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浜田省吾の余韻に浸り続ける

昨年9月から7年ぶりに行われていた浜田省吾のアリーナツアーも、年をまたいだ1/19・20の有明アリーナ公演を終えて幕を閉じた。

初めて浜田省吾のライブに足を運んだのは、80年代半ばだったように思う。まだまだ鼻ったれのガキの頃だった。それ以来、幾度となくライブへ参加してきた。

今回のツアーには、以前にも増してなにが何でも参加したかった。これまでは複数の会場に申し込みを入れることなどはしてこなかったが、今回だけは、遠い会場でも足を運ぶ決意で、チケット争奪戦に臨んだ。

結果は、落選に次ぐ落選。

浜省の過去のツアーにおいて、最前列、センターステージ横など、数々のプレミアムチケットを当ててきた相方をもってしても当選をつかみ取ることができないでいた。

予想はしていたものの、後方のA席すら当たらない。これほどまでにチケット入手が困難だとは思ってもみなかった。

裏を返せば、それだけ多くの浜田省吾ファンが、並々ならる思いを持って、今回のツアーに申し込んでいるのだと、勝手ながら想像できた。浜省ファンの一人としては、喜ばしいことでもある。

そして、いよいよ地元地域で行われる会場の抽選結果発表の日。

相方と二人、スマホの小さな画面を祈りながらのぞき込む。一日目、落選。もうこれまでかと、震える指先で画面を移動させると、二日目、「チケットの準備できました」の文字。二人して、「よっしゃー、やったー」と叫んだことは言うまでもない。

ライブ当日は、偶然にも二人の結婚記念日だった。

ライブ会場へ向かう道すがら、「今日は俺たちの結婚記念日やろ。前の席、ゲットできたりして」
「そうそう奇跡は起こらんわ。チケットを入手できただけでも、充分幸運と思わないと」
なんて、たわいのないことを話ていた。

そう、浜省のライブは、当日、ライブ会場で入場確認を済ませるまで、自分がどこの席になるのかわからなかった。その分、前の席になるか後ろの席になるかとワクワクがしながライブ当日を待つという、オマケまでついているのだった。

ライブ会場での入場確認を済ませたのは相方が先で、僕はその後だった。

座席番号が書いてあるチケットを受け取り、相方に「さぁ、席を確認しよう」と促した矢先、フライングの相方の「アカンみたい」という返答に、「スタンドか」と一瞬ガッカリしたものの、ライブへ参加できただけでも御の字だと思い返している自分がいた。

二人して、チケットに書いているアルファベットのエリアと向かう。そして、座席表で正確な位置を確認しよと、初めて自分のチケットを確認する僕の目に、え、アリーナ?!の文字。え、え?スタンド?、アリーナ?

すかさず近くにいた会場スタッフに確認すると、アリーナの方へ行ってくださいとの指示。起死回生、更なるえ、え、ドキドキ。

アリーナへ入場後、座席確認を行う相方。その後へ続く僕。ズンズンと前へ進む相方。奇跡は再び起こる。メッチャア、クッチャアの前の席。

こういう思いもかけぬ幸運があるからこそ、味気ない日常をやり過ごすことができるのかもしれない。捨てたもんじゃない。

7年ぶりの浜田省吾のライブ。

オ~、浜省、声、出てる。盟友、町支寛二をはじめとするバックバンドの演奏も最高だった。一言、圧巻のパフォーマンスだった。勝手なあれやこれやの不安は、ご無用だった。

日ごろからの徹底した自己管理と入念なボイストレーニングを行う浜田省吾の姿を、素人ながらも容易に感ずることができた。

ライブ中、八十歳になっても走り続けるという力強い宣言に、どこまでも並走するぞと、心新たにする自分がいた。

どんなに遠くても たどり着いてみせる
石のような孤独を道連れに
空とこの道 出会う場所へ(by家路)

空とこの道 出会う場所へ 浜田省吾と共に。















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