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調査報告書#5:自分と付き合いのある人の評価も気にするべし!松平忠輝編

 皆さん、歴活してますか?私は毎日楽しみながらやってます!
皆さんに日本史の面白さを伝える活動をしております、歴史探偵Qです。

 今回の調査報告書は、前回・前々回に引き続き…最近読んで面白かった
「本郷和人」先生の著書「世渡りの日本史」パート3をご報告させて頂きます。
 パート3では「松平忠輝」という人物を主役として取り上げてまいります。
この忠輝という男、天下を治めた徳川家康の6番目の子供であったのですが…
なぜかあまり愛されずに育ってしまった為…色々とやらかしてしまいます。
 そして親交の深い人物がやばいという事で忠輝も危険人物になってしまいます!
人付き合いに悩みがある人は参考になるかもしれません。

<報告内容>
1、本郷先生って誰?
2、この本の「コンセプト」
3、第四章:「愛憎蠢いた、江戸時代:松平忠輝編」
4、調査結果

上記の内容で調査報告させて頂きます。

1、本郷先生って誰?

 皆さんは「本郷和人」先生はご存知ですか?
歴史好きな人間からしたら、よく見る名前であると思います。
私、歴史探偵Qの中では日本史四天王がおりまして、
 ①:千田嘉博先生
 ②:磯田道史先生
 ③:平山優 先生
 ④:本郷和人先生 です。
 今回は、「本郷和人」先生に注目して参りましょう!

■本郷和人 先生

 東京大学史料編纂所教授、博士(文学)
1960年東京都生まれ、東京大学・同大学院で日本中世史を学び
専攻は中世政治史と古文書学。
「大日本史料(平安時代から江戸時代までの日本史の資料集)」の
第5編:承久の乱から鎌倉幕府滅亡までの編纂を担当している。
また大河ドラマ「平清盛」など、ドラマ・アニメ・漫画の時代考証にも
携わっている、非常に有名な歴史家。

2、この本のコンセプト

 世渡りの日本史 苛烈なビジネスシーンでこそ役立つ「生き残り」戦略

 この本の「はじまり」では…
「本書では、ビジネスに活かせるヒントに焦点を当てることにしました」
とのこと…


 歴史探偵Qの#1:自己紹介でも書かせて頂きましたが
歴史=暗記科目になっている現状がありますが…

 本郷先生が書かれた本書でも
歴史=暗記科目だと興味が持てないというのは当然だと…
ですから、「歴史にストーリーを取り戻す!」というスローガンを立てたいと
本郷先生自身、思っているとのこと。
 結果、この本書でリアルな人間模様を学び、様々な企みや陰謀渦巻く歴史を紐解き「人の世をうまく渡り歩けるようになる」処方箋、つまり世渡りの歴史が学べ、
現代に生かしていこうというのがこの本のコンセプトとなっています。

 それでは早速、やっていきましょう!

3、第四章:「愛憎蠢いた、江戸時代:松平忠輝編」

 皆さんは「松平忠輝」という人物は知っていますか?
私は、本書を手に取っていなければ…一生知らなかったかもしれません。
今回の報告書の主役はそんな「松平忠輝」です!一緒に学んでいきましょう!

<1>松平忠輝ってどんな人?

 1592年、徳川家康の6番目の子供として生まれました。
その後の忠輝は、長沢松平氏を相続し、越後国高田藩など所領の合計が75万石の
大領主となりますが…その後、兄:秀忠に改易・配流されたりと
散々な目に遭いますが…なぜか92歳まで生きました
 
 詳しくは後述させていただきます!

<2>なぜ愛されなかったのか?「松平忠輝」

 先述しましたが、1592年徳川家康の6番目の子供として生まれた忠輝。
家康の子供ですから誰しもが羨む家に生まれたかと思いきや、
この忠輝…いきなり不運に見舞われます。
 双子の兄(諸説あり)として生まれてしまったのです。
当時、双子は「不吉な子」と言われており、忌み嫌われる存在で片方は日陰の道を歩むと言われていました。この忠輝も「鬼の子」と言われ、すぐに養子に出されてしまったのです。
 その後の忠輝は、長沢松平氏を双子の弟が病気で死んだ事により相続したのですが…これもまた、異例な話で「兄が弟の跡を継ぐ」という謎が謎を呼ぶ話となっています。

 しかし不運続きの忠輝ですが、人としては文武共に非常に優秀で剣の達人であり軍略も軍師の如く素晴らしい人間であり、その後、越後国高田藩など計75万石の
領主にまで登り詰めますが…
その後は下り坂の一途を辿ります。諸説ありますが…ご紹介します
 ・家康からの「勘当」
  → 大坂の陣への遅参、兄:秀忠の家臣を忠輝の家臣が
    切ってしまったからと言われていますが…勘当されていた為
    家康の死に目にも会えなかったようです。
 ・兄:秀忠からの仕打ち(改易、配流される)
  → 秀忠の家臣に手を出した、忠輝がキリスト教に近しい存在であった事、
    豊臣方とも親しかった事、伊達家や大久保家と親しい間柄であった為
    幕府に警戒されたというのが理由として挙げられています。

 上記のことをビジネスシーンに置き換えて言いますと…
後継者問題は近しい相手(血縁者)に警戒すべし」です!
昔でいうと、現在大河ドラマでやっている「源頼朝」の後継者争いや、
忠輝に関していうと、家康から「勘当」はされましたが…
この処置は忠輝の将の器に嫉妬する兄:秀忠の嫉妬から守るための家康の優しさとも言われてますが…本当かな?と疑問符が残りますが…
また、平成の時代では有名家具会社の経営権を親娘で争うなど…敵は外部ではなく
身内にいることも多々起きているというのが歴史から学べることです。

 次に忠輝、「最大のしくじり」である「付き合う相手を間違えた
というところをご紹介します!

<3>自分の付き合う人の評価も気にするべし!

 現在、YouTube界を一番騒がしている男がいます。
そう「ガーシーCH」の東谷さんです。東谷さんは27年間芸能人の方に
無償で飲食店や女の子のアテンドや飲み会の準備などをやってきたのにも関わらず
東谷さんに問題が起こるとみんな掌返しをしてきたので怒って、付き合いのあった芸能人の方々の裏側を暴露することで注目を集めており、付き合いのあった芸能人の方々は戦々恐々としていると思いますが…忠輝もなかなか曲者と親しい付き合いがありました。それを紹介していきます。

大久保長安編
 「大久保長安」は戦国時代・江戸時代の武将であり武田氏の家臣でありながら
武田家滅亡後、徳川家へ従属しほとんど外様の家柄であったが金山開発や新田開発などを行う優秀な官僚として名を挙げ、ついには家老にまで登り詰めた。
そして忠輝の付家老であり、パトロンという立ち位置でした。

 しかし、この「大久保長安」一筋縄ではいかないくせ者で…
金遣いが荒く、女性好きで側室が70〜80人いたとも言われており
当時は「山師」とも言われていました。
 ※山師とは…良い言い方をすると投機的な事業を行い、お金を儲ける人。
        悪い言い方をすると怪しい儲け話を持ってくる人。

 怪しい儲け話に投資する大久保長安がリスクを出来るだけ回避する質実剛健を表すような家康とウマが合うとは思えません。
当時の天下人を会社に当てはめると…
・織田信長 → ブラック企業(クビが本当に飛んでしまう可能性が…)
・豊臣秀吉 → ベンチャー企業(秀吉というカリスマが経営している)
・徳川家康 → ホワイト企業(怪しい事をしなければ安心して働ける)

 その結果、長安は「大坂夏の陣」の2年後に亡くなるのですが(家康長生き…)
大久保家は長安が不正な蓄財をしていたのではないかという嫌疑をかけられます。
出る杭は打たれるというか…裏の金庫番を担当していた一族を滅ぼそうとしたのか
分かりませんが、大久保家はその調査を拒否しました。
 すると幕府は息子たち7人を切腹に処し、大久保家はお家断絶という
最後を迎えました。

 ここから学べることは「大組織とは一人で戦うな!」です。
現代社会でも会社の問題を一人で解決しようとする人がいますが、そんなことが出来るのは映画やドラマの主人公だけで、現実ではもみ消し・告発者の左遷が世に起きていると思います。一人で戦うのは無謀ですが、最近では第3者機関に助けを求め問題が公になるという事案も出てきますので、決して一人では抱えないのが大事です。

伊達政宗編
 東北の覇者、独眼竜でも有名な伊達政宗ですが忠輝とも深い繋がりがあります。
なんと忠輝の奥方は伊達政宗の娘だったのです!
さらにそれを取り持ったのが「大久保長安」だったのです。
 政宗は戦国時代の後期に台頭を表したので、早く生まれていたなら天下を獲れていたかもしれないと言われていますが、<リスク>への対応が下手だったと言われています。それをご紹介します。

豊臣秀吉への対応 
 秀吉が天下統一をほぼ掌握していた際、「私闘」を禁じていたのにも関わらず、蘆名氏を攻め会津を奪いますが秀吉は激怒をし、許しを得るために奪った
会津を手放すという結果に…
 さらにその後、コソコソ裏工作していたことが秀吉にバレて最高で100万石以上あった所領は58万石まで減らされていまいました。

徳川家康への対応
 秀吉への対応を間違えた政宗…所領を減らされたのにも関わらず、懲りません。
関ヶ原の戦いを前に、家康から「味方についたら、秀吉に減らされた所領をあげるよ!」と大盤振る舞いの提案を政宗は受け東軍の味方になります…
 しかしそこは政宗、西軍側にも良い顔をして中立という中途半端な立場を
とってしまい、家康から「働いてないよね?」といわれ結果4万石しかもらえませんでした。

 伊達政宗から学べることは、「取引先とのリスクの質を見極め」です。
もちろん、ダメな事や潰れることがわかっていた場合のリスクは取らない方がいいですが、自分や組織の成長を促す時、ある程度のリスクをとるのは当たり前です。
ですから、優秀なビジネスマンは「リスクの質」を見極めて仕事ができないといけない事を伊達政宗から学びました。

<4>付き合う相手を間違うと「危険因子」と思われる

 上記の説明で忠輝のパトロン(大久保長安)と義父(伊達政宗)が幕府にとってヤバい人が後ろ盾にいたということがわかっていただけたと思います。
 家康の死後…結局忠輝は2代将軍:秀忠(一応お兄ちゃん)に領地を奪われ、
飛騨国高山藩御預かりの身となりました。

 では、なぜ「松平忠輝」は改易・配流の身になってしまったのか…
→忠輝が幕府を瓦解する「神輿」として担ぎ上げられる可能性があったからです。
 江戸時代初期はまだまだ戦国の残り火があり、せっかく家康が一生懸命に
天下統一をして江戸幕府を開いて平和な時代がやって来たのに…
一人は、怪しい人物で戦を行う際に必要な金を潤沢に持っている「大久保長安」
もう一人は下克上が当たり前の戦国時代を生きてきた「伊達政宗」が後ろ盾におり
家康からの愛をもらえず、不遇の人生を歩んできた松平忠輝を神輿として担ぎ上げて戦でも始められたら面倒だということで、改易・配流された可能性が高いというのが本郷先生の主張です。

 ここで学べることは、何度も言っていますが…
自分が付き合う人の評価も自分に返ってくる」ということです。
これはいつの時代も同じであると言うことがわかります。
人間付き合いの真理をついているのかもしれません。

4、調査結果

 ・今回の調査でわかったことは、「リスク」への対応を間違えると
  家康の子供と言えども潰されると言うこと。

 ・忠輝は少しかわいそうですが、付き合う人間を間違えると
  結果、自分に返ってきて悪い評価を受けてしまうと言うことです。

 この忠輝の人生は、現代のビジネスシーンに非常に使えることが多いことが
わかりましたので、是非みなさんも学んでみませんか?


以上
歴史探偵Q
調査報告完了


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