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【製本記】 かえるの哲学 07 | これが文学者というものか

本をつくってばっかの日々。編集者として本を編みながら、時間を見つけては製本家として本をこしらえている。編集した本は世にでて光を浴びるが、製本した本は暗所に埋蔵するだけの習作も多く、せめてここに記録する。

背継ぎの素材を用意する。『かえるの哲学』には革を使うことにした。インド産の山羊皮で、イギリスで製革されたものだ。製本には牛革や豚革なども用いられるが、柔らかく風合いに富む山羊革が最良とされる。

革剥(す)き職人さんに「コバ」と呼ばれる折り返し部分を機械剥きしてもらったあと、さらに革剥き専用の包丁を使って手作業で仕上げる。背から平はスムースに、折り返しはできるだけ薄く。なだらかに、なだらかに。


一枚革で全体をくるむ「総革装」が本の正装だとすると、背を革で継ぐ「半革装」はややカジュアルだ。とりあえずジャケット羽織りました、くらい。がまくんとかえるくんも、基本はジャケット姿だ。裸にジャケットという、かえるならではのコーディネイトではあるけれど。ふたりはなかなかの粋人(粋がえる)で、部屋にはボタニカルな壁紙を貼り、洒落たランプを据え、お茶の時間にはティーセットを使う。英国趣味を漂わせながらも堅苦しいのがきらいなふたりには、半革装がしっくりくると思う。

がまくんとかえるくんの趣味は、もちろん作者であるアーノルド・ローベルの趣味に由来する。そして、水辺に住んでいるはずのふたりがどことなく都会的な雰囲気をまとっているのも、ニューヨークに暮らしたローベルの日常が反映されているためだろう。

がまくんとかえるくんシリーズを翻訳した三木卓さんは、はじめて原作を読んだとき、あんまりおかしくってゲラゲラ笑ったんだとか。そして、ふたりをお行儀のいい東京弁でしゃべらせることを決めたという。


2年前、ローベルの作品集『アーノルド・ローベルの全仕事』を編集するにあたり、三木さんにインタビューする機会を得た。三木さんは1973年に「鶸(ひわ)」で芥川賞を受賞した小説家であり、詩人であり、童話作家でもある。コロナ禍ゆえ、電話でやりとりを重ねることになった。こちらは毎回緊張しきりだったが、三木さんはいつも穏やかで、優しく、冴え渡っていた。

三木さんが2匹のかえるの物語を訳すことになったとき、ローベルは日本ではまだ無名だった。だけど、すっかり原書を気に入った三木さんは、彼のやさしい笑いとデリケートなおかしみを損なってはダメだぞ、と気を引き締めたという。いまのようにメールやZoomがあるわけでなし、作者と訳者がコミュニケーションを取りながら翻訳できるような環境ではなかった。三木さんは、目の前の絵本だけを頼りにローベルに迫っていった。

「(がまくんとかえるくんの絵本には)人生の寂しさとか、人と人が愛し合うことの大事さとか、僕たちが生きていくうえで感じていることが織り込まれています。ローベルさんは、そういう人間の気持ちというものに対して、とってもやさしい人なんです」

「彼は自由ということを非常に考えた人だと思います。だから、道徳的なものをたれたりはしない。彼はきらいなんです、そういうのが。こうあるべきだ、こうするべきだ、なんてことじゃなく、『人間はこうあるよ』と語る」

これらのことばは、インタビューからの抜粋だ。直接会うこともなく、手紙を交わすこともなく、ローベルが不遇な少年時代を送ったことも、ましてやのちにカミングアウトすることなど知る由もなく、三木さんは、あのシンプルでかわいらしい絵本のみを通して、ローベルという人間の中心に触れた。わたしは、この事実に圧倒された。これが文学者というものか、と。


三木さんのお話を聞いてからというもの、自分が普段使っている「知る」ということばの空虚さに打ちのめされている。どれだけ検索したところで、どれだけ資料を集めたところで、わたしは何も知ってはいない。知るために必要なのは、情報ではなく、慧眼と思いやりの心だ。本当の意味で知ることができるかどうかは、知ろうとする側の内面次第ということだ。

ならば、わが人生、そう簡単に「知る」に至ることはないのかもしれない。そうと知っただけでも、まだましなのか。それとも、これまた知ったつもりになっているだけで、知ることを知るために知らねばならぬことすら知らぬままに生きているのか。もう、何が何やら。

ちなみに、三木さんの芥川賞受賞作「鶸」を含む『砲撃のあとで』は電子書籍で読めるし、第一小説集『ミッドワイフの家』は水窓出版から再版されている。映画化された『震える舌』はamazon primeで公開中。わたしは子ども向け小説『おおやさんはねこ』も好きだ。三木さんご本人と思しき主人公と引っ越し先の大家さん(猫なんだな、これが)との物語で、この作品に滲む三木さんのやさしさとローベルのやさしさには、通じるものがあると思う。

さて、剥きあげた山羊革で、表紙の芯材をくるむ。背の芯には薄めの板紙を選び、本文に合わせて丸みをつけた。この作業をしているときに、紙の端で指を切った。どうもわたしは指先の皮膚が薄いようで、ちょくちょくやらかす。こんなとき、かえるくんなら「しんぱいごむよう」と元気づけてくれるだろうか。つづけて、先日染めた紙で平をくるむ。表紙ができあがった。


●『おおやさんはねこ』三木卓/萩太郎 絵(福音館書店)


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