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ADHDだと言われていた息子が偏差値70になるまでの話


ふざけることに徹する低学年期


「帰りの会」などでは、どうしてもふざけてはいけない理由がわからず、よく先生によく怒られました。


先生は大変お若く、穏やかそうには見えますが、言うことはしっかりと声のトーンを下げて伝えてくれます。


1年生のころは「帰りの会」教卓に登壇し、勝手に帰りの会を始めてしまいます。


夏休みの教育相談でも、担任の先生によく私も注意を受けました。


ふざけたほうがおもしろいと思うことから、頭が離れないのだそうです。


私も「キーキー」と、叱っていたと思います。


学童クラブでの経験が変えた


私は一人で働きながら育てていたため、夜遅くなることも多く、

延長料金を払い、食事(軽食)をいただきながら預けることのできる

民間の学童クラブに入所しました。


総選挙としつけ


毎月の学童クラブのお便りに「今月の総選挙の結果」という

欄が設けてあり、人気投票を行い、子どもの名前に順位をつけた結果が印刷

してありました。

「これは何?」

総選挙だよ。毎月、投票やってるんだよ。これで上位に入れるように頑張

って、先生が言うんだ。」と、顔を曇らせて言っていました。


当の息子は、いつも人と一緒のことができず、2畳ほどの狭い部屋に連れていかれ、良く怒られていると、長男に聞きました。

先生に尋ねると、「ハイ、おうちでのしつけが良くされていないようですので。」と返答がありました。

私は、仕事をさせてもらっている以上、見ていただいているという弱い立場もあり、十分に躾がなっていないと言われれば、それも仕方ないなとおもったので、子どもたちにずっと「我慢してね」と言い聞かせていました。



ある夏の暑い朝、学童クラブに送りに行ったときのことです。


子どもたちは、もう先生に挨拶もしません。


ガタイの大きな若い男の先生が

「預かります~。でも君たちはカードいつも出せないから、プールには行けません。先生の車の洗車をしていてください。」と言いながら、釣り竿のような長い柄を振りかざしました。


2人が、入り口で肩を落として、涙を流しました。



私は何をやっていたんだろう


私はその日は会社を休み、2人を連れて帰りました。


そして退所の手続きをとりました。


2人は、笑顔になりました。


特にADHDだと言われていた息子は、あまりしゃべらなくなっていました。

吃音もひどくなっていたのです。


本当に申し訳なかったと思いました。


自分がいかに、子どもの顔も見ずに過ごしてしまっていたのか

ただ、猛省しました。



さて、明日からのことをどうしよう



一か八か、ちかくの教育の充実した幼稚園で小学生を見てくれる学童クラブが目に入り、すぐに飛び込みました。



事情を説明したところ

「それは、つらい思いをされてきたんですね。」

「明日からぜひ来てください。」


ありがたいことに、受け入れを許可してくださいました。

私は仕事を調整しました。



ここから、彼を大きく成長させる出来事が待っていました。




またよろしくお願いします。




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