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郊外の鳥たち(2018/チウ・ション監督)

前情報で気になりすぎて。

とても詩的で感覚的な作品

「魅惑的で不可解なパズルゲーム」とはよく言ったもので、不可解、わたしにはすこし難しい作品だった。

おそらく、理解しようとするから難解に思える。
だから理解しようとさえしなければ、ただそれを受け入れることができる気がする。

主人公の青年ハオは、地盤沈下が起きた地方都市の地質調査に来たが、そこで廃校になった小学校で自分と同じ名前の日記を発見する、というあらすじなのだが、実は彼自身の過去ではないかとか、それとも都市の現在もしくは未来で起きていることなのかもしれないとか、様々な憶測に答えがないまま展開していく。

たしかに現在、ハオは地質調査をしていて、この地方都市は復興していかなければならないようなのだが、どうにも登場人物がその日記の子ども達と、現在とで、交差しているように見える。

丁度鑑賞したその日、わたしは過去と向き合っていた。

10年単位でわたしにはもう終わったような出来事が目の前に立ち現れたりしていた。
特段、解決しなければならないようなことはないのだけれど、その当時を想起させるようなことが連続で視界に入ったのは珍しいことだった。

だから、さよならも言わずに会わなくなった人たちや、社会情勢や自分の環境の変化でやらなくなったこと、それから、たくさんの過去に置いてきた感情とか、好きだった歌、そういうものを日記のページを捲るが如く振り返っていた。

そんな自分の感覚もあって、スクリーンに映された子ども時代の、永遠に続くかのような限られたファンタジーの時間を目の当たりにしたら思いがけず視界が滲んできた。

その時はすべてが初めてで、森を探索することも、誰かのことを好きということも何もかもが一大事で、今思えば幻想の時間の中で遊ぶことができた大事な瞬間だった。

ただ、その遊び場も開発の手が入り、子ども達は段々と時間の終わりを感じていく。

誰よりも愛され、自身も仲間を愛した「太っちょ」が、学校に来なくなった。

彼はいつか終わるこの時間を誰よりも敏感に感じ取ったのかもしれない。

子ども達は彼の家に向かうが、段々と、一人、また一人と列から離れていく。

そして残されたハオ、ティン、キツネの三人が壁を隔てた都市に辿り着く。

目の前には子どもの手には遠く及ばない大きな都市。
人工的な建物が乱立し、地下トンネルが走る。

作中では描かれていないが、彼らはトンネルへ行ったのかもしれない。
もしそうなら、無事か否かは定かではないが、地下水漏れの影響を受けたとも思える。

おそらく数十年にわたり見えない場所で見えない事故が起きていたが、それは地上30階建てのビルが傾いたことで明らかになる。

これは都市開発へのアンチテーゼとも取れるし、国の持つ社会の格差も描かれているように思った。

ある意味でずっとどっちつかずな主人公ハオは、子どものときも青年のときも力を持つ女性に引っ張られていくようだ。

心根の優しい女性に本当は惹かれているとしても、それを口にすることはない。

ずっと迷いながら、迷ったまんま、それでいいのだと言い聞かせて引きずっているかのようだ。

「何よりも長くて短い
    何よりも速くて遅い
       分けられる大きな塊」

子どもの時に投げかけられた謎が解けぬまま大人になったとしたら、その人は、それが解けるまで出題者を心の中に住まわせていくことになるだろう。

答えに迷い、答えが見つからず、そうなればそうなるほど、それを投げかけたその人の影と暮らすことになる。

見つかることのない青い鳥を探すことと、よく似ている。

そしてこの映画は、それそのもののようだ。

答えを明確にせず、散りばめられたヒントを心に残して去っていく。

もしかしたら答えなんかないのかもしれない。

答えはなんなのか、もしくは答えを出すか出さないか、そんな迷いを観客に与えて、そうやって心に居座るつもりなのだろう。

それなら、それでいい、と思った。

明確な答えを求める現代に一石を投じるものとなりうるし、同時に、無意識のうちにわかりやすさをどこかで求めていたわたしを、チクリと刺した。

この鑑賞体験は、答えを探すうちに失い、置いてきたものを思い出させてくれる。
そして惑うことを肯定し、まだ迷いの途中であり、それが人生だったかもしれないと立ち止まらせてくれる、そんな映画だった。


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