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体育大好き、運動会命だった

小学生の頃の僕は、体育大好き、運動会命だった。

徒競走、跳び箱、ドッジボールなど、体育の時間に行うあらゆる種目で好成績を取ることに強くこだわりを持っていた。

運動会では、リレーの選手に選ばれることと、団体競技で活躍し目立つことに心血を注いだ。

もともと外で体を動かして遊ぶことが好きだったが、運動能力も周りの友達と比べて、少しは高かったようだ。

さらに、僕が体育大好き、特に運動会命になる大きな契機の一つになったできことが幼稚園の時に起こる。(夢かもしれない)

夏のプールの時間に、確か隣のクラスと合同で泳ぐことがあったと思う。

僕はプールが大好きで、その日も、一人で思いっきり泳いでいたように思う。そんなとき、僕の泳ぎを見ていた隣のクラスの子が、「ちょっと見てみろ、アイツの泳ぎ、すげーぞ」と言ったのだった。

僕はその言葉を聞いて、今までに味わったことのないほどの高揚感というか、気持ちよさを感じたのだった。

人から褒められることがこれほど気持ちのいいものだったのかと感じたのは、その時が初めてたっだように思う。そのためか、今でも「アイツの泳ぎ、すげーぞ」と言った子の、名前も顔も覚えている。

それ以後、僕は、自分の運動能力に自信を持ち、その運動を通して、人から褒められたいと強く願うようになっていったように思う。

ところで、実は、この幼稚園時代に大きな挫折も味わっているのだった。(夢ではない)

あの頃、「ゼロテスター」というテレビアニメが流行っていたように思う。クラスの男子は、よく粘土でその「ゼロテスター」に出てくる合体型戦闘機を作っていた。

僕も粘土でその合体型戦闘機を作った。でも、僕の作る合体型戦闘機は他の友達のものと比べて、下手くそだった。どんなに頑張って作り直しても、満足のいくものを作ることはできなかった。

また、クレヨンやクレパスで描く絵も下手くそだった。ついでに僕が書く「あ・い・う・え・お」のひらがなにはミミズが這っていた。

早くも幼稚園にして、自分には芸術的センス、能力が無いことを悟ったのだった。

ちなみに、僕は小学校で2回ほど、絵に関する賞を貰ったことがある。

1度目は機関車の絵を描いて努力賞。2度目は運動会の絵を描いて、優秀賞(優秀の前に最という文字がついていたようにも思う)。

賞を貰ってもうれしく無かったとまでは言わないが、「ホンマにちゃんと審査してますの」とは思った。図画工作の時間は嫌で嫌で仕方がなく、いつも適当に作品を制作していたように思う。それなのに、努力賞?優秀賞?なんで?と、不思議で不思議で仕方なかった。

僕が体育大好き、運動会命になったのには、早くも幼稚園からの図画工作嫌いという負の側面の強い影響もあるのだった。

さて、小学校の6年間を通じて、体育、運動会での活躍がどうだったかというと、概ね満足のいくものだったように思う。一度だけリレーの選手から外れて、とても悔しい思いをしたが、今となってはいい思い出になっている。

それから月日は流れ、運動会批判のことを知ったのは、大学に通っている時だっただろうか。体育大好き、運動会命だった僕にとってはまさに青天の霹靂だった。

しかし、批判内容を聞いてみて、僕はまったくその通りだと思った。

運動が苦手な子、運動が嫌いな子、集団行動が苦手な子、一人でお昼の弁当を食べなければならなかった子、その他。

小学校の時から、そういう子たちがいることを知ってはいたが、自分が活躍することばかりに気を取られていたように思う。否、そればかりか、運動が苦手な子に対して、「足をひっぱるなよ」というようなことも言ったかもしれない。

小学校の6年間、毎年、運動会のたびに辛い思いしてきた子たちのことを思うと、本当に申し訳ない気持ちになり、運動会が廃止になっても仕方がないと思うようになっていた。そして、その思いは今も変わってはいない。

しかし、自分自身の場合はどうだったかと、小学校時代を振り返ってみると、やはり苦手な教科はあった。

図画工作が一番嫌いだったが、音楽、習字も苦手だった。授業での作品作りはまだいいとして、完成した作品を教室や廊下などに展示されることが嫌で嫌で仕方がなかった。

友達の上手な絵や習字の横に下手くそな僕の作品が並ぶ。それも展示内容は変わるものの、一年間を通して、恥ずかしい自分の作品が並ぶのだ。そして、参観日には、多くの保護者の目にそれが晒される。

少し話はそれるが、中学校の時は、自分の汚い字を人に見られたくなくて、極力自分の書いた字を見せないようにしていたくらいだ。だから、彼女との憧れの交換日記も、一度もしたことがなかった。

しかし、作品の展示がなくなればいいと思ったことは少なかったように思う。なぜなら、僕にも嫌いで苦手な教科、授業があったが、なんとかやってこれたのは、僕には体育と運動会があったからだと思う。苦手教科で溜まった鬱憤を体育や運動会で活躍することで晴らすことができたからだ。

「絵を描きたくねえ~」
「音楽、嫌いや~」
「筆者の気持ちなんか、しらんがな~」

と言いつつも、学校で教えられる教科はどれも、小学生にとっては必要なものなんだろうなと、冷めた見方をしていたようにも思う。いけ好かないガキである。

さて、そそそろオチに近づいてきたわけですが、好きな教科、嫌いな教科、いろいろあるのが学校だから、結局、我慢するしかないと、言うつもりは全くありません。あくまでも「僕の場合は」ということです。

運動会廃止を唱える人たちのことは尊重しますが、僕のように体育大好き、運動会命の子どもは、運動会が廃止になった場合どうすればいいのだろうか。

僕が、嫌いな図画工作の廃止を訴えれば、図画工作が好きな子どもはどのように思うだろうか。

子どもたちに興味や関心を持ってもらうための楽しい授業。子たちの主体性や好きなことを重んじる授業。とても大切だと思う。

しかし、そもそも、子どもたち一人ひとりの好き嫌い、得て不得手を考慮した教科なり学習なりを、公立の小学校で準備することは可能なのだろうか。

好きこそものの上手なれとは言うが、好きなことだけをやらせて、子どもは「いい大人」に成長するのだろうか。

う~ん、昭和世代の親父にとっては、難しい問題だ。運動会一つをとってみても、今と昔とではとらえ方が大きく異なる。

協調性と没個性、徒競走の順位づけ、「危険な」競技、長時間の練習などなど、僕たちの子ども時代にはあまり問題視されなかったことが、今では問題になっている。

取り上げられている問題が正しいか正しくないかは別として、問題提起自体を悪いとは、僕は決して思ってはいない。問題提起によって、自分が見過ごしたり、気づいていなかったりしてきたことが、わっかて良かったと思っている。

しかし、運動会廃止論までいくと、それはいくら何でも、それはいくら何でもご容赦くださいと、体育大好き、運動会命だった僕は言いたくなるのです。

当然、時代とともに、運動会の競技内容や運営の仕方も変わっていかなければならないのですが・・・















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