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言葉に、生きていた

年が明けた。
新年早々、おめでたいどころか、つらい出来事が立て続けに起き、心を痛めていらっしゃる方も多いかと思う。
石川県にも、僕の大学の同級生が教員やっていたり(たぶん)して、連絡は途絶えて久しいけれど、石川のどこに住んでいるのかも、なんなら今も石川にいるのかどうかも分からない(Facebookを見たら大学卒業の挨拶文が最後だった)けれど、元気だといいな、と遠くの九州から祈っている(このタイミングで取ってつけたようなメッセージを送れるほどの間柄ではなかったのだ)。

さて、新年早々の災害とは恐らく関係ないところで、僕はいま「満たされなさ」を感じている。
冬だし、憂鬱な気持ちにもなりやすい。そういう時期(あるいは時季)なのだ、と思うことでやり過ごしている。
ひとつ、はっきりしていることがある。

ヒマなのだ。

ヒマだと、余計なことを考える。あれこれ、どうこう、要らぬことを考える。
そういうときは、身体を動かしたり、物語の世界に浸ったりするのが一番だ。
来月、熊本城マラソンにフルで出場するけれど、走り込みもできていないから、「走れよ」、ただこの一言に尽きるのだが、何となく気が乗らないまま気が付けば睦月も半分が過ぎ去っていった。

今日は、ヒマに任せて、「言葉に生きる」をテーマに、いつものようにとりとめなく書いていこうと思う。
ヒマな方は、6,000字を超える駄文にしばしお付き合いください。


「言葉に生き」ていた

僕は実は、中学・高校の国語の教員免許を持っている。
免許を使って仕事したことは(ほぼ)ないけれど、免許があることはある一種の誇りでもあるし、アイデンティティでもあるし、公に一定の国語力を認められているかのような安心感もある(その割にこの程度の文章力というのは目を瞑っていただきたい笑)。

そう、僕は、「言葉に生き」ている。
いや、生きてい「た」。
「生きてきた」という現在完了形ではなく、過去形、あるいは過去完了形だ。
最近、なぜだか分からないけれど、「言葉に生きる」とは何か、逆に「言葉に生き」ないとは何か、ぼんやり考えるようになっている。

碧月はるさんのエッセイを読みあさった

ここのところ、よく読んでいるライターさんがいる。
碧月はるさん。
自身が受けてきた性的虐待の遍歴や、物語に都度救われてきた経験を、時にグロテスクに、時に坦々と、赤裸々に綴ったエッセイの連載が、婦人公論で公開されている。
婦人公論のページはこちらからどうぞ。
ヤフーニュースに婦人公論の記事が外部配信されていて、昨年の年末にたまたま読んだことがきっかけだった。
不思議と引き込まれる、洗練された文章の中に、強い何かを感じた。

何本か連載を読んだ時点の感想は、「ああ、この人は『言葉に生きている』人だろうなあ」という直感だった。
「言葉に生き」ている人は、その文章を読むと分かる。
「言葉に生き」ている人は、人生のどこかで、言葉にしか生きる場を見いだせない出来事を経験してきた人が多いと思う。
どこかに、細い弓張月みたいな、油断したらプツンと切れてしまいそうな切ない矜持と、この言葉が誰かに届いたときに何を思うだろうという果てない不安と期待、それでも書かざるを得ない、読んでくれる誰かを求めてしまう切実さと少しの諦観、そういったものが混ざったようなにおいがする。

僕が5年前、10年前に書いていた文章を読み返すと、やっぱりそんなにおいがする(決して上手な文章ではなかったが)。
今読むととても「かび臭い」ので、いつもはその「箱」を開くことなく、大事に胸の奥底に仕舞っているのだが、ふとしたときにその「かび臭さ」を嗅ぎたくなって、敢えてそういう文章を書いてみたり、ウイスキーを飲みながら昔のブログを読んでみたりすることがある。 

碧月はるさんの文章も、そんなにおいがした。
しかも、現在進行形で、この人は色んなものと闘って、葛藤して、言葉を削り出しているように感じた。
気が付けば、婦人公論のエッセイを全部読んでしまったどころか、しまいにはnoteを見つけて、「オフ」の文章がどんなものかも読んでみるまでに至った。
そこまで読みあさった上での感想は、「やっぱり、この人は『言葉に生き』ている人だった」。 

だから何だ、という話だが(オチはない)、もし興味が湧いたら読んでみてほしい。

「光る君へ」が毎週楽しみ

新年から、NHK大河ドラマ「光る君へ」を観ている。
大河ドラマなんて「篤姫」(2008年)以来。地元が舞台の「いだてん 〜東京オリムピック噺〜」(2019年)こそ観ろよ、という話だ。

閑話休題、「光る君へ」の主人公は、平安時代の作家、言わずと知れた紫式部である。
先週は第2話が放映された。
ようやく大人になった紫式部=まひろ(吉高由里子)が登場した。吉高由里子が15歳の少女(でも成人)というのは少々無理がある気はしたけれど。 

紫式部といえば、ドラマのタイトルにもある「光る君」が主人公の『源氏物語』、そして宮中のあることないことを書いた『紫式部日記』が有名だ。
紫式部は、本(というか漢詩や和歌、歴史書)が好きで、書くことも大好きな(書くことをやめることができない)女性だったのだろうということだけは間違いないはずだ。
その他にも、「光る君へ」に際し、分かっていること・分かっていないことを整理して、ドラマに散りばめられたフィクションをフィクションとして楽しめるようにするために、色々と調べてみた。

分かっていること(ノンフィクション・事実)

  • 漢詩・和歌・歴史書に通じていた。

  • 『源氏物語』『紫式部日記』を著した。

  • 中宮の彰子のもとで宮仕えしていた。

  • 幼くして母を亡くした。

  • 決して冠位の高くない父のもとに生まれた。

  • 父は、東宮の教師をしていた。

  • 藤原道長に、能力を認められて一目置かれていた。

  • 藤原宣孝を夫とし、早くして夫を亡くした。

分かっていないこと(フィクションとして補う必要がある部分)

  • 本名(「光る君へ」は「まひろ」という名の設定でいくようだ)。

  • 詳しい生没年。

  • 道長や他の男性と恋仲(?)にあったか否か。

  • 母の死因。

1,000年も前のことなんて、分からないことが多くて当たり前だ。
逆に言えば、その抜け落ちた歴史、機微、人間関係や空気感、価値観みたいなものを、現代の我々がフィクションとして補う余地が許されているともいえる。
紫式部を主人公にした小説作品や、その他多くの平安貴族(や陰陽師)を主人公に据えた作品が多いのも頷けるし、そのような王朝時代に思いを馳せることは、ただ純粋に、楽しい。

原文ではないが瀬戸内寂聴による現代語訳の『源氏物語』はワクワクさせながら読んだし、橋本治『桃尻訳 枕草子』はめちゃくちゃ面白い「1,000年前のブログ」のようだったし、フィクションでも結城光流『少年陰陽師』シリーズを何冊も読んだ。
そうした作品や古典そのものを通じて、きらびやかで、時に残酷な「あの時代」のイメージが、ぼんやりと自分の中に構築されている中で、今回の「光る君へ」が、闊達な、男尊女卑をものともしないような、自信に溢れた「まひろ」としての紫式部という女性を描くのであれば(しかも、今までの僕の紫式部に対して抱いていたイメージと真反対にいるような俳優の吉高由里子をもってくるとは!)、それはそれでイメージをどう覆してくれるかが楽しみなのだ。

2話分、視聴したが、感じた。
まひろは、「言葉に生き」ている人だ(ようやく話が戻ってきた)。
(フィクション込みで)少々ネタバレの話をするが、まひろの抱える、優しい母を目の前で殺された恨み、その事実を知ってなお家庭を守って冠職を得るために妻の死を隠蔽した父に対する葛藤、思春期特有のありふれたエネルギーの持っていき場のない鬱屈さ。
それが、「言葉に生きる」まひろの生き様に還元されていっている。

「光る君へ」の作は、脚本家の大石静。
僕は、本屋や図書室にはよく通っていたので、小説家は(名前くらいは)割と知っている方だと思っているが、脚本家の先生は守備範囲外だ。
略歴を調べてみると、かなり多くのテレビドラマを手掛けられている、かなりの大ベテランのようだ。

勝手な妄想で申し訳ないが、大石先生は、これまでの集大成として「書くとは」「言葉とは」「『言葉に生きる』こととは」といったテーマで、作品を書かれたのだと推察する(言っていることがあまりに上から目線で失礼で「お前誰だよ」なので、せめて大石先生の小説作品を他にもこれから読んでみようと思う)。
そういった意気込みみたいなものを、テレビ画面から、吉高由里子の演技を通して、感じ取っている。
だって、タイトル「光る君へ」をとってみても、「光る君」なら、イコール光源氏だが、「へ」は、光源氏を生み出した紫式部からみた「光る君へ」だし、源氏物語を読む現代の我々からみた「光る君へ」だし、大石先生からの紫式部や光源氏へ宛てた「光る君へ」の想いも含まれると思うのだ。タイトルからビシビシ感じるのだ。

その当時に、「女性」が、「知性」に溢れているばかりか、「文字」が書け、四書五経を諳んじることができ、和歌を自由に操れたことが、何を意味しただろうか。
正直、今まで僕の抱いていた紫式部のイメージとしては、「卑屈で(失礼)、ボソボソと常に何かを喋っていて(失礼)、美人でもなくて(失礼)、オタク気質で(失礼)、四書五経程度すら内容をすらすら言えないような宮廷の職員や貴族を心から馬鹿にしていて(失礼)、本の虫」というものだったのだが、僕の思い描く紫式部であれ、「光る君へ」のまひろであれ、「言葉に生き」ていたのだと思う。

ドラマのこの先の展開がとても楽しみである。

「言葉に生き」なくなった

これまで、しょうもない30年の半生を過ごしてきたが、そんな中で、リアルでは2人かな、「言葉に生き」ている人に出会ってきたように思う。
彼・彼女の編み出す言葉は、素晴らしい。
生々しくて、力強くて、必死さに溢れていた。
僕も「そうなりたくて」、言葉に生きる道を選んだ過去がある。
誰かの人生を変えてしまうくらい、言葉は爆発的なエネルギーを持つことがあることを、僕はこの身を以って知っている。

言葉に生きることは、同時に、言葉の無力さを常に突き付けられ続けるという、とても大きな苦痛を伴う。

石川県で大地震が起こった。
「僕の操る言葉は、きっと力を持っているはずだ。石川の誰かを救うことができるはずだ」
そうして紡いだ文章は、どこにも届かなかったり、かえって誰かを傷つけたりする。
ほんとうは分かっているのだ。
言葉ごときで、思うように誰かを救うことなんてできないってこと。
それでも、それでも……。

そうやって、自己嫌悪と無力さに襲われる。
それを必死に否定するために、また、言葉を絞り出す、削り出す。
眠ってもなお泳ぎ続けなければ死んでしまうマグロみたいだな、と思う。

僕は、体力もなかったから、マグロみたいに泳ぎ続けられる根気もなくて、結局、「言葉に生きる」ことを辞めてしまった。気が付いたら、辞めてしまっていた。
辞めてしまえるということは、イコール人に恵まれて、充分に幸せを感じられているのだと思うし、それほどの切実さは、最初から僕にはなかったのだろう。

「言葉に生きる」ことは、疲れる。かなりエネルギーを消耗する。
「言葉に生きる」と、何か書いていないと不安になるから、書くためのエネルギーがいる。
書くなら書くで、誤字脱字がないかのチェックは当たり前、うまい比喩が盛り込めるところはないだろうかとか、この文章が誰かを傷つけないだろうかとか、たくさんたくさん考えて書いては書き直してを繰り返す。
頭も使えば時間も使う。
どこか上手で洗練された力のある文章と出会ったときは、嫉妬もするし、同時に触発されもする。
とにかく、感情の起伏が大きくて、全身を使って書く作業、読む作業をするから、疲れる。それを四六時中続けていたら、そりゃあしんどくもなって当然だ。

 「言葉に生き」ている人の文章を読むだけで、脂ののったステーキ肉を平らげるような満足感があるのに、ましてや「言葉に生き」ている人と出会ったら。そういう人が隣に居たら。

少なくとも、今の僕は、やっぱり「しんどい」。逃げ出したくなる。
「言葉に生き」ようとして、結局誰も救えなくて、そればかりか傷つける一方なら、何も言うまい。
そうやって逃げる弱さを、許してほしい。それが、今の僕だから。

「言葉に生きる」ことをしなくなってからというもの、「しなくていい」と気付いてからというもの、心が良くも悪くも凪いでいる。
数年前、「魂のやり取り」をしたい、とどこかに書いたこともあったが、たまにはやり取りしたさもあるが、やっぱり誰も傷つかない方がいい、傷つけない方がいい。

たぶん、「言葉に生き」ていた僕の方がバイタリティがあったし、そんな姿を周囲が好いていてくれていた部分もあったのだと思う。
需要と供給のバランスでいえば、「言葉に生きている」方が、友達付き合いも(危うさを抱えつつも)うまくいく気もするけれど、今は友達の多くが離れていった(もしくは僕から離れてしまった)けれど、それでもいい。
長期的にいけば、マグロ生活は長生きしない。もたない。どこかで破綻する。
ちょっぴりさみしいけれどね。

こうやって自らの生き方を正当化して、エネルギーのない抜け殻のような文章でも、やっぱり書かずにはいられないけれど、気楽なもんだ。

決して「言葉に生き」ている人を馬鹿にしているわけでもなく、むしろ尊敬しているわけで、でも、そこから解放された生き方もあるよ、と温室から吹雪の中に呼び掛けている、訳も分からない文章を書く。

自分の中でも書きたいことがまとまっていない。だからモヤモヤするのだけれど、ヒマなのだけれど、贅沢な悩みなのだろうな。

突然だけれど、昨年末に結婚した。
いつも傍にいて笑っていてくれる妻に心から感謝して、「言葉に生きる」のではなく、行動で生きていきたい。
例えば、どこかが痛いときに、さすったり揉んだりする。温かい飲み物を用意する。
例えば、家族の誰かがきついときに、すぐに駆け付けて一緒に過ごす。
それは同時に、僕が逆に周囲に求めていることでもあるから。
誰かが紡いでくれた言葉が僕自身にすとんと入ってこないとき、それでも行動が欲しいから。傍にいて、触れていてほしいから。

人間としての本質を、頭でっかちにならずに、言葉もなく、周囲に流されずに大切にしていく。何が大切なのか、何を守っていかないといけないか、優先順位を見極めてちゃんと行動に移していく。
人として、譲ったがいいもの、譲ってはいけないものを、ぶれずに持ち続ける。
そういう生き方だってあるということを、妻と出会って学んだし、友人との離別が教えてくれた。

幸福と不幸(?)の振れ幅が大きすぎる昨年の1年間は、初詣で3社とも「大吉」が出たが、今年は、「吉」と「末吉」(今年は2社しかお詣りしていない)。
2024年、切り開いていこう。行動あるのみだ。

まずは、目の前のマラソンを。走り込みを始めなきゃ。
42.195km、完走できるかな?

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