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言葉の解像度を上げたい

今年の初めからnoteを書き始めてはや半年。私がnoteを始めた一番大きな理由は、言葉の解像度を上げたかったからです。
最近娘が言葉を話すようになってから、しっかりと言葉を選んで話す重要性をひしひしと感じるようになりました。

日々生活をする中で、息をするように何も考えずに使っている言葉。
私たちの思考やコミュニケーションに欠かせない大切なものなのに、使うときに意識することはほとんどないですよね。

でも、ちゃんと意識を向けてあげないと、言葉はどんどん簡素化されて、日々同じものしか使わなくなってしまう気がします

“やば。へー。まじ。すごい。”

これらの言葉は、むやみやたらと使わないようには気をつけていますが、それでも気を抜いた時にポロッと出てきてしまうことがあります。

「やば」は、色々なコンテキストで使える便利な形容詞(?)ですよね。でも便利に使えるからこそ、自分が感じたことや表したいことの細かいニュアンスは表せなくて、なんだかありきたりな表現になってしまう。陳腐に感じられてしまう。
「やば」でも間違ってはいないけれども、ちょっと別のニュアンスもある。そういうことをもっと表現したいのに、「やば」という言葉を使ってしまうと、マルっと包容されてしまって、細かなニュアンスが表現できなくなってしまう。そう感じています。

例えばこの間、研いでいたお米をこぼしそうになった時に「やば」と言ってしまいました。
それを聞いていた1歳の娘が翌日、私がお米を研ぐ姿を見て「やば」というようになってしまい、いたたまれない気持ちになりました。言葉に対する感度が高い、1歳の子供に対して「やば」なんて陳腐な言葉を使うもんじゃないな。

あの時、私は「やば」ではなく、具体的に何を感じたのか、それを感じたのはなぜかということを、しっかりと言葉にして娘に伝えるべきだったなと反省しました。

「お米がこぼれそうになって、慌てたの。びっくりしたの。」
「今はお米を洗っているの。ゆっくりくるくるお米を綺麗に洗おうね。指の間からお米がサラサラ溢れるね。」

こんなふうに、情景や心情の丁寧な描写をしてあげられるようになりたい。
咄嗟には難しいかもしれませんが、毎日口にする言葉に気を使うことから始めたい。

便利がゆえに、ともすればあらゆる場面で使いがちな「やば」「まじ」などは極力使わず、その時の状況や気持ちを的確に表す言葉を使っていきたいなと思いました。

娘のため、そして何より自分自身のために。


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