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邪馬台国はなぜ見つからないのか? ①

 今回から「邪馬台国」について始めます。

 邪馬台国の所在地論争が始まったのが、今から約三百年前の江戸時代。
 新井白石が畿内説を唱えました(白石はのちに九州説に転向)。それより少し遅れて本居宣長が九州説を提唱しました。
 明治に入ってからは、京都帝大の内藤湖南が畿内説、東京帝大の白鳥庫吉が九州説を唱え、それから百年以上が経過しています。
 このように三百年も前から論争が起こっているにもかかわらず、今もって所在地は判明していません。

 それはなぜか? 
 よく言われるのが、「魏志倭人伝」の行程の記述が誤っているからだという点です。「倭人伝」の通りに行くと、邪馬台国は沖縄を過ぎて西太平洋のはるか海上に位置することになってしまいます。

 ただしそれは大きな問題ではなく、もっと根本的な問題が横たわっているように感じます。
 そのことを改めて感じたのが、元日夜に放送されたNHK BS3の「邪馬台国サミット2021」を見た時です。

 番組では畿内派、九州派とも錚々たるメンバーの学者が揃っていました。
 しかし互いに急所を突くような鋭い質問は飛ばず、「邪馬台国を断言できる人は信用できない」とまで言う人もいて、ちょっとがっかり。

 適当にお茶を濁して終わらせようという雰囲気が漂っていた印象です。
 他に見たい番組もあったので途中でチャンネルを替えました。

 たとえば九州説の論客、安本美典氏を呼んでいたらもっと盛り上がっただろうな、と思ったりも。ただしもし彼が出演したら、ガチで論争になり、収拾がつかなくなったかもしれませんが(笑)。

 できれば畿内説、九州説だけでなく出雲説や沖縄説、近江説など他の説も紹介してほしかったですね。

 番組批評はこれぐらいにして、ここからが本題です。

 私はたとえ畿内・九州両説の学者が本気になっても、邪馬台国がすぐに見つかるとは考えません。
 なぜなら、現状の畿内説、九州説ともに根本に誤りがあると考えるからです。
 その根拠については次回以降説明していきます。

★見出しの写真は、みんなのフォトギャラリーから、tty1015さんの作品を使わせていただきました。ありがとうございます。


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