の映画ではなかったですね

ストーリーの形式的には、ビルドゥングスロマン、主人公の成長を描く物語です。脳を移植されたベラは手術後は幼児並みの知能であり、食事マネーもなっていないし医師の庇護がなければ何もできない女性でした。
しかし次第に性に目覚めると同時に、放蕩の旅に出ます。その過程で自我の目覚め、文学や歴史、社会的格差などの問題に目覚めます。ラストではとある人物との再会があり、再度籠の中に入りそうになるも自立します。

主人公が女性ということもあり、フェミニズムがテーマと評する人も見ます。ただ個人的には単なるフェミニズム映画でもないように思います。それには身体の自己決定という問題を考える必要があります。

女性の権利向上が叫ばれ、フェミニズム運動が起きる中で人類学者マーガレット・ミードが行った研究、サモアの伝統文化においての性に関する研究は、1960年代の性の革命に影響を与えたとされます。女性が性の自由、身体の自己決定権を主張する時代でした。映画『哀れなるものたち』のベラはこの時期の性の革命を思わせます。
ただ、現代のフェミニズム運動では性の自由よりも性的な搾取の方を問題にしていると思います。女優のカトリーヌ・ドヌーブはそのような現代のフェミニズムに反対意見を表明しています。フェミニズム運動も時代と共に変質していくのでしょう。

自分の身体のことは自分で決定するというのは当たり前のようでいて、当たり前ではないのです。アメリカでは約半数の州が中絶禁止や厳しい規制があります。
Bodily Autonomyというように、身体という言葉で自由の問題にしているのが興味深いですね。自由意志というとなんとなく脳とか心、意識などの問題として考えがち。この映画も脳というよりも身体の方に比重が置かれているように思いました。脳は入れ替え可能であるが身体はコノ身体が唯一のものなのですね。

身体の自己決定権はBodily Autonomyという古くて新しい問題については、政治的にも倫理的にも議論百出であり、この問題を逃げずにドカンと持ってきたランティモス監督と、熱演のエマ・ストーンはすごいですね。エマ・ストーンは現代のカトリーヌ・ドヌーブだ








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