見出し画像

David Wood(Torture Garden Co-Founder,現CLUB VANITAS) インタヴュー記事・後編

●文にアンダーラインがあるものは詳細へ飛ぶことができます。

David Woodに色々なお話を伺う企画、後編。

前編はこちらから。



Rei
Fetishと音楽の関連性についてお聞きします。”Fetishなサウンド”と聴いてどんなジャンルをあなたは指すと思いますか?

David
Torture Garden(以下、TG)のクラブ・イベントについは、いつもイベントをライブパフォーマンス、儀式、または没入型の演劇体験として考えていた。だからクラブの音楽は演劇体験や儀式のサウンドトラックであると考えたんだ。
『トーチャー・ガーデン』が映画だとしたら、それぞれのシーンにどんな音楽が合うか? 僕たちは常にTGをマルチルームで体験できるようにしたいと考えていて、最も大きいスケールの会場には最大6つのテーマルームがあり、それぞれで異なる種類の音楽がプレイされている。
僕たちはダークでセクシャルな雰囲気を望んでおり、メインのダンスフロアでは長年にわたって主にベルギーのニュービートテクノハードハウスドラムンベース、ブレイクビーツエレクトロクラッシュエレクトロハウストラップダブステップなどのエレクトロニックダンスミュージックをプレイしてきたけど、最近は再びテクノに戻っている。

1992年からは、バーレスクキャバレーロックンロールネオ・スイングなど、より折衷的でヴィンテージな2つ目のダンスフロアも併設した。ベティ・ペイジやバーレスク、ベルリン・キャバレー・スタイルのヴィンテージな雰囲気に合っていたからね。
そしてダンジョンルームや別のテーマのインスタレーションルームでは、実験的なインダストリアルやエレクトロニカ、儀式的、オペラ、映画のサウンドトラック、部族、和太鼓、アラビアンなど、映画音楽のように雰囲気に合うムードのあるエロティックなアンビエントミュージックをプレイしている。

Rei
TGを始める前、若い頃はどのようなクラブに通っていましたか? パンクやゴシック・ロックの影響は後のTGに大きな影響を与えましたか?

David
僕はロンドンで生まれだけど、10代の頃はロンドンから80キロ離れたブレインツリー(バンド、プロディジーの結成地でもある。)という小さな町に住んでいた。そこには小さいにもかかわらず強烈なパンクとオルタナティブなシーンがあった。 1981年から1983年にはドレスアップしてそこではじめてバーやクラブに行ったよ。
1983年にロンドンで最初に行ったクラブ、「マッドクラブ」にも電車に乗って行った。階段を降りて、レセプションで最初に見た3人は、リー・バウリーボーイ・ジョージマリリンだった。
”すごい!自分の居場所を見つけた!”と思ったね。

僕はJAPANBauhaus、そしてその後のPsychic TVなどのバンドを見るためにロンドンにも行った。
1983年のPsychic TVは、とてもエキサイティングで過激なイベントだった。実験的なインダストリアル・ミュージック、儀式的な魔術、アート映画の上映がミックスされていて、観客はミステリアスで危険で、まるでカルト集団のようで大好きだった。

その後、1983年から1984年にかけてアートスクールのために幸運にもロンドンに移り住み、バット・ケイブキットカット、アナザー・エクセスといったゴス系のクラブに通い始めた。この頃の僕は演劇用のメイクとノーズチェーンをたくさんつけ、大きく尖った黒髪、ラテックスのジャケット、サイドが開いたストラップのついたPVCのズボン、腰には犬の頭蓋骨のついたベルトをしてた。クラブに行くときもそうだったけど、昼間にアートスクールへ行くときもそのスタイルで通していたよ。


初めてフェティッシュクラブに行った頃のDavid.


80年代初頭のゴス・クラブの雰囲気は、パンクとゴスがミックスされたものだったけど、ゴシック・フェティッシュ・スタイルの格好をしている人もいた。
僕はフェティッシュ・スタイルの過激な格好をした女の子が好きだったね。
フェティッシュ・シーンが何なのかはまだよく分かっていなかったけれど、イメージや服装を見て、これは自分のためのものだと思い、1984年にSKIN TWOのパーティーのチラシを見て、初めてフェティッシュ・パーティーに行ったんだ。
1990年にTGを始めた頃には、ゴス・シーンはもう面白くなかったから、新しいタイプのオルタナティヴなアート・シーンを創りたかったし、若い人たちのためのフェティッシュ・クラブも創りたかった。

TGがどうあるべきかについて最も大きな影響を受けたのは、僕が初めて体験したPsychic TVのライブ・パフォーマンスと、80年代初期のTEST DEPTのライブ・パフォーマンスだった。どちらも、音楽の力と複数のプロジェクション・スクリーンを組み合わせたパフォーマンス・アートのライブ儀式のようなものだった。僕も音楽と映像の力、そしてセクシュアリティのあるパフォーマンスを使いたいと思ったんだ。


DAVID DJ 25TH BIRTHDAY BALL

Rei
コロナは世界的に大きな影響を及ぼしました。あなたはどう過ごしていましたか?

David
2019年半ばに5歳の子供を持つ当時のパートナーと一緒にニューヨークに引っ越した。 僕たちはビジネスパートナーでもあり、エンターテイメントエージェンシーも経営してた。また、Dances of Viceと呼ばれるファンタジークラブイベントを運営し、素晴らしい歴史的な会場で毎年恒例の Torture Garden NYCのイベントも開催していた。
僕たちのイベントは本当にうまくいっていて、新型コロナウイルス感染症によりニューヨークとアメリカですべてのライブイベントが中止になるまでエキサイティングな人生だったんだ。
僕らは2020年のほぼ全期間を自宅でロックダウンを過ごし、僕はパートナーの子供のために”パートタイムの教師”となり新しい家に引っ越した。
投資家ビザで滞在していたのでアメリカ政府からの失業手当はもらえず、生き延びるためにアンティークの売買を始めたんだ。
結局、さらなるプレッシャーのため僕たちは別れ、2021年にロンドンに戻ったわけだけど、そのときロンドンも完全にロックダウンされていたため、イギリスに戻ってもアンティークの取引を続けなければいけなかった。


Club Vanitas flyer
photo by Black Eyed Alien

Rei
TGから離れてから、現在は”CLUB VANITAS”を開催しています。それまでの経緯を教えてください。

David
僕はTGの取締役を辞任し、ニューヨークに移った。 今でもTGカンパニーの株式50%を所有しているけれど、イベントの主催にはもう関与していない。
ニューヨークへの悲惨な移住を経て、ロックダウン中にロンドンに戻った生活はとても大変だった。
骨董品を売って生き抜いたが、ライブイベントに戻りたかった。でもTGに戻るという選択肢はなかった。
そこで新しいクラブイベントを始めようと考え、自分が行きたいタイプのクラブをまた創ろうと思ったんだ。
親友のひとりにアーティストのカリーナ・アコピャンがいて、彼女はクラブやファッション、アートなどの趣味が僕と似ていた。また彼女もTGがとても大きく有名になったことで、ロンドンの観客がとても商業的になり、あまりドレスアップしなくなったと感じていた。だからTGのようなコンセプトだけど”小規模でアーティスティックで排他的”、アート、パフォーマンス、ファッションに重点を置いた自分たちが今行きたいと思えるクラブになると信じてCLUB VANITASを始めたんだ。

Rei
”CLUB VANITAS”ではオーガナイズ以外にどんなことをしているのですか?

David
個人で"エージェント・ヴァニタス"というタレント事務所を経営している。
パフォーマンスアートやキャバレーイベントも始めたいなと思っているよ。

Rei
ところでTorture Gardenはオクターヴ・ミルボーの小説からとられているそうですね。CLUB VANITASは何から来ているのか説明していただけますか?


Photo Xandru - Soft Skin Latex at Club Vanitas

David
僕の”ロックダウン・アンティークビジネス”は「ドリームス・レス・スウィート」と言うんだ。
19世紀の大理石のヴァニタス胸像を売買するのが好きなんだけど、たいていはイタリアのもの。
ヴァニタス(ラテン語で虚栄心の意)とは、人生のはかなさを象徴的に表現する芸術のジャンルなんだ。
人生のはかなさ、快楽の無益さ、そして死の確実性を象徴的に表現する芸術のジャンル。
胸像とこのヴァニタスという言葉は、当時(ロックダウン時)の仕事の特徴だったので、クラブとタレント事務所の名前を考え始めたとき、その両方にヴァニタスを使ったんだ。

Rei
注目しているフェティッシュデザイナー、アーティスト、パフォーマーなどを教えてください。どこでそのような人達を見つけるのですか?

David
CLUB VANITASでは、クチュールファッションやフェティッシュファッションのファッションショーをこれまでも開催してきた。Jivomir Domoustchiev、Marco Tullio SivigliaNoWear Designsといったデザイナーたち。
インスタグラムで検索すれば面白いアーティストやデザイナーをたくさん見つけることができるけど、新しいパフォーマーを見つける一番の方法はどこで何が開催されているかをリサーチして、たくさんのパフォーマンスイベントに行くこと。僕はライブパフォーマンスを見るのが大好きだからできるだけいろいろな種類のイベントに行くよ。常にアンテナを張って、先を行くことが必要だね。


Photo Louie Wittner - Mirium Veil wearing Marco Siviglia at Club Vanitas

Rei
世界的にFetishなファッションが注目を浴びています。どうお考えになりますか?

David
フェティッシュ・ファッションは数年ごとに主流メディアの間で流行ったり廃れたりしてきた。マドンナのようなポップスターは90年代にラテックスを着用していたし、ティエリー・ミュグレーのようなデザイナーは1997/98年のクチュールファッションショーのためにフェティッシュデザイナーのハウス・オブ・ハーロットやジャック・ザ・ラバーを雇ってラテックスを作らせた。
しかし近年はラテックスを着用するセレブリティが増え、以前よりも主流になっているように思える。
RuPaul's Drag Race」のようなテレビ番組もフェティッシュやドラッグをメインストリームに浸透させるのに大きな影響を与えている。より多くの人がフェティッシュファッションを目にし、興奮し、刺激を受けることは良いことだと思うよ。でも、フェティッシュファッションにはまだパワーとマジックがあり、決して一般人のものにはならないと信じてる。

Rei
フェティッシュシーンの今後はどうなっていくか、あなたの意見をお聞かせ下さい。

David
フェティッシュ・クラブシーンは、社会や文化の進化とともに常に変化している。
ロンドンは40年間フェティッシュ・クラブシーンをリードする文化的でクリエイティブな中心地だったけど、クラブシーン全般は近年衰退していて、フェティッシュシーンでもおそらく人々はあまりドレスアップしていないんじゃないかな?
一方でアメリカではクラブやフェティッシュシーンは成長し、よりクリエイティブになっているように感じる。世界のあちこちのエリアが、さまざまな時期に進化し、変化している。フェティッシュ・ファンタジーやドレスアップを探求する新しい創造的なアイデアや新鮮な方法が常にあることを願っているよ。


David Wood with Virgin Xtravaganza & Karina Akopyan at Club Vanitas
Photo Darren Black

Rei
今後のあなたの計画はなんですか?

David
ここ数年アメリカへの往復、covid19とロックダウン、そして困難な時代に新しいビジネスを始めようとしたことで、生きていくのが大変だったが、今はCLUB VANITASのイベント、タレント事務所を作ったし、パフォーマンス・アートやキャバレーのイベントも始めたいと思ってる。そして、年をとったらもっと本格的に古美術商になりたいんだ。でも、自分のビジネスを構築している間にまた仕事も見つけなきゃいけないからね。
今はロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・アートで、マリーナ・アブラモヴィッチ展のパフォーマンスを管理しているんだ。将来はもっとアートの世界で働きたいと思ってるよ。

Rei
日本のファンへメッセージをお願いします。

David
日本は今でも大好きな国なので、また訪れたいよ。 ここ数年の変化を経て、僕は今、自分の人生とキャリアを整理することに集中しなければならない。 でも、日本はもちろんトーチャー・ガーデン・ジャパン・チームの友達全員が恋しい。
皆さんにまた会えることを願っているよ。



Photo: Anthony Lycett - Self Styled

David Wood

(x TG Events & Astarte Creative co-founder/director)

1990年、フェティッシュ/ボディアートクラブ『トーチャー・ガーデン』を友人のアラン・ペリングとともに始め、国際的なビジネスにまで発展させる。
2001年、トーチャー・ガーデン・ジャパンのために来日。
世界で開催するイベントにはクリエイティヴデザイナー、DJとして必ず参加してきたが、2019年にTGカンパニーを退任。
アメリカでの活動が軌道に乗ってきた矢先、新型コロナウイルスよりロンドンへ戻ることを余儀なくされる。
現在はロンドンにて新しいフェティッシュイベント『CLUB VANITAS』をカリーナ・アコピャンと主催、運営。
コレクトしていた美術品の売買や、アートプロジェクトの参加などアーティスティックな活動も続いている。

OFFICAL LINK

Dreams Less Sweet
Club Vanitas Face Book
Club Vanitas instagram
Agent Vanitas

Banner Photo: Anthony Lycett - Self Styled

++++++++++++++++

私は反抗的で、アンダーグラウンド臭がしながらもおしゃれなTorture Gardenの世界観に恋い焦がれ続けていました。
初めて日本にやってきた2001年のTorture Gardenはそんな人ばかりで溢れ、会場への入場待ちが西麻布の交差点まで続きました。
その世界観を作ってきたDavidは私の中ではちょっとしたアイドルみたいなもので、彼が最後の2019年のTorture Gardenは大変寂しい気持ちでしたし、私も今後はイベント関係に行かなくなるのかなと思ったものです。
今回Davidに話を聞いて、自分が好きなモノや価値観がDavidも好んでおり、そんな人が作り上げたパーティーはそりゃ楽しいわなという納得の気持ちになりました。
私はあまり英語が喋れないので、会って深い話を聞くことはなく、今回こうした機会をいただけたのは大変ありがたく嬉しい気持ちです。

日本が大好きなDavid。来日する機会は減りましたが、また何かのタイミングで会えることを信じています。

Torture Gardenは常に変わり、新しく動き続けます。
まだ体験していない人も、これから体験する人も、Torture Gardenのコンセプトを心の底から楽しみ、忘れられない夜になることを願って。

images credit David Wood & ©Torture Garden

Thanks for all you do!


投げ銭、とても励みになります。

関連記事

ここから先は

0字

¥ 1,000

投げ銭、とても励みになります。