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モノの力を取り戻し、モノと共存する世界を組み立てる

インタビュー:門脇耕三さん

流通網の飛躍的な発展により、あらゆるモノを手にすることができるようになった結果、モノの尊厳は失われた。あらゆるモノが交換可能となってしまった現在、モノの力をいかに取り戻すことができるのか?建築構法を専門とする研究者で、数々の実践にも携わる門脇耕三さんとともに、モノとどう向きあうべきかを考える。

左から門脇耕三さん、本多栄亮、水越永貴 撮影=久保川優

門脇耕三(かどわき・こうぞう)
《門脇邸》などの設計を手掛ける建築家であり、アソシエイツ株式会社 パートナー。第17回ヴェネツィアビエンナーレ国際建築展 日本館 キュレーターを担当し、解体した《高見澤邸》の材料を再利用することでヴェネツィアの展示会場を再構築。また、建築構法計画を専門とし、明治大学准教授・構法計画研究室主宰を務める建築学者。

モノの力を取り戻すべき

本多
 僕たちは「モノとどう向きあうかを考えるコミュニティマガジン」をコンセプトに、さまざまな分野の実践者に対するインタビュー記事を発信しています。今回は建築構法の研究者であり、建築家として実践も積み重ねている門脇耕三さんにお話しを伺います。2021年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展※1の日本館展示では、東京で解体された住宅の材料をリユースして展示を組み立てたり、さらには、その材料をノルウェーのオスロに持っていって、公民館として組み立て直すという壮大なプロジェクトにも携わっていると聞いています。また、門脇さんには僕たちのReLinkにもアドバイスをもらっています。まず、建築構法を専門にされたきっかけについてお聞かせください。

門脇
 大学4年生のときに入ったのが建築構法の研究室だったというだけで、それほど深い理由はないのですが、そのあとにだんだんと構法には可能性があると思い始めました。それは僕が生きた時代と関係すると思うのですが、僕が若い頃、建築家はみんな空間図式の実験に耽溺しているという感じで、建築は白くて抽象的な表現ばかりでした。卒業設計もぜんぶ真っ白で図式的。そうなると、モノの制約にとらわれない卒業設計のほうが、純粋な表現に向いているから、実際の建築より良く見えちゃうんですよね。卒業設計コンテストがブームになって、そこからスターが生まれはじめたのはこの時代です。でも、実際には建たない建築のほうがよく見えるなんて、あまりにも倒錯的で、どう考えてもおかしい。だからモノの力を取り戻すべきで、建築の物質的な価値をどうやって組み立て直せるかということを、無名だった当時の僕は悶々と考えていました。

 一方で、僕の専門である建築構法という学問を始めたのは内田祥哉です。彼は建築の量産が国家的な課題だった時代の人だから、工業化とかプレファブ化をすごく考えた人で、その業績で有名だけど、その問題も1980年ぐらいには終わってるので、僕が大学生になった90年代後半くらいは、構法もあまり面白いという感じではなかった。でも、白くて実体感を失っている建築に対して、それでも自分が何かできるとしたら、構法から新しい建築論をつくるしかないんじゃないか、と思っていました。

水越
 それで構法を真剣に考えてみようとなったのですね。それはヴェネチア・ビエンナーレや《門脇邸》などの実践にもつながっていると思うのですが、そこに至るきっかけや、気づきみたいなものがあったのですか?

門脇
 2012年に明治大学に来て研究室を持つことになったのですが、その年に鹿島出版会から『SD』という雑誌の特集を企画してほしいという声がかかりました。これは当時の自分にとってすごく名誉なことだったので、うれしくて、企画が何も決まってない段階で友人の藤村龍至さんに漏らしたところ、「それは良かったけど、門脇さんらしい特集にしてくださいね」って釘を刺されたんですよ(笑)。それで、まずは「構築へ向かうエレメント」というタイトルを決めた。「エレメント」という言葉は、いまでは建築論などでもよく使われるようになりましたが、そのきっかけはこの特集だったと思っています。


『SD2012』特集の中表紙  画像提供=門脇耕三

 とはいえ、当時はエレメントが持つ可能性を十分に認識できていなかったので、とにかくいろんな建築家に、「天井」や「壁」などのエレメントについての思いをインタビューする内容にしました。その中でわかってきたのは、エレメントは無名の知恵の貯蔵庫であること。たとえばドアという形式にも、誰か発明者がいるはずなんだけど、われわれはあたり前のものとして自分の建築に使うことができる。それは誰かの知恵を使っているということでもあって、つまり建築は、たくさんの無名の知恵を組み合わせてつくるものだと言える。こうした知恵は歴史的に形成されたもので、かつエレメントのあり方は、その当時の産業とも関係している。たとえばそこのドアがスチールでできているのは、戦後に兵器をつくれなくなって行き場を失った鉄鋼業が、建築に流入した結果でもあるわけです。

 ようするに、当時の僕の気づきは、エレメントが知恵や歴史や産業など、別の連関の結節点になっているということです。そういったものの組み合わせとして建築を考えるならば、逆に知恵や歴史や産業をデザインすることにもつながるかもしれない。このときはそういったことを考えて、その後、そこで学んだことをもうちょっとロジカルに組み立てつつ、実践として展開したのが《門脇邸》でした。

住む人を縛る牢獄からの解放

本多
 実際に《門脇邸》を訪れると、エレメントが持つ力、モノの力のようなものを強く感じました。この家に住んでみて、それはどんな効果をもたらしましたか?

《門脇邸》 リビングより見る  撮影=森崎健一/マルモスタジオ

門脇
 《門脇邸》でやっているのは…..

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