やってみっか

ADHD、吃音症から学年1位、評定5.0、偏差値70になるまでの息子の軌跡。無敵の精神…

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ADHD、吃音症から学年1位、評定5.0、偏差値70になるまでの息子の軌跡。無敵の精神論と子どもの成長はすべて環境で決まる!を少しずつお伝えしたいです。やってみっか。よろしくお願いします。

最近の記事

ADHDだと言われていた息子が偏差値70になるまでの話

初めての受験小学校6年生になり、突然「国立の中学校に行きたい!」と突拍子のないことをいい始めました。 私には根拠はわかりませんでしたが、特に問い詰めもせず、 「そっか、じゃあどうしたらいいか調べてみるね。」といい、そこからやらなければいけない膨大な勉強の量や買わなければならない教材などがわかり、ぞぞぞ・・・。 たぶんですけど、「東大王」の学生さんたちがかっこよく見えたからかな。本人にはまだ聞いていません。 一度決めたらやってみる! 落ちてもいい、やると決めたらやる!という

    • ADHDだと言われていた息子が偏差値70になるまでの話

      夜明け新しい学童クラブでの必須ルールとして、「珠算検定に取り組む」ことが課せられていました。 教育に熱心な園長先生が、子供たちの成長のために考えてくださっている時間でした。 そこで初めて10分間の集中 求められるのは時間内での「スピード、正確性、記憶」が 求められるので、当然「集中力」が身についていきました。 息子の場合、集中力の限界がちょうど10分だったため ものすごく効率的に成果を上げていくことができました。 ADHDだと言われていた息子は、10分の集中から徐

      • ADHDだと言われていた息子が偏差値70になるまでの話

        ふざけることに徹する低学年期 「帰りの会」などでは、どうしてもふざけてはいけない理由がわからず、よく先生によく怒られました。 先生は大変お若く、穏やかそうには見えますが、言うことはしっかりと声のトーンを下げて伝えてくれます。 1年生のころは「帰りの会」教卓に登壇し、勝手に帰りの会を始めてしまいます。 夏休みの教育相談でも、担任の先生によく私も注意を受けました。 ふざけたほうがおもしろいと思うことから、頭が離れないのだそうです。 私も「キーキー」と、叱っていたと思い

        • 波乱に満ちていた幼少期

          ADHD(注意欠如・多動性障害)は主に「不注意」・「多動性」・「衝動性」の3つの症状。 今でも個性として、よく表れています。 そういえば2歳くらいから、ほんの一瞬で、神隠しにあったような逃走をしていました。 お花見でにぎわう山の上の公園から、忽然と姿を消したときは 周りの人たちを巻き込んで大捜索。 お花見の出店のお兄さんも、遊びに来ていたご家族もみんな。 しかしなんと、1キロほど離れた自宅マンションの入り口に、ポツンと座っているではないかという奇跡的な出来事だった

        ADHDだと言われていた息子が偏差値70になるまでの話

          『ヒトと違うからなおしてください』

          次男は幼少期から非常に落ち着きがなく、保育園の先生の言うことを聞かないということが理由で、私は何度も呼び出されました。 「人と違うことをするので、ちゃんと説明が終わるまで行動しないよう、家でしつけをしてください。」 「早く病院に行ったほうがいいかもしれない。」 「病院には、いい薬があるので飲んでみるといい。」 「極度の吃音症と多動があるのでぜひいい先生を紹介します。」 お迎えのたびに「お返事は?」と言われるため、病院を受診をしたこともありました。 病院の先生は、「

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