祈りのカクテル.5
目の前には壁一面のウォールアートがあった。
高さ三メートルはあるコンクリート製の壁に、百種類を超える植物がぎっしりと植えられている。専用のライトと店内上部にある窓から差し込んでくる日差しを目一杯に吸収し、このウォールアートは日々変化している。
少し間隔を空けて来ると、また違った一面を見せてくれる、この植物アート。前回来た時よりも心なしか壁が厚くなったような気がする。
これが生き物を使ったアートなのか。
———『変化するアート』
「本日は何になさいますか」
私を出迎えてくれたロン毛のバーテンダーが優しい声で聴いてきた。
「今日は少しフルーティーなものが飲みたいです」
「承知致しました」
そう言うと、バーテンダーはカウンターの奥からメニューを取り出し、本日のおすすめについて説明した。
「つい先日、こちらの店内に飾られているアート作品をモチーフとしたカクテルメニューを作りました。それぞれ五作品ずつ、ご用意しております。季節もののフルーツも利用したカクテルとなっておりますので、こちらがおすすめになります」
私は店内を見回した。確かに、バー全体の暗がりの中に、幾つかのアート作品が展示されている。以前来た時にはなかったものだ。
「どのカクテルとどの作品がリンクしているんですか?」
私がそう聞くと、メニューの裏にある説明書きを指さしながらバーテンは丁寧に解説してくれた。私の直ぐ右に飾ってある作品から順繰りに説明していく。
「まず右手にあります作品は、女性性器をモチーフにして作られています」
私は思わぬことを言われ、一瞬硬直した。バーテンは黙ってその続きを説明した。
「次に、後方にあります作品は男性性器をモチーフにしてあるものです」
中心に少しの空洞がある植物が、四方に大きな花びらを開いている作品と、もう一つは無数の蔦のようなものがまばらに広がっている作品だった。
どちらの作品も、言われてみればそう見えなくはない。しかし、はっきりと『性器をモチーフにしてあります』と言われなければ、全くそういうものには見えなかった。アートの類は、私には全く分からない。
「そうですか」と言って、私は残りの説明をしようとしたバーテンを制止した。性器をモチーフにした作品をモチーフにしたカクテルは、今飲む気分にはなれなかった。
「とにかく、今日はフルーティーなものが飲みたいんです。これら以外のもので、おすすめのものはありますか」
そう言うと、「かしこまりました」と言って、彼は黙ってカクテルを作り始めた。
———性器をモチーフにした作品。
なぜそんなものを店内に飾っているのだろう。しかし、ここは人を寄せ付けない隠れ家的なバーだ。確かに、エロスをモチーフにした作品が置いてあってもおかしくはない。
私は自身の中でそういう結論に至り、黙ってカクテルが出来上がるのを待つことにした。
私は店内を見回す。店内には若い男性二人組と私しかいない。心なしかバーに人が集まって来るには早い時間だから、これくらいのものだろう。
私は目の前で今も脈々とうごめいているウォールアートを見た。生き物を使ったアート作品。
先程のバーテンはリキュールと果実酒、他幾種類かの液体を混ぜ、氷を詰めたシェイカーに飲み物を入れた。メニューの内容は知らないが、あまり強いものは出てこないはずだ。
そうこう考えを巡らせているうちに、バーテンは筋肉質な腕を露にしながら、シェイカーを振り始めた。引き締まった腕から小刻みに揺れるシェイカーを十数秒間眺めている。
すると、ちらりとこちらを向いたバーテンが目配せをしてきた。どうやら完成したらしい。
シャリシャリと涼しげな音を溢しながら完成したカクテルがグラスに注がれた後、ベリーの実と柑橘系の果物のスライスを乗せた紫色のカクテルが私の前に置かれた。
「こちらは金木犀の写真アートをモチーフにしたカクテルになっております。黄泉の世界も金木犀の先にあるとされています。今のあなたにはぴったりかもしれません」
それだけ告げると、バーテンは反対側のカウンターの方へと向かった。
続き
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