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ワークショップが好きなこと

 心のワークショップに参加するようになって、何がよかったかと言うと、守秘義務をお互いが守ろうという意識があることです。そして、相手を傷つけるようなことは言わず、お節介な余分なことは言わない。心の気づきは本人の成長に任せるスタンスなので、一応守られた安全な場が作られているということです。勿論、お約束とは言っていても完璧にできることは難しいこともありますが、それでも、一般的な社会の場に比べて、安心安全の場を用意した上で、人と関わり合いながら自分の気づきを深めていくプロセスを味わうことができることです。

 最初は、少し抵抗がありました。オープンに出すことを恥ずかしいと思ういつもの自分がいました。しかし、慣れてくると、この場の安心・安全さ、自分の心の課題を客観的に感じることができることで深まる気づきの手応えに、だんだんと面白くなっていきました。

ただ、何年も続けていると、少しマニアックになってきます。その時は、ワークショップという擬人の枠から少し出て、日常、つまり本番で取り組むことだと思うのです。
ワークショップで解放された私は、ワークショップ中はいつもより少し大きめの自分になっている気がして、それが終わってからも数日は心地が良いのです。しかし心の風船がしぼむように、現実生活がまた襲ってきます。
ですから、またあの感覚を体感したいとワークショップへいくのですが、その繰り返しでは、先へ進めません。ワークショップで体感、体験したこと学んだことを自分なりに消化して、日常使いにして、初めていきてくると感じています。そこにたどり着くまでに、随分月日がかかったような気がします。少しずつで良いので、お試し感覚で現実の中で慣れていってこそ、学びが活かせるような気がしています。 

 心の学びのワークショップは終わりが無いような気がしています。頻繁にいく必要性を感じなかったら、たまにいくだけでも良いと思うのです。なぜなら、日常使いし始めてからの自己点検やメンテナンスがいるからです。自分ではうまくできているつもりでも、やっぱり客観的な第3者の意見や言葉は大切です。思わぬ発見があったり、以前と違う気づきが得られたりするからです。

心理学の中にジョハリの窓という有名な考え方があります。

① 自分も人も知ってる私
② 自分は知っていても人は知らない私(シークレット)
③ 自分は知らないで人が知っている私(自己盲点)
④ 自分も人も知らない私。と言うものです。

①が大きくなると生きるのが楽になると言われています。ワークショップでは②のことがさらにはっきりとしたり、③が人から言われて受け取ることができたり、思いもかけぬところから④を知ることができたりすることです。

 ただ、本当はお金を支払って擬人体験をしなくても、日常でちゃんと勇気を持ってダメな自分も理解しながら、良きところを生かし、誠実な人間関係ができればそれが一番好ましいのだと思っています。そんな人も世の中にはたくさんいらっしゃるので、それが一番素晴らしいことだと思っています。

 私にはワークショップで安全・安心の場の中で自分を見つめていくことが性に合っていたのだと思います。本を読むだけでも十分理解できる人もいらっしゃるので、本当に人それぞれだと思っています。自分に合ったものを見つけられることが大切だと思います。私にとっては、こうして学びの友と交流しながら仲間づくりをして心の探求を日々実践していくことが喜びなのです。

ありがとうございます。サポートいただいたお金はワークショップ開催等の費用に充てさせていただきます。