幸せになれなかった白雪姫

努力が報われないこと、人生が不公平であることを明確に感じたのは5歳の時のことでした。
その年の幼稚園のクラスのお遊戯会の発表演目は【白雪姫】でした。
プリンセス役になれるのはただひとり。
主役であるし、女の子の憧れのお姫様役だし、選ばれた子は保育士さんが手作りでドレスも作ってくれるということもあって、女の子たちはみんな『わたしがやる!』状態に。
私も心の中でいいなぁ、と思ったけれど、当時いじめの渦中にいた自分が選ばれるわけもない(ブスだの何だの言われていたし、親にも『お前は女の子なのにツリ目で可哀想』と言われていたので)と思いプリンセス役争奪戦の話もどこか他人事で聞いていました。
そんな中、担任の先生が『白雪姫役は、れむちゃんです。』と言いました。
本人の私もビックリ。
役の発表が終わり、みんなが帰る時間になり、さようならをした後。先生に呼び出されました。
『れむちゃんあのね。白雪姫の役は1番セリフが多いの。それも暗記しなきゃならない。先生たちはれむちゃんならできるって思って決めたけど…どう?できる?他の子よりたくさん練習しなきゃいけないけど、いい?』と。
少し不安に思ったけれど、せっかく選ばれたのだからやりたいと思ったし、なにより先生たちが『私ならセリフが言えるだろう』と思ってくれたことが嬉しくて。

その日から発表会の日まで、必死に練習しました。
覚えるセリフ量は他の役に比べると2倍…どころではありませんでした。私は舞台の上ではずっと喋りっぱなし状態です。
ちなみに幼少時の私はかなり語彙力の獲得量が多く、おしゃべりも上手だったので然程苦ではありませんでした。とはいえ暗記ということもあり、丁寧に何度も練習しました。みんなが帰ったあとに居残りで先生たちと練習したこともありました。
居残り練習をしてる間に保育士さんが私に似合いそうな色の綺麗な布を選んできて、サイズを測って、ドレスを作ってくれました。
実は女の子らしい洋服が大好きだったけれど、母の好みがそちらではなかったのであまりそういう服を着たことがなく。この作ってもらったドレスがとても嬉しかったことを覚えています。

さて、発表会当日。
私はセリフを一字一句間違えることなく、きちんと劇をやりこなしました。
でもなぜか、舞台を見ている保護者の人がみんな笑っていない…冷めた拍手をしていました。
どこかおかしかったかな、なんか間違ったのかな…としょんぼりしている私に、冷ややかな声が沢山聞こえてきたのでした。
『主役のあの子、うちの子より不細工なのになんで白雪姫なのかしらね』
『一人っ子だからワガママ言って主役やらせてもらったんでしょ?』
『図々しいわね』
5歳の子どもがこれを聞いても、理解ができないとでも思ったのか。それとも、わざと言ったのか。
どっちも、だったのかな。
とても悲しくなりました。悔しさも覚えました。
私はどの子よりも長く居残りをして練習をしました。誰かから役を奪ったわけでもありません。また、親がそう頼み込んだわけでもありません。
でも、現実での私への評価は、視線は…冷たくて痛いものしかありませんでした。

劇の発表の後、母には手放しで喜んでもらえるとばかり思っていました。
でも違いました。
『お前が一人っ子だから主役をやれたんだって嫌味を言う奴ばかりで、今日はうんざりしたよ。』
私が居残りもして練習をしていたことを母は知っているのに、それを褒めてもらえることも、劇に対しての明るい感想も……何もありませんでした。

この日、初めて痛感しました。
どんなに頑張っても、ズルをしていなくても、何の評価も貰えないことがあると。
努力が必ず報われる訳ではないと。
5歳で知るには早かったなぁ…なんて今更思いますけど。あと、知るきっかけになる出来事としても、あんまりだなぁと。

この日から、白雪姫が大嫌いになりました。
似たようなプリンセス系のお話も大嫌いになりました。
奇跡で願いが叶うお姫様も、最後に努力が報われて幸せになるお姫様も、みんな見るのが辛くなりました。
現実世界の私はお姫様じゃないし、物語の主人公じゃないけど。
それでも、自分が手に入れられなかった結末が憎くて、悲しくて。

あの時もしも、母1人だけでも褒めてくれたら。
素敵だったね、毎日頑張ってたものねと声をかけてくれたら。
周りの人に嫌味を言われたことを、わざわざ私に言わなくてもよかったのに。
どう足掻いても変えられないのが過去なので、もうどうでもいいといえばいいのですが、ただ自分の子どもには、私の経験したような形で『努力は報われない』とか『お母さんは味方になってくれない』なんて知ってほしくないなぁと。

そんなことを、ぼんやり思うのでした。

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