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大ちゃんとカズと僕

うちの次女は読んだ本の感想を、よく僕や相方に話してくれる。子どもらしい感想もあれば、時々こちらをハッとさせるような大人びた感想を述べることもある。楽しそうに感想を語る姿を見るにつけ、僕としてはそんな次女が可愛くてしかたがない。親バカである。

つい最近、次女が読んだ本の内容は、聴覚障がいの両親に育てられた子どもの生い立ちが書かれているもののようだった。友達から勧められた本らしいが、次女にとっては初めての内容だっただけに、いろいろと感じるところがあったようだ。

その本の感想を熱く語る次女の話を聞いていて、僕は久しぶりに大ちゃんとカズのことを思い出していた。

僕が物心つく頃には、二人の友達がいたのだが、それが大ちゃんとカズだった。二人は兄弟で、僕と同じアパートに住んでいた。

カズと僕は同級生で、大ちゃんは僕たちより二つか三つ年上だったように思う。

外で遊んだり、お互いの家で遊んだり、朝から晩までいつも3人、一緒だった。

カズはひょうきん者だったが、たまに突拍子もないことをやらかした。

ある時、カズが僕の家に遊びに来て、開口一番「さっき10円玉、呑み込んでしまってん」と、いきなりとんでもないことを言い出したことがあった。

僕はそれを聞いて、ウソやろと思ったのだが、とりあえず「なんで、10円玉なんかを口に入れてん」と聞いたところ、カズは10円玉がどんな味がするか、試してみたかったと言うのだった。

それで、10円玉を口に入れてねぶっていたのだが、間違って呑み込んでしまったとカズは言った。

僕は、「呑み込んでしまった後、どないしてん」と聞いたところ、カズのお母さんが、「たくあん、かまんと呑みこんどき」と言ったので、カズはそのようにしたとのことだった。

後日、新聞紙を広げた上で、ウンコをしたところ、ウンコと一緒に10円玉が無事に出てきたと、カズから報告を受けたような気がするが、定かではない。でも、10円玉呑み込み事件は確かにあった(はずだ)。

また、別の日のこと。アパートの2階で遊んでいる時に、オシッコをしたくなったカズは、アパートの共同便所には行かず、「ここでオシッコをする」と言い出したのだった。

それを聞いた僕は、「え、廊下でするんかいな」と、カズを見ていると、カズは外廊下の柵に上り始めたのだった。

「カズ、柵に上って何するねん」
「ここから、オシッコするわ」
「カズ、危ないから、やめとけ」
「大丈夫、大丈夫」

カズは僕が止めるのも聞かず、柵の上に立ち上がり、半ズボンのチャックをおろして、外に向かってオシッコをし始めた。

でも、気分良さそうにオシッコし始めたカズだったが、あっという間にバランスを崩して、地面に落ちてしまったのだった。その柵から地面までは、4,5メートルくらいはあったと思う。

僕はその一部始終を見ていて、ヤバイと焦ったが、車に轢かれたカエルのごとく、地面にうつぶせに倒れているカズの姿を見て、思わずプッと吹いてしまったのだった。

それでも笑いをかみ殺しながら、僕は急いで階段を降りて、カズの元に向かった。

1階に行くと、カズはもう立ち上がっていた。僕が「カズ、大丈夫か」と声をかけると、カズは苦笑いをしながら、「大丈夫」と返事をした。信じられないことだが、運良くほとんどケガはしていなかった。

カズの兄貴の大ちゃんは、聴覚障がい者で、ほどんど話すこともできなかった。

だから、どうしたというわけでもない。大ちゃんは僕にとっては、とても優しくて、面倒見があって、頼りになるお兄ちゃんだった。

ふだんから一緒に遊んだり、話をしたりしたが、大ちゃんの障がいに不都合を感じることはなかった。そもそも、大ちゃんといて、障がいのことを意識することも全くなかった。

日常会話では、僕は口を大きく開けてゆっくり話したり、手振り身振りを使ったりしていた。大ちゃんも同じような感じだったと思う。僕はそれで充分に意思疎通ができていると思っていた。

大人になり、聴覚障がい者の方々が出演されているテレビ番組を見ていて、手話の必要性を知り、あの頃、僕との日常会話で大ちゃんも、もどかしく感じることがあったのかもしれないと、少し複雑な気持ちになった。

あれは、僕が小学校の2年か3年の時だったと思う。

いつものようにカズの家に遊びに行くと、大ちゃんが泣きながら、お父さんに何かを訴えている様子だった。

今までに大ちゃんのそんな姿を見たことがなかった僕は、とてもショックだった。僕は、この場に居てはいけないと思い、カズを誘って表に出た。

「カズ、大ちゃん、どうしたん」
「うん、どうやら、耳が聞こえないことで、バカにされたらしいねん」
「それで、悔しくて、お父さんに、耳が不自由なことでなんでバカにされな 
 アカンのと訴えてたんやわ」
「クッソウ、誰やねん、そいつら」

大ちゃんが涙ながらにお父さんに訴えている事情をカズから聞いて、僕はとても腹がたったし、悔しくてしかたがなかった。そして、それと同時に、耳が不自由なことで偏見を持たれるという現実を知り、暗い気持ちになった。

約40数年前に、大ちゃんとカズが引っ越して以来、二人には一度も会っていない。きっとどこかで大ちゃんもカズも元気に暮らしていることだろうと思う。

車に轢かれたカエルのように、地面にうつぶせに倒れているカズの姿と大ちゃんの涙ながらにお父さん訴えている姿は、今でもハッキリと僕の心に焼き付いている。

この度偶然にも、自分の父親に聴覚障がいを持つ友達がいたことを知った次女は、神妙な面持ちで、僕の昔話に耳を傾けているのだった。







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