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「生きる」ことを諦めようとしたあの日

こんばんは、れいちぇるです。

今回のnoteはかなり重い・暗い話です。自死の話も含まれます。

苦手な方はここで画面を閉じてください。

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2年ほど前にこのnoteでも記事にしましたが、私には精神科の持病があります。双極性障害(躁うつ病)というものです。

この病気の診断がついたのは、たしか2015年。ですが今考えると、中学・高校の頃からこの病気だったのではないかと思います。

躁状態(気分がものすごくハイになる)のときと、鬱状態(ひどく気分が落ち込む)のときを定期的に繰り返す病気で、精神科で診てもらいますが脳の異常によるものだと言われています。

詳しい原因や完治する方法は現状分かっていません。

なので私はこの5年、ずっとこの躁うつ病と付き合い、服薬を続けてきました。

もちろん精神科に通院していることは1mmも喜ばしいことではないし、抗精神薬を飲まなければいけないことにも抵抗しかありません。

だけど飲まなければ急にハイになって活動的になり、その反動で数日後には酷く落ち込む。

だから本当は嫌だけど、薬を飲むことはきちんとやってきたつもりでした。

心療内科にも通い、臨床心理士の先生ともカウンセリングをし、私なりにこの病気に希望を持っていたつもりでした。1ヶ月ほど前までは。

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9月上旬、その日は用事があり、姉と東京駅に出かけていました。用事が終わり、最寄りのバス停で別れ、家に着いて少し経った頃、急に涙が溢れ出し止まらなくなりました。

おそらく久しぶりの人混みで疲れたからでしょう。といっても滞在時間はそこ1〜2時間。普通の人ならなんてことないと思います。

涙が止まらず、泣きすぎて過呼吸気味になり、何もかもが辛く感じるような思考になっていきました。

生きているのが辛い。こうやって急に涙が溢れることをこれからの人生あと何度経験するのだろう…。躁うつ病と一生付き合っていける自信がない。

そう思ったらマンションの窓から飛び降りたい衝動にかられました。

これはこのまま一人でいたらまずい、と思い近くに住む姉に電話し、すぐに来てもらいました。姉は夕方まで寄り添ってくれ、事なきを得ました。

その日の夜は処方されていた薬を飲んで安眠。

翌日も日中は安定していたのですが、夕方からまた鬱状態に。狭い暗いところに居たくなり、泣きながらウォークインクローゼットに丸まって寝ていました。

異変に気づいた姉がまた駆けつけてくれ、その日も助けてくれました。

その後の2週間ほどは比較的落ち着いていて、たまに落ちることもあったけど無気力な程度で、上述したような奇妙な行動をすることはありませんでした。

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そこから1週間。

9月の最後の日曜日、あの大女優の自殺のニュースが入ってきました。私は良くも悪くも共感性が強いので、特に負のオーラはものすごく吸い取ってしまうところがあります。7月の人気俳優の死のニュースのときも丸2日ほどは引きずっていました。

そんな影響と、自身が土日に予定を詰め込みすぎたせいもあり、9月29日頃から徐々に気分が落ちていきました。

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そして9月30日。

お昼過ぎから夕方にかけ、だんだんと鬱状態が酷くなり、意味もなく涙。そこからどんどんとマイナス思考に。

もう何もかも疲れた。

ごはんを食べることも、何を食べようかと考えることも。

水を飲むのも、トイレに行くことも。

息をするのも。

眠ることさえも。

そう考え始めたら、スマホで「自殺 楽」と検索していました。その後首吊りの方法を調べ、クローゼットにあった革製のベルトを結びドアノブに掛け、家族に宛てた遺書のような短い手紙を書き始めました。

父、母、姉、弟、祖父母、叔母に宛て、「ごめんね。今までありがとう。」という内容の文章をしたためていました。

その手紙を泣きじゃくりながら書いている間に、自殺の衝動は徐々に薄らいでいきましたが、「でも今のまま生きていてもきっとまた辛くなる…」と、ドアノブの前で葛藤を繰り返していました。

その後どうしたのかは正直覚えていません。

でもこうして生きて文章を書いているので、思い留まったことだけは確かです。

夜に母と電話し、夕方に起こしてしまったことを正直に打ち明けました。

この電話を自分からかけたことも記憶にはないです。ごはんを食べたのかも覚えてないのですが、母曰く電話では食べたと言っていたらしく、自死未遂後の記憶はぽっかりと抜けています。

その後おそらく実家で家族会議が行われたのでしょう。翌日(10月1日)コロナ禍の中、母が朝イチで駆けつけてくれました。

母に付き添われ、午後からかかりつけの心療内科に急遽診察に向かいました。

昨日の出来事を主治医に全て話し、9月上旬のこともあったので、これ以上一人で暮らすのは危ないからすぐに入院した方がいいと診断されました。

その場で精神科の入院病棟のある都内の病院に連絡してもらい、紹介状をもらって、その翌日の朝9時に改めて入院する病院で診察を受けることになりました。

おそらく即日入院になるので、入院の準備をしてきてくださいと言われ、あわてて必要なものを買い足し、帰宅して準備。

一緒に暮らしていた愛犬のシエルは実家で見てもらうことになりました。

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10月2日。

まずは9時から精神科の担当の先生の診察。

「入院でいいですか?」と最終確認をされ、私も母も「はい、お願いします」と答え、入院決定。

そこからはとにかくバタバタ。

まずはコロナのPCR検査。それから採血(多分6本くらい採った)、レントゲン・心電図。私がそれらを受けている間に、母は入院の手続き。

病室に入ると、まずは持ち物の検査。

私の場合は自死の危険性が高くて入院したので、バスタオルやフェイスタオル(首にかけられるサイズのもの)、スマホやPCの充電ケーブル、爪切り・ハサミは看護師さん預かりに。

タオル類はシャワーを浴びるときに都度持ってきてもらい、スマホ・PCは看護師さんに預けて充電してもらうシステム(泣)

また、完全個室なので、トイレとシャワーも部屋内にあるんだけど、完全施錠で行きたいときはナースコールで開けてもらい、用を足したらまた施錠という超不便スタイル。

そして、洋服をしまっているロッカーも完全施錠。着替えが必要なときはこれまたナースコールで開けてもらって、着替えたら鍵を締めてもらいます。

さらに(まだあるんか!笑)、入院(10月2日)から土日(〜10月4日)までは自室から出ることも許されず、ただただベッドの上で過ごす日々。

現状、今日は火曜日(AM)ですが未だ一人で自室から出ることは許可されていません。ぴえん。

幸い、個室なのでTVやスマホ・PCは自由に使えるからまだいいんだけど、初日の夜と2日目(土曜)はこの生活が窮屈すぎて、母と電話しながら泣きました。

そうそう。コロナ禍なので、もちろん面会も禁止です。家族でさえも。

今回この出来事を仲の良い友人には先にお話させてもらって、そうするとお見舞いに行きたいって言ってくれる子とか何人かいたんだけど、それも叶わないのです…。2度目のぴえん。

(追記)
今日(10/6)の夕方から上述の制限が全て解けました!歓喜!
トイレ・シャワー・ロッカーの鍵は開き、スマホ・PCのケーブルも自分で管理できるようになりました。それから病室のある病棟フロアまでは出てもOKに!

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自殺しようとした自分のせいでこうなっているので、自業自得ではあるのですが、躁うつ病は本当に生きづらいんです。

30日のあの瞬間から入院当日くらいまではネガティブな気持ちでいっぱいで、どうせ躁うつ病は完治しないんだから、これからもたくさん辛い想いをしていかなきゃいけないんだ…とすごく悲観的でした。おそらく相当な鬱状態だったんだと思います。

でも今は比較的フラットな気持ちで、自分の考え方を変えていかなければ、と思っています。

私自身、以前から「生きていたい」と思ったことがなく、これは楽しい瞬間でもそうです。死生観というのかな?これ自体は多分変えることは難しいです。

ただ、極端に自分に自信がない面や、すぐに未来ばかり考えて不安になってしまう癖は、少しずつでも変えられる気がするので、今回の入院でカウンセリングや作業療法を受ける中で自分と向き合っていきたいなと思ってます。

おそらく、1ヶ月程度は入院生活が続くので、経過や私自身の気持ちの変化など、このnoteに残していけたらと思っています。

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最後に、このnoteを読んでくれている方の中に、もし同じように精神科の病気で悩んでいる人がいたら、お互い生きやすくなる方法を模索していきましょう。

これはそう簡単なことじゃないです。

私自身、5年間この躁うつ病と付き合ってきて、身に沁みるほどよく分かっています。

私も今回の入院生活で薬物療法・カウンセリング・作業療法など受けていき、効果があったと思ったものがあれば、自分自身のためにも記録していきます。

入院生活で時間も有り余るほどあるので、この機会に双極性障害についても改めて調べたり、専門家の先生が出している本を読んでみたりしようと思っています。

そこでの気付きなどがあれば、それもまた記事にします。

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いつもどんなときも私に寄り添ってくれる母さん、母さんの分まで仕事をサポートしてくれる父さん、辛いときすぐに駆けつけてくれるお姉ちゃん、多分今回のことは知らないであろうけど仕事を頑張る弟、いつも優しい言葉をかけてくれる叔母ちゃん。

今回のこと、助けてくれて本当にありがとう。

そして、私が入院の経緯をInstagramのストーリーに載せたとき、わざわざDMをくれた大切な大切な友達のみんな、1人1人のメッセージに涙がこぼれました。全てスクショしたので、これからもそれを大事に、自分の生きる糧にします。

きっとみんなが支えてくれたから、私は今も生きているんだと思います。本当にありがとう。

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重い話題で、しかも長文になってしまいましたが、最後まで読んでいただきありがとうございます。

同情はいりません。こんな病気もあるんだ、と知ってもらえればそれだけで十分です。

人の辛さや悩みは見た目には分からないことが多いです。

周りに辛そうにしている人がいたら、そっと手を差し伸べる。このnoteがそんなきっかけになったらいいなと願っています。

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