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黒毛和牛を警察官と食べた話

 「刑事と一緒にカツ丼を食べる」というのは定番の設定だそうだが、どうやら、警察署の現場ではカツ丼を提供するのは禁止だそうだ。古野まほろ氏(警察庁OB)の新書にもそう書いてあった。なお、「警察」のリアルにご関心があるならば、筆者は「古野まほろ 新書」とアマゾンで検索してみることをおすすめする。
 
 警察官とカツ丼。
 
 筆者が大阪府警協力者(2006-2018)だった頃のうち、2006-2009は、大阪市内でランチをご馳走してもらうという感じだった。最初の接触では、たしかアイスレモンティー1杯だったかな。当時は大学院生だったのだが、(誰と会ったのかは明らかにしていないものの)受講していたゼミの一つで、
 
「研究活動の延長で、ある方に『話を聞きたい』と言われて、アイスレモンティーをご馳走になりました。『フルーツパフェをご馳走になる』のが、今の私の目標です」
 
と自己紹介をしたことを覚えている。
 
 その6年後には、居住地の東京都町田市から大阪市内の実家に帰省するというそれだけの理由で、「黒毛和牛」をごちそうになるのだから、人生はわからないものである。
 
 「武藤さん。せっかくの大阪ですから、『クロゲワギュウ』を用意しておきました。楽しみにしていてくださいね」
 
 「武藤」とは、筆者のコードネーム。コードネームが必要とされるのは、会食など「屋外(『居酒屋の店内個室』も『屋外』である)」で、カウンターパートと筆者の実名が誰かに漏れないようにするためだ、と教わっていた。
 ちなみにロシア業界で「武藤」といえば、武藤顕駐ロシア日本国大使を想像する方がおられるだろう。佐藤優『国家の罠』(新潮社)にも登場する「武藤さん」だが、大反響となった同書の初出は2005年。
筆者が「『武藤頼尚』という名前をもって、新たな人生を歩みます」と、新卒入社するもわずか4ヵ月で早期退職した会社のOBに「決意」をのべたのは2004年のことであるから(武藤顕ロシア大使が世間で知られるきっかけになった2005年よりも前の話だから)、筆者は「武藤」というコードネームを使っていたことについて躊躇する理由はない。

 「『武藤頼尚(むとう・よりひさ)』。なんだか武将のような名前だね」
 
 退職した会社の、OBはこうおっしゃった(2004)。
 OBと出会ったのは、入社した会社での訪問販売がきっかけだった(2003)。
 実家に寄生(パラサイト)する、無職同然の筆者(2004)にとって、就職氷河期での早期退職は、それこそ世間に居場所がないことを痛感させられる毎日だった。2004年にご挨拶に行ったのは、大学院への進学報告をするためだったが、案の定、がっかりされた。「カネを稼いで生きる」という方向とは全く異なり、「学生」に逆戻りするということだから。
 「新しい人生を歩」むという言葉は、それほど大げさなものではなかった。「武藤頼尚」は、南北朝時代の北九州の雄・少弐頼尚からとった。「『少弐』と『武藤』」については、日本中世史に興味のある方であればすぐにピンとくると思う。
 
 さて、黒毛和牛の件。
 2012年11月30日のことである。
 筆者のスケジュール帳には当日の予定として「御堂 なんば」と書かれているし、その日に手渡した資料の記録を残しているので、その日に、大阪市営地下鉄(当時)御堂筋線のなんば駅から御堂筋(という通り)沿いの店で会食したのだろう。
 
 なんだか、大阪府警カウンターパートが気合いをいれたものを食べさせてもらえるらしい。それだけは、電話の声での「クロゲワギュウ」という言葉への力の入り方でわかった。
 
「『クロゲワギュウ』ってなんだろう」
 
 そう思っていた。ググることもしなかった。
 
 恒例の会食なら、カウンターパートが大阪から東京への出張帰りに合流するという名目で、小田急・新百合ヶ丘駅前の料理店の個室で会食する。その日は出張ではなく、勤務先(大阪府警)から「協力者と会食する」ということで、新幹線往復代金も必要ない。いつもの金額で予算が認められたから、料理がグレードアップされたのかな。
 
 軽い気持ちで、筆者は新横浜駅から新幹線に乗って新大阪駅へ向かった。
 新幹線車内で、とある新書に目を通しながら、「作業」をした。
 
 当時は、シリア情勢に関心が向けられていた。
 ロシアから「シリア情勢」をみるとどのようになるだろうか、という点に関心を注いではいた。しかし、「シリア情勢に関する『新しい情報』に初めて目を通した時に、着眼するノウハウはないだろうか。そもそも『新しい情報』に接した時に、どのような基礎知識を要求されるか」。
 
 前段のことをレクチャーするのが筆者(コードネーム:武藤)に求められた役割だと思った。一般向けに書かれた、まっさらな新書に、あえて手をつけないままに乗車した新幹線車内。
 
 「作業」とは、新幹線車内で、筆者が「初めて接した情報(新書)」に、基礎知識の部分や、周縁情報(たとえば高校課程「世界史」の内容など)を知らないとわかりにくい部分に傍線をひき、それを会食の場で説明するための準備をすること。カウンターパートには折に触れて断片的な情報提供をおこなっていたが、「『基礎的な情報(や知識)』を『基本的な情報(や知識)』だと認識する」必要がある。なぜならば、周縁情報や有識者の専門的な話を断片的に収集していても、カウンターパートが上司に評価される「書類」をあげることができないだろうから。
 
 筆者自身は「書類」を見たことはない。しかし、「断片的に収集した知識をソレっぽくまとめた文章」がまっとうな評価を得られるとは思えない。書き手のカウンターパートにとって「シリア情勢」は専門外だ。もちろん、筆者自身も学徒としては専門外なのだが、「国際政治学」としてみれば市井レベルで「専門外」だと言い逃れることはできなかった。
 
 当時(2012年)の外事警察の中では、通称・国テロ(こくテロ)といわれる部門(イスラーム教過激派等への情報収集)が壊滅状態にあると、ロシア担当のカウンターパートからも伝えられていた。警視庁ばかりでなく、少なくとも大阪府警にもその「衝撃」は伝播していた(と聞かされていた)。
 
 「武藤さん。先日にメールで教えてもらった中東情勢についてのレポート。僕はさっぱりだったので国テロの同僚に教えてあげたら、ムチャクチャ感謝されましたよ。(2010年の警視庁の協力者情報がネット上に流出した)東京の例の件で、国テロは大変なのですが、まさか、ロが担当の僕が、武藤さんからもらった情報が評価されるとは思ってもいませんでした」
 
 「ロ(露)」とは、ロシアのことを指す。一文字なので、注意深く話を聞かれたとしても、話の途中で滑舌がまわらなかったのだろうという程度にしか思えない、アクセントのない「表現」。これを特定されるとしたら、その会話は「聞かれていた」というよりも、ターゲット(武藤と、大阪府警外事警察警部補)が標的にされていた上で、「盗聴」されたというべきだろう。
 
 さて、黒毛和牛。
 個室であるというのはいつものことだが、靴を脱いだあと、畳の上を何畳かわたり歩いた記憶がある。そういえば、「クロゲワギュウ」なるものは、重箱か木の箱か(どちらかは忘れてしまった、というくらいの筆者の記憶なのだが)、ものものしい雰囲気だったような。
 
 しゃぶしゃぶで食べたのか、焼き肉で食べたのか。
 それもおぼえていない。
 
 そうなのだ。
 会食中、ずっと、シリア情報に関するレクチャーをしていたのだ。
 
 カウンターパートとしては、武藤さん(筆者)に、極上の接待を用意してくださっていたような気がする。
 
 その日は、金曜日とはいえ、正午に店内に待ち合わせすることになっていた。
 他に、人はいない。
 筆者は、お酒を飲んだと思う。
 カウンターパートも、お酒を飲んでいたと思う。上司の許可をえるか半休をとるなどの手続きをふんで。
 
なぜカウンターパートが「お酒を飲んだと思う」と書いているのかというと、「お酒を飲んではいけない(筆者は飲んでいい)」という場面が別の機会にあって、ノン・アルコールビールを二人で乾杯したということがあったからだ。
 もしもカウンターパートが「お酒を飲んでいなかった」のならば、筆者は記憶のどこかに残っていたと思う。
 
 記録に残してはいけない「会食」。
詳細を描くには、筆者自身の記憶にもとづいたものとなる。
断定的な表現をしても問題のない記述かもしれないが、いわゆる「スパイ」だった筆者には、ウソをつくことができない。別の言い方をすれば、フィクションという文学の言葉で、物語を組み立てることができない。
 記憶違いかもしれない、というおそれと常に対峙しながら、「歴史」に残ることを希望するならば、「思う」などの表現を誠実に使うことで、別の資料等(政治・外交エリートの回顧録)での裏付けになるよりほかはない。
筆者にとっては「制約条件」ではあるが、その制約に忠実であるからこそ参照される日を待っている次第である。たとえば、公文書が公開される三十年後に。
 
インテリジェンス。
こう書けば洒落た感じになるが、その活動の中には、このような「ウソのような本当の話」がある。そのことを、身をもって知った記録をここに書く。
 
黒毛和牛。
どんな味だったのだろうな。


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