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書くことは、祈ることなのかもしれない

2022年を終えて、2023年に向かおうとするこの瞬間。

少し重めな話題になるのですが、ここ数年心の中にずっとあったことで、どうしても年内に気持ちにケリをつけておきたいことがあって、このnoteを書いています。

数年前、母方のおばの旦那さん(以下おじさんと書きます)が病気で亡くなられてしまいました。

まだ新型コロナウイルスが拡大しはじめた時のこともあって、身内の親戚だけ集めて、田園調布駅近くの葬儀場でお葬式が行われました。

当日は生前のおじさんの嗜好もあってか音楽葬という形式が取られました。

※音楽葬は、辞書的な意味でいうと、自由葬と呼ばれる形式の一つで、音楽を流して故人を偲ぶ葬儀のこと、のようです。

音楽葬は初めてだったのですが、音楽などのカルチャーに造詣が深かったおじさんらしい感じだなと思っていました。

粛々とした感じで流れてくる音楽を聴いていると、おじさんとの思い出や記憶が蘇ってきます。

おじさんとは、昔から家族の集まりで、よくご飯に行っていました。

おじさんは大学の教授で、研究している内容の話をよくしてくれました。小さい頃は内容はよくわからなかったのですが、分からないなりに世の中にこういう風に楽しそうに仕事している人もいるんだと感じていました。

それからも年に数回は食事に行かせてもらっていて、僕が大学受験で早稲田に受かったときは、すごく喜んでくれたのを覚えています(おじさんは慶應大学出身で、多分早慶戦の思い出とかあったのかもしれないです)。大学で国際関係を学びたいんだ(当時はそんなことを考えていました)、みたいな僕の話も熱心に聞いてくれて、嬉しかったのを思い出したりしました。

大学に入学してからは頻度は減ったのですが、それでも年に1回は家族同士でご飯を食べに行っていました。

僕は大学の時に、海外に熱心に行っていた時期があって、それもヨーロッパやアジアなどではなく、バングラデシュやアフリカのルワンダなどあんまり日本人が行かなそうな場所ばかりでした。両親は、よくわからない行動をする僕を呆れた感じで見ていたのですが、おじさんはそういう僕の話でも興味深そうに色々聞いてくれたりしました。それが嬉しかったです。

そんなことを流れてくる音楽を聴きながら思い出していると、涙が止まらなくなっていました。

もちろん、もうおじさんに会えない悲しい思いはあったのですが、それとは異なる「怖さ」の感覚も強くあった気がします。

好奇心旺盛なおじさんだから、まだまだやりたいこと、研究したいこともあったと思います。また、最近会社を設立して事業も始められていたようで、これからのタイミングだったのかもしれません。どういう心情だったんだろうと思い、容赦なく訪れる「死」に対して怖さを感じていました。(僕が今まで、身近な人の死の経験をあまり、してこなかったというのもあると思います)

あれから何年か月日が経って、当時の心情を少しだけ冷静に整理ができるようになった気がします。

本当に悲しくて残念で寂しくて悔しくて無念なことに、30歳近くになってくると、身近な人が亡くなられてしまうことも少なくないです。

命は平等に、誰しもいつかは終わりはくる。だから、死自体は悲しいけれど、そういうものと受け入れるしかないのかもしれない。

・・と、良いのか悪いのかは分からず、少なくとも成長という観点では全くないと思うのですが、そういう風に考えられるようにはなりました(思わないとやっていけないみたいな感じかもしれないですが)

ただ、思うのは、もう少しおじさんと話したかったなと。

特に社会人になってからは、僕が親戚の集まりに行くこと自体疎遠になってしまっていて、おじさんと話す機会もそれに比例して少なくなってしまっていました。

いや、話すチャンスなんてつくればいくらでもあったのに、いつか、いつでも、また話せると勝手に思い込んでしまっていたのかもしれない。

多分、今僕がしている仕事の話とかも、きっと面白そうに聞いてくれる。キャリアに悩んでいるとか、上手くいかないことあって、とか話したら、「伶くんなら大丈夫でしょ」と笑って言ってくれたかもしれない。

おじさんの研究の話も聞きたかった。もしかしたら今なら前よりも少しわかるかもしれないし、やっぱり分からないかもしれない。

始めたばかりの会社の話も聞きたかった。事業の話なら、僕にも分かるかもしれないし、おこがましいかもしれないけれど、僕の本業の採用とかマーケティングとかなら、役に立てたかもしれないなって。

でも実際は、もう会うことも、話すことも叶わないです。

この悲しくて酷な現実を前にして、それでも生きていくために、人は「祈り」の時間をつくるのかもしれない、と最近になって思うようになりました。

お葬式もそうだし、何回忌という区切りをつけて、その度毎に、故人との思い出や記憶を振り返って、天国で平穏に過ごしているように、と祈るのかもしれないです。

そして、僕にとっての「祈り」は、もしかしたら「書くこと」なのかもしれない。

その人と会ったり、話したりした思い出や記憶を振り返って、文章にしていく。

それは『すずめの戸締まり』で、閉じ師の草太が発する「お返し申す(実際は前にもっと言葉があるのですが)」といって場所を鎮める感じに近いのかもしれない。

文章を書いていく過程で後悔も無念も寂しさも悲しさも沢山出てきて苦しくもあるけれど、おじさんの安らかな眠りを祈って。そして、書き上げた時に僕自身も少しだけ前を向けたらいいなと、祈る。

だから、この文章は100%自己満足で、本当は公開なんてする必要ないのです。

ただ、これも自己満足で、もし同じような悩みや葛藤を抱えている方がいたら、その人にとって何か考える、振り返るきっかけにもしなれば嬉しいなと思ってしまいます。

それは、もしかしたら、色々な人がそういう想いで書いてきた文章に、僕が救われてきた経験があるからかもしれないです。

おじさんの葬儀が行われた田園調布駅は、同じ東横線で、僕が住んでいる学芸大学駅から近い距離にあります。たまに電車で駅を通るとその度に、葬儀当日の悲しい後悔の感情が蘇ってきて、切なくなったりしていました。

ただ、数年経って、こうして言語化することができて、少しだけ前に進めるようになった気がします。

しっかり生きようと思った2022年の年の瀬でした。

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