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書く事と自己紹介。(※編集済み記事)

ぽちぽちと投稿しはじめた記事、noteの性質もあるのか短い間にかなりのアクセスがありまして。
アクセス数と言うのが分かるとやっぱりびっくりしますね。驚いています。ありがとうございます。

今回noteを始めようと思った大きなきっかけは友達の鏡ゆみこさんのお店、『ユリイカ』のサイトでコラムを担当することになってでした。
私自身個人的なものを含め、長い事書くと言う作業をやってきていまして、ちょっとそれまでの話でも今回はしたいと思います。

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自分のサイトでSM・Fetishな内容のブログを綴っていたのは、遠い昔、遥か彼方の銀河系。

元々SMクラブ在籍時、一般雑誌にSMコラムを連載していたのですが、それが終るにあたり記事をアーカイブ的にWebにアップしておきたい気持ちになったのと、自身のサイトを作ってもらうタイミングが重なったのが一番のきっかけでした。

その当時(90年代後半)のSM関係のサイトって調教を綴るものがほとんどで更新があまりされないものも多かった。
コラム移行がメインとして他のコンテンツをどうしようかなぁ?と考え、私的には似たようなサイトを作っても意味ないし、写真をわんさかアップするとかもなんだかなでもあったので、幼少期から文章を書くのが好きだったのと日記を習慣にしていたので、何も考えずサブコンテンツ的に「玲の日記」を始めました。

えー、ちなみにその頃はまだ『ブログ』という言葉はこの世に存在してなくてですね、今みたいにブログ自体を簡単に書いてアップ出来るツールとかもなかったので、サイトを管理してくれていた奴隷・ユキポンに毎日日記を打ち込んだメールを、テレホーダイとか関係なく送りつけ、添付された文や画像なんかをユキポンが指示通りにアップするという、誰が見ているのかさっぱりの中、私が飽きるまでそれは続きました。
ユキポンが支払っていたサーバーの契約が2、3年前に切れるまで、サイト自体は存続していたのでもしかしたらプレイの一種だったのかも。(違う)

SM関係の出来事だけでなく、基本が毎日更新される記事なので、日々のどうしようもない出来事だったり、こんな事したとか、あんな事気になるとか、どちらかというと半分以上は頭のおかしい感想文という感じだったと思うのですが、何故か周囲だけでなくどうやって知ったのか色んな業界の人に好評で、会う人会う人、読んでるよ〜と、楽しみにしててくれるようになってました。

その頃プライベートでよく遊んでいたMさんも、なにを思ったのかCazだかなんだかと言う一般情報誌に(手元になくタイトル失念)自身がよく見るオススメサイトを2つくらい挙げている中、私のサイトを勝手に紹介してたこともありました。
編集部から確認すら来ず、Mさんからの事後報告のみで、え?なんだそりゃと雑誌を買って見てみると、女王様の日記と調教記録の対比が面白い、みたいな感じで私のサイトのトップページやらURLやらがOL系雑誌にきちんと掲載されていました。
今だったら考えられないし、みんなアホだったのかなと思う事もしばしばなのですが、当時はネットで自己表現する人も割と少なく、それらもひっくるめて時代と言う感じとゆーかなんというか。

ネットリテラシーとかプライバシーとかが緩かったと言うより自覚すらない狂った時代で、そんなことがあっても変わらず変な事ばかり書いていたので、よく某巨大掲示板の演劇板とかにもコピペされたりしてました。
掲示板などの影響力はやっぱりあって、急激にアクセス数が増えたりするのだけど、アクセス解析して辿っていっても否定的な悪口とかを書かれる事は割と少なかったので、そこはありがたかったです。いいヤツが多かったんだな。

コラム連載時に挿絵を描いてくれていた漫画家さんの書き下ろしとかも新たに追加したり、マゾに書かせた調教記録なんかもアップしたりと女王様の個人サイト的には充実しつつあったんですが、周囲に人気があったのはブログだったので、いつの間にかメインコンテンツになっており、記事も1,000件以上は書きました。

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しかし、SNSの足音が近づいてきます。そう、時代はmixiデス。(2004年頃)
mixiはいちいちメールを送りつけなくても自分で好きな時に書いて消せるめちゃくちゃ便利だ!というワケで、めっきりサイトの更新は無くなり、マイミクのみが読める更なる狂気な時代へと突入していきます。mixiでも記事の量はかなり多めでした。(基本、暇人)

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mixiの流行でうまれた「キヌガサ」ももちろんやりました。今あらためて見ると絶対会員登録したいと思わないデザインだったんダネ…


なんといってもmixiと言えば『コミュニティー』。
初期の段階では乱立禁止もあり、同じような内容のコミュを作らないのも暗黙のルールというか、うっかり乱立させようものなら一昔前のAppleサポートのように「きちんと調べましょう」的お叱りメッセージが来たりね。
で、フェチの知人たちと話してたらFetish Partyのコミュニティーが既に一個出来ていたがなんだかチョット・・・という話題になったので、じゃあ、とFetish Partyのコミュを作って管理してみたり(3000人以上のご参加、ありがとうございます)、バーレスクと言う言葉も馴染みがなく、日本ではあまり知られていなかったDitaVonTeeseや、Fetishな題材が多いPin-upアートのOlivia De Berardinisなんかにメールを出してみたら普通に返事が来たのでやりとりしたりしてオフィシャルコミュを作ってみたり。
一銭にもならないのに結果11個もコミュを制作管理して大活用してましたワ〜。楽しかったな〜。

だからこその有料システムにはびた一文払いたくなく、金が絡んだ腑に落ちないルールみたいなのが出てくると一気に冷めてしまい、そのままTwitterにあっさり移行。(2007年登録)

Twitterとなると文字数の世界。読者がいる事を意識した長文を書く面倒がないので、「今日はマゾを流血沙汰にうんたらかんたら〜」なんて内容から「おにぎり食べた。」レベルになりまして、ちょっとしっかりしたほうがいいのかな、と思いつつはありました。

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こちらももちろんやりました。
mixi以外のフォーマットは基本がみんな同じでどれもやり難かった。



そんな年月の流れの間にも、私自身はFetishイベントをオーガナイズしたり、スタッフやったり、SM業界に復帰したりやっぱ辞めたりなど色々してて。
それから、飛びに飛んで2年くらい前かな?鏡ゆみこさんから、Fetishをテーマに自分のお店『ユリイカ』のサイトでコラムを書いて欲しいと。
まずは「なんで私なんだろう?」とこの時は思ったのですが、後で聞いたらゆみこさんも昔に何かしら私の文を読んでくれていたようで。
まだ連載の話ではなかったので、何が良いんだろう?なんて言ってたらちょうどファキール・ムサファーが亡くなった事もあったので、それを題材にでも、と。
SM関係の人が読むとはいえ、最近はあまり知らない人も多いだろうしマニアックすぎないかなぁと思ったものの、全然それで良いと言うので色々資料見つつ書き上げたのですが、読者のことも頭に入れながらの久々の長文は脳が痺れる思いで、脳の退化を実感しました。
その原稿は結局1年間保管され、去年ユリイカのサイトリニューアルにあたりコラム連載がスタート。改めて使用される形となりました。

上にも書きましたが、それが大きなリハビリというか、になりまして。色々書いていた頃の感覚が蘇ってきてストックが溜まってきた。コロナも加わりアウトプットの必要性を感じまして、これは分けてnoteというのをやるのが良さそうだなと。「おにぎり食べた。」で止まっているのもなんだし。

SMやFetishカルチャー、それにまつわる時代的な話、過去だけではなく現在進行形な話などを色々アップしようかと思っていますので、どうぞ宜しくお願いします。

こっちも変わらずよろしく★
あの娘僕がフェティッシュな話したらどんな顔するだろう

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プロフ。


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