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【製本記】 かえるの哲学 08 | かえるもいいけど、ふくろうも

本をつくってばっかの日々。編集者として本を編みながら、時間を見つけては製本家として本をこしらえている。編集した本は世にでて光を浴びるが、製本した本は暗所に埋蔵するだけの習作も多く、せめてここに記録する。

表紙と本文、それぞれにできあがった。これらを貼り合わせれば『かえるの哲学』は上製本になる。まずは溝入れの作業から。「溝入れ」とは溝を貼ることで、「溝」とは表紙と背表紙の間にある凹みのこと。ここに隙間があることで、本がすんなりと開閉する。

溝をしっかり入れるため、銀杏の葉の形をした道具を使う。この道具は、そのまま「いちょう」と呼ばれている。軽くあたためて溝にあてがうのだが、革が焦げないようにとびびってしまい、少々温度が低かったか。溝が浮いてこないよう、念のため、凹みに竹ひごを噛ませてプレスする。

溝がついたら、今度は見返しだ。見返しに糊を入れ、表紙の内側に貼る。このまま放置すると反ってしまうため、すかさずプレス機に挟む。


さあ、2か月かかって『かえるの哲学』もようやく完成間近。わたしの製本はこんな調子で超スローペースだが、がまくんとかえるくんの生みの親、アーノルド・ローベルは多作な作家だった。

ローベルが絵本作家としてデビューしたのは29歳のときで、54歳で亡くなるまでに32冊を発表している。そんな多作でもない? いやいや、彼は挿絵画家としても活躍しており、こちらは100冊以上を手がけている。ローベルおじさんは働き者だったのだ(しかも、家の片づけと掃除と皿洗い、それから子育てもしてた!)。

ローベルは「お絵描きはデザート、お話づくりはほうれん草」が口癖だったらしい。絵を描くことは大好きだけど、お話づくりは苦手、という意味だ。だからこそ挿絵の仕事をたくさんやったのだろうけど、そうはいっても彼が稀代のストーリーテラーであることは疑いようもなく、きっと、お話づくりはそれなりにしんどい、ということなのだと思う。

ローベルといえば「がまくんとかえるくんシリーズ」だが、それ以外にもおもしろい絵本がいくつもある。そこで、ローベルが絵とお話の両方を手がけた作品から、4冊を紹介したい。いずれも代表作に匹敵する名作だと思うし、子どもだけでなく、大人が読んでもおもしろい。


● 『ふくろうくん』三木卓 訳(文化出版局)

がまんくんとかえるくんには悪いが、ローベル作品の中でこれがいちばん好きだ。ふくろうくんは小さな哲学者。「ド」がつくほどの天然で、その日常はすっとこどっこい。でも、その笑いの向こうに、人間の滑稽さと寂しさがないまぜに凝縮されていて、しみじみ泣ける。「なみだのおちゃ」は、何度読んでも涙腺崩壊。訳者の三木卓さんもこの一冊が一押しで、ふくろうくんのことを「奥さんに見捨てられた、ちょっといかれた中年のおじさん」と愛を込めて表現する。そんな三木さんは「おつきさま」に涙したという。


● 『どろんここぶた』岸田衿子 訳(文化出版局)

やわらかーい泥に「ずずずーっ」と沈むのが大好きな、お百姓さんちのこぶたのお話。なぜか無性に好きなことって、誰にだってある。たとえ周囲にわかってもらえなくても、そこに意味なんかなくっても。そんなわけで、こぶたはいつも泥まみれ。なのに、ある日、庭の泥を一掃されてしまう。激怒したこぶたは家出決行。かわいい顔してやること極端! そして、見知らぬ街で大騒動を起こす。好きなものを貫くこと、味方になってくれる人がいること……しあわせってこの二つに尽きるな、と唸る一冊。


● 『きりぎりすくん』三木卓 訳(文化出版局)

ローベル作品の中でも、とりわけ地味な一冊。きりぎりすくんが旅にでて、行く先々でへんてこりんな虫たちに出会うお話……というと楽しげだが、その虫たちがなかなかの曲者で。主義主張を押しつけたり、人の意見に耳を貸さなかったり、凝り固まった尺度でしか物事を見られなかったりする。きりぎりすくんはそんな曲者たちのトンデモ発言に戸惑いながらも、決してぶつからないし、揺らぎもしない。見事なスルースキルで、自分の道を進んでいく。ちょっと怖いくらい、いまの時代に重なる一冊。


● 『ぼくのおじさん』三木卓 訳(文化出版局)

ひとりぼっちになった子ぞうの「ぼく」を、年寄りのおじさんが引き取るところからはじまる物語。孤独に身を震わせる子ぞうを、おじさんのやさしさがすっぽり包んであたためる。この作品は、自伝的要素を含んでいるといわれている。ローベルの父親は彼が赤ん坊のときに家をでており、幼いローベルは祖父母に育てられたのだ。病弱ゆえに学校も休みがちで、図書館の本とラジオが友だちだったとか。そんな苦い子ども時代の記憶を背景に、ローベルは、震える子どもに必要なのは何であるかを子どもの目線で描いている。


あらためて読み返してみると、それぞれにシリアスな主題を扱っているにもかかわらず、どの作品にも絶妙な「さっぱり感」がある。生きることの苦しさや寂しさやもどかしさ……そういうどうしようもない事柄を、ローベル流のユーモアでおかしみに昇華して、「何でもない話なんだけどさ」といわんばかりの涼しい顔でコトンとテーブルに置いてみせる。ローベル作品には、そういう「粋」があると思う。

気になった方は、編書『アーノルド・ローベルの全仕事』も手に取っていただけたらうれしい。ローベルの仕事はもちろん、その人生にも触れた一冊で、彼が携わった全作品の一覧を収録した、おそらく唯一の本だと思う。

さて、プレス機から取りだせば、あとは「かえるの哲学」という題字を入れるだけだ。残念ながら箔押しの道具はそろえておらず、その道のプロに依頼するとしよう。というわけで、本当の完成はしばしおあずけだ。

これまでずっと心の一部を占めていた『かえるの哲学』が、ついにこの手を離れてしまう。つくっているときは早く完成させたいと思うのに、いざ完成すると妙に寂しい。


●『アーノルド・ローベルの全仕事』(ブルーシープ)


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